黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

赤堀念仏往生伝の記憶を訪ねて・その2(三界萬霊)

2022-09-12 21:22:28 | 念仏往生伝の記憶を訪ねて

タバサねーちゃんは、2008年の7月に生まれました。

一緒に生まれたきょうだいには、黒柴の「小太郎」と「ねね」がいました。

なぜか、タバサにだけは色がありませんでした

でも、きょうだいみんなで仲良く思いっきり遊びました。

ママ、少し後ろに「ねね」、前に小太郎、タバサです。

「ねね」はおとなしい子だったのです。

小太郎とタバサは積極的な子だったのです。

 

きょうだいたちが養子に行ってしまうと、ののこねーちゃんとよく遊びました。

生後半年くらいのタバサねーちゃんです。

七海ママとののこねーちゃんと一緒に、ミニドッグランでよく遊びました。

なんとなくみんな似ている

親子姉妹だから当たり前だけど。

時には、ののこねーちゃんとやり合うこともありました

でも、3名でよく一緒にミニドッグランで遊びました

 

 

 

 

あちこちのカテゴリーに散らばった、上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』関係の記事を、集めて編集中です

 

 

「念仏往生伝」に記された、赤堀の往生人はどこに住んでいたのか?

このうちの2人、赤堀紀内男と懸入道は、たぶん人の多いところだったのでしょう

毒島尼は西方の毒島城の辺りでしょう。

市場町が気になります

 

地図で市場町を眺めると、区民センターに「三界萬霊(さんがいばんれい)」という札所・寺院があります

行ってみよう

 

山車庫の前に、広い駐車スペースがあります(訪問は21年2月です。)。

廃品回収もここで行われるようです。

地域の中で生き残っているのです。

 

右手にお堂らしき建物があります。

石造物もあります。

僧形の墓石もあります。

タバサねーちゃん、情報収集中です。

 

お堂の東にも山車庫です。

市場町一丁目は、2台の山車があるのでしょう。

 

建物(お堂)には、三界萬霊とあります

三界萬霊とは、この世の全ての霊を祀っているということでしょうか?

 

向こうの方に石宮が見えます。

山車があって石宮があって、庚申塔があって、僧形の墓石があって、神仏融合している感じです

失礼します

ご本尊は、釈迦牟尼仏でしょうか?

合掌

 

あれ、さっきの庚申をよく見ると、3猿が1名ずつ別の面にいます

初めてです

細い通りなので、ウオーキングの人もけっこう通ります。

 

地元のおばさんらしき人が、タバサねーちゃんに、「かわいいね

「ありがとうございます。あのう、ここにはお寺があったんですか?」

「まだやってるよ。坊さんはよそから呼んでるけど。」

「ええッ、どこのお寺ですか?」

「そこの大林寺だよ。」

「ありがとうございます。」

 

赤堀ベイシアの隣、大林寺も近くでした

ここは人々の行き交う市場町でしたね

 

さて、お使いして帰りましょうね

 

 

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赤堀念仏往生伝の記憶を訪ねて・その1(磯沼と十二所古墳)

2022-09-09 14:03:26 | 念仏往生伝の記憶を訪ねて

今朝はなかなか雨が止まず、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、小雨の中をお散歩に出ました

何時の間にか雨も止んで、諏訪神社の向こうの高台を突き当たりまで歩きました

山上城跡公園の南を帰ります。

 

2人の足は、ケンくんちに向かいます。

ケンくん、いるかな?

 

逢えましたけど、ガラス越しの逢瀬でした。

 

でも、逢えて良かったですわ

 

 

 

 

あちこちのカテゴリーに散らばった、上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』関係の記事を、集めて編集中です

 

 

上野国山上に住んでいた行仙上人(ぎょうせんしょうにん)が編纂したという『念仏往生伝』には、赤堀で念仏往生を遂げた人が3人でてきます。

 

第28話・赤堀紀内男、第29話・同所懸入道、第30話・毒島尼の3名です。

 

第廿八 同国赤堀紀内男

盛年之比。以博奕成業。而建長元年閏十二月或時戌剋許。僧二人出来告云。汝近日可生極楽。早遂出家也。件僧経一夜。至其朝不知行方。其後出家。俄痢病更発。兼以十余日 。前両僧又来。毎夜教訓之至。同月廿二日。所住西方墻等悉破去。遙向西方天逝去了。

