ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出てお散歩です。
今朝は、赤城山の姿が、いつもよりはっきりしています。
桜が咲いています
この桜は確か秋にも咲く桜だったと思います。
でも、ちょっと季節を間違えたかな?
ご機嫌で帰って、朝ご飯が配られるのを待ちます。
早くしてね
(桐生市新里町)奥沢の山奥に、早川の起点があるとの情報を得ました。
一級河川早川は、早川貯水池から流れ出して、長い長い旅をして尾島町堀口あたりで利根川に壕注します。
でも、早川貯水池以前の早川があるはずです。
なかなかたどる機会に恵まれませんでした。
情報を得て、さっそく出掛けて見ました。
奥沢神社からさらに遡り、奥沢3沼の西の方に行きます。
三堤碑といわれる碑があります。
奥沢3沼は、実は人工の沼だったのです
上沼は天保年中から弘化3年(1846)、中沼は嘉永安政の頃(1850年前後)、下沼は明治31年(1898)に完成とあります。
この碑の前を左折します。
早川です
橋の名は、弘法橋(こうぼうばし)です。
この上流が、早川の起点らしいです
川の縁になんとか駐車して、いざ上流へ
だいぶ上ってきました。
振り返って、あの橋は弘法橋です。
すこし雰囲気が変わってきました。
行く手に白いポールが見えます
ちょっと川は行き止まりです。
ここが早川の起点です
川としてはここから、でも水が流れ込む水路があります。
周辺の水を集めて、ここから早川が始まるのです
起点の奥に、小高い山というか丘があります。
古墳か赤城山の流れ岩か?
どうも古墳ではなく、流れ岩の感じです。
こだわり続けた早川の起点が確認できました
ありがとう
故郷尾島を流れる早川と、新里の早川貯水池から流れ出す早川が、同じ一つの川だと知ってから、もうう何年経ったでしょう?
やっと早川の起点が確認できました
さて、戻りましょう。
早川にかかる最初の橋です。
名前はないようです。
右の林の中に墓地が見えます。
ちょっと寄ってみます。
失礼します
宝篋印塔等もあって、立派なお墓です。
おや、片目がえぐられた小さなお地蔵様です
意図的にえぐられています
胸が塞がるような世界です
この子は、きっと病気で片目を失ったのです。
もしかして、天然痘(疱瘡)で、片目を失い命もなくしたのかもしれません。
ここら辺には、常広寺の檀家が多いと言います。
そういえば、常広寺の竜骨は痘疹(天然痘)にも効くという触れ込みでした。
「竜骨伝記」には、「痘疹の流行る時には男女ともににほひを嗅してものがれ又軽し」とあります。
もしかしたら両親は必死に求めたけれど、残念ながら彼女(女子に見えました)には効なかったのかも知れません。
なんとなくそんな情景が浮かんできました。
もしそうだとすれば、なんという奇遇でしょう
さようなら、逢えて良かったです
心を込めて合掌
「竜骨伝記」番外編の物語もありそうです
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