ひめちゃんとタバサねーちゃんは、東から高縄の摩崖仏に回り込みます。
ひめちゃん、モコモコが始まりました。
しばらく換毛で、モコモコが続きます。
タバサねーちゃんも始まりそうだね。
高縄の摩崖仏、今朝は阿弥陀三尊がはっきり見えます
岩神沼のほうに下ります。
沼の上方の湿地には、やっぱりアオサギさんがいました
ひめちゃんたちに気づいて、飛び去っていきました。
先日抜糸が済んだ小次郎パパ、少し元気になってきました。
背中の毛が、早く生えそろうといいね
都合で翌日(2月27日)、惟喬親王伝説の里・天王山長岡寺(太田市西長岡町)を訪問です。
南から入ります。
左の門柱の脇に、三尾稲荷大明神・長光開眼薬師如来と案内があります。
神仏習合しています
そういえば、新田(太田市)では、廃仏毀釈はほとんどなかったという話も聞きました。
右の門柱には天王山です。
まず門を入って左にある三尾稲荷大明神に参拝です。
鳥居がなんとなく惟喬親王宮に似ています
けっこう貫禄ある、駒犬ならぬ駒狐さんです
失礼します。
2礼2拍1礼です
さて、お寺の方に歩を進めます。
また、門柱です。
その奥にクラシックな山門です
山門には、これまたクラシックな方々です
合掌
山門をくぐって、左に見えるのが、長光開眼薬師如来かな?
左手に薬壺をお持ちのように見えます。
合掌
本堂前でも、合掌
庫裏に寄って御朱印を頂きたいところですけど、時節柄そしてあまりに静まり返った境内なので、遠慮しておきましょう
長岡寺のHPによると、
大胡城主益田茂政公が、その子繁俊公を伴い、当地に移り住み、長岡寺を菩提寺としました。その頃、文明13年(1481)。以来、法灯を護り今日へと引き継がれております。
文明は、あの戦国時代の幕開け・応仁の乱(1467-1477)があった応仁の次の年号です。
普通に考えると、大胡城が落城して逃れてきたというふうに思えますけど
大胡城主・益田茂政、知りませんでした
獅子丸の元養家のご先祖様・山上郷右衛門顕将も大胡城主だったことがあるとかいいます。
大胡城主・益田茂政、これから気にしていきましょう
『桐生老談記』の作者・高橋守行(たかはしもりゆき 1716-1766)は、領主からここ長岡村と隣の菅塩村の管理を命ぜられていたといいます。
もしかしたら、長岡寺に寄ったことがあるかも知れませんね。
隣の菅塩村(太田市菅塩町)にも、そのうちに足を運んでみましょう
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