黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

まず逆党の張本なれば(桐生家中の談判露見の事・その1)

2024-09-09 16:13:50 | 桐生老談記の世界

昨日夜半から今日未明にかけて。激しい雷雨に襲われました

なので寝坊してしまって、ちょっと遅めの朝散歩になりました

草が伸びている道は露をしっかり含んでいて、お散歩には不向きです。

ひめちゃんは、堀之内を西に出て、まあ天神田の無難な道を歩いてきました。

 

5年前の今頃、ムーハウスは賑やかでした

七海ママもまだ健在、群れのリーダーはママでした

獅子丸も実家に帰ってから3ヶ月、遠慮なく実家の生活をエンジョイしてます

 

小次郎パパ&ののこねーちゃん&タバサねーちゃん、3名での散歩もよくありました

 

 







桐生家中の談判露見の事・その1(まず逆党の張本なれば)

去る程に、同十一日早旦に、桐生家中の談判(一説にー謀反)露見に及び大将役の人々大いに驚き、早鐘をついて人を集め蹴れども、頼みきったる老中をはじめ、下民に至る迄悉く敵心になりにければ、集まる人もなし。

されども在城の人々には、津布子、山越、前原、岩水、垣上、小曽根、遠藤、根本、片山、村上、木村、岩下、広瀬、永井、飯塚、蓮、長沢、馬見田、内田、稲垣、河嶋、生方、戸山漸く三百騎にすぎず。

扨て(さて)、急に敵寄せ来り候えば、逆賊を後日に罪科せしむべし。

併し(しかし)まず逆党の張本なれば、岩間、中嶋、野口を召し捕り軍神の血祭りに、白砂にて首をはね、扨て其の首を化粧坂に掛けられたり。その外の軽率ども三十人ばかり頭をはね、荒戸鷺沼の南、稲荷塚の成敗所にて掛けられけり。

 



あらすじです。

そうしているうちに3月11日の早朝、桐生家中の謀反が露見しました
重役たちは大いに驚いて、早鐘をついて人を集めました。


けれども、頼みにしていた老中から、下民にいたるまで、悉く由良方になっていたので、集まる人もいませんでした

そうではありましたけど、桐生城(柄杓山城)中には、津布子、山越、前原、岩水、垣上、小曽根、遠藤、根本、片山、村上、木村、岩下、広瀬、永井、飯塚、蓮、長沢、馬見田、内田、稲垣、河嶋、生方、戸山など、300騎に満たない人々がいました。

さて、急な敵の襲来だったので、裏切り者は後日に処罰するべきでした。
しかし、裏切り者の張本人・岩間、中嶋、野口を召し捕り軍神の血祭りにあげ白砂で首をはねて、その首を化粧坂にかけられました
さらに、その外の軽率ども30人ばかりの頭をはね、荒戸鷺沼の南、稲荷塚の成敗所にかけられました

 



「謀反が露見」の経緯がわかりません


敵(由良氏)がやってくるという情報が入ったのでしょうか

早鐘とは、消防の半鐘のようなものでしょうか?
緊急事態と打ちならされる鐘にも、集まる人はいなかったのです
集合先は、桐生城(柄杓山城ひしゃくやまじょう)です。


数年前、右上のコース案内板の下・Pに車を置いて、本丸目指して登りました。
何が出るか分からないほどの、草に覆われたハイキングコースでした


だれも来ないけれど、城中には300騎もいたといいます
300騎も生活は難しいかな


史実的には、桐生城(柄杓山城ひしゃくやまじょう)は、何かの時の籠城用で、普段は西南麓の謂雲寺(いうんじ)のあたりが居館だったといいます



謂雲寺から見た柄杓山です
柄杓山城に桐生氏(佐野氏)が、いつも住んでいたわけではないのです


まあ、とても忙しいはずなのに、謀反の張本人として岩間、中嶋、野口を捉えて断罪にし首を化粧坂に懸けています
どうして、この3人が謀反の張本人とわかったのでしょうか


詮議などしている時間は無いはずだし、そう簡単に処刑してしまっていいのかな
おまけに、今味方は300騎で、たいした身分でもないもの30人ばかりの頭をはねて、荒戸鷺沼の南、稲荷塚の成敗所にかけたとは


化粧坂、荒戸鷺沼の南・稲荷塚の成敗所、ともに場所はわかりません


由良勢が来ているのに、そんなことをしている暇などないでしょうに

 

 

初稿  2019.08.17

改稿  2024.09.09

 

 

(つづく)

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