第廿九 同国同所懸入道

自在俗之時。常高声念仏。至老年遂以出家。至建長三年五月廿四日。仏来告云。来六月二日辰時可往生云々。仍廿五日樹市中。告諸人云。来月二日可往生 。諸人来結縁云々。人々不信之。或人至其期。相尋之処。至其門辺。聞有火急之声。即是彼最後念仏也。看病云。只今沐浴潔斎。着紙衣袈裟。端座向西。火急念仏。五十余遍。即臨終了。智阿弥陀□止見之語之。

第三十 同所布須島尼

年来念仏者也。信心殊深。剰若有病者。以念(以下欠落)

(『日本思想体系 7 往生伝・法華験記』1974岩波書店)

 

28話の主人公は、若い頃博打打ちだったけれど、念仏往生した人の話です。

29話の主人公は、は、ずーと信心深く、老年になって出家、仏のお告げを受けて、市中に立って、「私は来月二日に往生します。みなさん来て、結縁してください。」と云って、往生していった人です。

30話の主人公は、欠落部分が多くてよく分かりませんけれど、信心深い世話好きのおばさんの姿が思い浮かびます。

 

 

 

赤堀の念仏往生譚(ねんぶつおうじょうたん)が何処の話かわかりませんけど、布須島尼と関係ありそうな毒嶋城の近くということで、磯沼をちょっと散策です。

(訪問は2020年8月です。)

沼の周りを、現在地からほぼ赤い線で左回りに散策です。

 

網が張ってあります。

鯉か何かいるのでしょうか?

 

振り向いて堤の上には、弁財天です。

 

その向こうには、小さな円墳が、ポツンと寂しそうです

隣は、天幕城趾のあかぼり蓮園です。

堀切跡が蓮園になってます。

 

沼の畔には管理用のボートでしょうか?

アオサギが1羽舞い降りてきましたけど、シャッターチャンスを逃してしまいました

でも、よく見るといます。

ボートの向こうに水面に影を映しています

 

出口です。

桜の季節には、網も気にならない花の名所なのでしょう。

ここから駐車場まで道路を歩きます。

 

駐車場に不思議な建造物があります。

周辺の景色に馴染むように工夫されたデザインのトイレです。

 

 

近くにある十二所古墳、まだ行った事がありません。

行ってみましょう

駐車スペースが見つからなくて、ちょっとウロウロ

橋の名は、十二所橋です。

大正用水にかかる十二所橋です。

 

橋のたもとにちょっと駐車して、いざ古墳へ

 

前方後円墳だったんですか

未発掘なんですね

赤城山がよく見えます

天幕城もよく見えます

長い間歴史を見つめてきたんですね。

おつかれさま

 

元博徒で念仏往生した人は、たぶんもっと街中に住んでましたね

市中に立って往生を触れた人も、市中にいたはずです

毒島尼は、毒島城の近所かな?

 

赤堀には、市場町の地名があります

今度はそちらを歩いてみましょう

 

 

 

 

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波志江の老女の面影を求めて・その4(愛宕神社)

2022-09-05 14:20:50 | 念仏往生伝の記憶を訪ねて

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、こぬか雨降る堀之内を北に出ます

久しぶりに、高縄の集会所です。

花いっぱい運動で、酷暑にも花は途切れなかったようです

雨は止んだよ

ご褒美ちょうだい

以前はミニジャーキーなども持って行きましたけど、最近はツブツブカリカリのドッグフードを少し持って行きます。

 

帰り道、道ばたには、早くも栗のいがが口を開けていました

 

 

 

あちこちのカテゴリーに散らばった、上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』関係の記事を、集めて編集中です

 

「念仏往生伝」第27話は、上野国淵名庄波志江市小中次太郎母 です。

第廿七 上野国淵名庄波志江市小中次太郎母

年八十二。建長六年(甲寅)春往生。兼十七日。高声念仏不懈。最後臨終。端座合掌。金色光明。遙自四方。徹葦墻二重而照。又人々見紫雲瑞 。莫不稱美。

 

