黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

江戸の地名名付けの寺

2019-03-28 22:33:15 | 群馬県・旧勢多郡
今朝は暖かい朝でした。
ひめちゃんと小次郎パパは、堀之内を西に出て、田んぼ中の道を下ります。
赤城山は白いです
麓は暖かい夜でしたけど、赤城山には雪が降っていたのです。



後ろ姿で失礼します。

ひめちゃんたちは、無量寺を通って帰りました。




桐生に高名な民話収集家がいます。
数年前、その方が新里の民話も収集したそうです。
ところが、ここらへんで一番古い獅子丸家には取材が無かったそうです

どのようなルートで取材がなされたかわかりませんけど、その中に「江戸の地名名付けの寺」の話があります。
簡単にまとめると、

昔、新里の常広寺の和尚さんが江戸に行きました。新里の偉いお坊さんが来たというので、人々が集まりました。そして、地名を付けてくれと言うので、新里の地名を江戸に付けました。



新里は明治時代に近隣の村の合併で誕生した村です。
常広寺の本寺は、前橋の橋林寺です。
新里の常広寺の和尚さんは、江戸に何をしにいったのでしょう?
不思議な話です
確かに新里に、大久保・板橋・柴・高縄(たかなわ)・五反田・上野といった、東京都同じ地名はありますけど。

小字を念入りに見ても、上記6つくらいです。





ちょっと足りないでしょう



新里の山上に古くから伝わる「江戸の地名名付けの寺」は無量寺です。

昔々、無量寺の和尚さんは、足利学校で太田道灌を教えました。和尚さんは、道灌が江戸城を造ったとき、完成祝いに呼ばれました。そして、まだ地名がない江戸の町に地名を付けてくれるように頼まれました。


足利まで和尚さん行くのは、そんなに大変ではないです。
多分馬なら1時間くらいかな?
安永年間に、足利市小俣の鶏足寺から、わざわざすぐ近くの常広寺に竜骨を見にきたくらいですから。
(常広寺の竜骨については後日

さもありなんという感じもしますけど、どこにもありそうな地名にも思えます



無量寺は、現在堂宇等はありません。
でも廃寺ではなく、新川の善昌寺が兼務という形で存続しているんだそうです。

境内跡に、わずかに残る無量寺の記憶です



隣の民家の入り口に如意輪観音が見えます。




無量寺はもっと広かったでしょうから、まあ葛塚城の裏鬼門と考えられなくもありません。
今朝ひめちゃんたちは、無量寺の東の道を帰りました。



この道の突き当たりに、庚申塚古墳があります。



庚申塔や書面金剛、双体道祖神などがあります

ここらへんは、旧佐波郡東村の交通の要衝・六道の辻から山上道が通じていたかも知れません







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