黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

雨の上州丸山宿

2021-07-04 21:30:59 | 群馬県・東毛

雨の一日です

ひめちゃんたちは、朝も夕方も貧乏カッパを着てお散歩です

 

小次郎パパは、今月15才になります。

若々しいパパと七海ママが、赤堀蓮園散策の写真です。

2007年の7月、パパはやっと1才です

 

ひめちゃんちにも、雨の中、百合が咲き出しています。

元気をくれそうに咲いてます。

もう百合の季節なのですね。

 

 

 

6月30日、吉沢の赤城神社を後にして、さざえ堂に向かいます。

 

途中、信号「丸山宿」で信号待ちです。

宿場があったのかな?

ハンドルを右に切ってしまいました

 

まあ、急ぐ旅でないからいいか。

あら、すてきなクラシックな町並み

でも人々が生活していそう。

カメラを向けることがためらわれます。

そうこうするうちに、クラシックな家並みが終わりそう。

 

あれ、説明板があります。

 

車も止められそうなので、ちょっと停車です。

丸山電気発電所跡ですって

丸山電気発電所は、この地で大正10(1921)年から昭和12(1937)年の16年間、直流電気を発電し、丸山七日市の家々に供電した。

小さな河岸段丘に土地の嵩あげを加えて1.5メートルの落差を作り、宿堀の豊かな水流を利用して、はじめは2.25kw、のち3.8kwを発電した水力発電所だった。

 

その後最近まで製麺所として使用されてきたのですね。

「呑竜うどん」ですね。

 

古い丸山宿のパンフレットもあります。

ちょっと読みにくいけど、分かり易く書いてあります

ちょっと切れてしまいましたけど、

丸山宿は、慶長11年(1606)11月、館林領主・榊原康政により桐生新町と太田宿の間の宿駅として開設されました。

 

桐生方面に向かう丸山の辻ですか

ちょっと見落としてきました

道標があるのですね

幕末に勤王の志士・高山彦九郎もここを通って記録に残しているのですね

渡辺崋山も記録に残しているのですね

万葉歌碑「しらとほふ を新田山の もる山の うらかれせなな 常葉にもがも」があるのですね

 

残念、見落としてきました

 

本日、用足しのついでに、丸山の辻を確認してきました

 

丸山の辻は、信号「丸山宿」を右折して、まもなく右側にありました。

真ん中に大きく万葉歌碑です

 

左には道標です。

北・桐生の文字が見えます

 

その奥は、高山彦九郎の『小俣行』のようです。

ちょっと見えにくい。

 

右奥には、渡辺崋山の『毛武遊記』です。

 

「丸山之郷 定」があります

この脇の道が、桐生に通じていたのです

 

今日は、控えめに、丸山宿を撮影です

向こうに見える山は、丸山です

 

クラシックな門の中に、歯医者さんです。

そういえば、ここは来た事があります

しばらく前に、書家の友人が、ここの蔵で個展を開きました。

周りを見ておくべきでした。

 

あの信号が「丸山宿」です

この風景に、バラがとても似合う色合いで咲いています

左の端に見える黒塀の所に、道標やらがあります

 

この先の空き地に先日の説明板があります。

雨の丸山宿、再訪できてよかった

 

(つづく)

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