 

(2020年8月15日)シイの木公園に行くときに、気になった神社にも寄って行きます

駐車場がはっきり分かりませんでしたけど、とりあえず神社の後ろの空き地に駐車です。

 

脇道から入っていくと、まず目に付いたのが「波志江の屋台」の説明板です。

この地域は台地上にあり、水利に恵まれない土地柄で、壮麗な雨乞祭礼を子なったので「雨乞屋台」の別名がある。

 

ええ、ここは雨乞いをしなければならないほど、水に困った土地ですか

だって、さほど離れていない波志江沼のあたりは、滾々と湧き出て尽きる事を知らない七つの泉があったというのに

 

鳥居から入り直しです。

村社愛宕神社(あたごじんじゃ)とあります。

 

右の狛犬です。

左の狛犬です。

ふっくらめの穏やかな狛犬です

神楽殿が見えます。

 

 

すっきりときれいな拝殿です

開け放たれているのがいいですね

 

参拝の作法が、ちゃんと指示されています。

2礼2拍1礼で、参拝です

 

 

拝殿脇に、愛宕神社社殿造営祈念碑があります。

「大正2年秋に金蔵寺(こんぞうじ)と土地交換して移転した」とあります。

そういえば、『上野国郡村誌』佐位郡波志江邨には、「村ノ西方ニアリ」とあります。

でも、木々はうっそうとして鎮守の森の雰囲気です。

 

その後ろの宝塔には、注連縄があります。

古い社額も保存されています。

 

宝塔には何か刻んでありそうですけど、わかりません。

宝塔は、中世の石造物です。

平安時代後期からみられ、鎌倉時代中期から後期にかけて急速に普及したということです。

 

あれ、もしかしたら?

もしかするかも?

この日一番の、『念仏往生伝』上野国淵名庄波志江市小中次太郎母の面影でした

 

 

 

 

 

 

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波志江の老女の面影を求めて・その3(金蔵寺)

2022-09-03 20:34:01 | 念仏往生伝の記憶を訪ねて

夕方、今にも泣き出しそうな空です

 

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、南の方にお散歩です。

小次郎パパも、そこらまでのちい散歩です。

後ろ足が退化して思うように歩けませんけど、まだしっかり食べています。

パパ、ガンバだよ

娘達は、無量寺まで足を延ばします。

無量寺は、僅かの石造物と墓地を残して、一見廃寺です

でも、新川の善昌寺が兼務という形でお寺としては存続しているそうです

垣根の隙間から、ちょっと失礼します。

あの無量寺の記憶は、しっかり民家の庭の中です。

今夕は、雨に濡れずに帰宅できました

 

 

 

 

あちこちのカテゴリーに散らばった、上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』関係の記事を、集めて編集中です。

 

「念仏往生伝」第27話は、上野国淵名庄波志江市小中次太郎母 です。

第廿七 上野国淵名庄波志江市小中次太郎母

年八十二。建長六年(甲寅)春往生。兼十七日。高声念仏不懈。最後臨終。端座合掌。金色光明。遙自四方。徹葦墻二重而照。又人々見紫雲瑞 。莫不稱美。

 

2020年 8月15日、波志江の大シイに逢いに行きました。

シイの木公園に入る路地は狭く、車のすれ違いは難しそうです。

折悪しく、車が出るところで、左折不能、やむなく直進しました。

すると、右に神社が、更に行くとお寺がありました

でも、第一目的地の、大シイに逢いにいこう。

お寺と神社は後回し。

なんとかUターンして、今度はシイの木公園の路地に入れました。

 

 

大シイの後は、まずお寺に寄ってみます

ここも波志江のはずです

 

門柱の間を入ります。

念仏供養塔の文字が見えます

奇縁ですね

かなりクラシックな石造物もありそうです。

 

山門前が駐車場になってます。

天台宗金蔵寺です。

金蔵寺は「こんぞうじ」と読むようです。

隣はお寺経営の幼稚園です。

 

せっかちなおじさんは、もうクラシックな山門を通り過ぎて本堂の方に向かってます。

 

りっぱな本堂です。

見事な向拝です

鶴が目立ちます

このあたりの沼に来ていたことがあるのかな?

名のある彫刻師の作品かもしれませんね

 

天井絵もあります

鳥、それも鶴がいっぱいいるような感じです

合掌

 

 

左手に石仏とお堂があります。

失礼します。

お堂の中は、薬師様?

合掌

 

 

おや、お外のお首のないお地蔵様に、「念仏請中」の文字があります

御朱印をと声を掛けてみようとも思いましたけど、8月15日なので遠慮しました。

 

 

『上野国郡村誌』に「上野国佐位郡波志江邨」に、金蔵寺があります。

天台宗近江国比叡山延暦寺ノ末派ナリ、村ノ中央ニアリ、開基創建年度詳ナラズ

ここが波志江村の中央だったのです

 

『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成11)に、

寺伝では平安時代初期、慈覚大師円仁の開山としている。・・・(中略)・・・『念仏往生伝』に、「波志江の市の小中の次太郎母、年八十二、建長六年(1254)春往生」の記事があり、古くから念仏信仰などの盛んなところであったことが知られる。

 

なんと波志江の老女の記憶が語られています

不思議な御縁で、寄らせていただきました

 

 

 

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波志江の老女の面影を求めて・その2(波志江の大シイ)

2022-09-01 15:14:56 | 念仏往生伝の記憶を訪ねて

ひめちゃんタバサねーちゃんは、諏訪神社の向こうの高台を歩きます。

今朝はタバサねーちゃんも元気に歩きます。

さて、お写真を撮りましょう。

あれ、「カードがありません」だって

 

そんな事情で、本日は獅子くんアーカイブで、2020年9月5日の写真です。

夕方、ひめちゃんと獅子丸とタバサねーちゃんは、おとうさんとお散歩してきました。

元気いっぱいに帰ってきた3名です。

 

 

 

あちこちのカテゴリーに散らばった、上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』関係の記事を、集めて編集中です

 

『念仏往生伝』の第27話、「上野国淵名庄波志江市小中次太郎母」は、波志江の人です。

そして、建長六年(1254)の春に、82歳で念仏を唱えながら極楽往生したということです。

 

年八十二。建長六年(甲寅)春往生。兼十七日。高声念仏不懈。最後臨終。端座合掌。金色光明。遙自四方。徹葦墻二重而照。又人々見紫雲瑞 。莫不稱美。


文字を眺めての、大体の意味です。

淵名庄波志江市小中次太郎母は、82歳で、建長6年甲寅(きのえとら)の年の春に、念仏往生しました。
17日間休まず、声高に念仏を唱え続けました。
正座して合掌して、臨終を迎えました。
金色の光明が、遙か四方から二重の葦の垣根を貫いて照らしました。
また、人々はめでたい紫雲をみました。
この様子に、たたえない者はありませんでした。

 

もう少し、彼女の生きた波志江の風景にあいたいなあ

地図を眺めていると、波志江の大シイがあります

 

かなり細い路地を入るようです。

よくよく、ストリートビューで曲がるところを確かめて出発です(2020年8月の訪問です)。

住宅地の細い路地で、目立つ高木もないし、ちょっと不安

でも、無事到着です

シイの木公園、小さな公園になってます。

 

ちょっと路上駐車です。

せっかちおじさんは、もうシャッターを切ってます。

ズーッと見上げるほど大きな木を想像してきたので、シイの木公園の表示がなければ見落としていたかも知れません

上の部分が落雷や台風で、枯れたり落ちたりしたのかな?

年輪を重ねた幹ですね

歴史を飲み込んできたというべきか

 

説明板があります。

樹齢約600年ですか

念仏往生伝波志江の彼女より、ちょっと若いです

でも、その歴史を飲み込んできたすごい幹に感動です

 

真ん中が折れたかな?

 

 

遊具もありますね。

住宅地の公園なので、季節によっては子ども達の声がいっぱい聞こえるのでしょう

 

南側の道路から見た、大シイです。

一瞬、鳥居かと思いました

単なる支柱であったようです。

でも、神や仏が宿っても当然の雰囲気です

この洞(うろ)に、物語があってもおかしくないですね

いつまでも長生きして、もっともっと歴史を飲み込んでくださいね

 

 

(つづく)

 

 

 

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