ちょっと最近、自分語りが増えてきた。
別に自己顕示欲が強くなったわけではない。
おそらく、レンブラントが執拗に自画像を描いたように、自己というものを明確に解析し、画布ではないが、ブログの上に焼き付けておこうという意思が働いているものと思われる。
しかし、こんなことをされると家族はいささか迷惑だ。
情報公開の累が彼らにも及ぶからだ。
そこで最近は極力彼らには触れないことにしている。
徹頭徹尾、自己のことばかりである。
そうすると孤独なくたびれた老人の姿が浮かび上がってくる。
しかし、それが真の自己の「自画像」なのだ。
ただ、こんな醜悪なものを読まされて不快になる読者には申し訳ないと思っている。
口切に思いもよらず慕ふ人 素閑
口切の露地花なくも麗しき 素閑
口切に訪ね行きたる月の庵 素閑
口切の窓に映すは夜の湖 素閑
口切に鄙の山家もはなやぎて 素閑
口切や風に吹かれて老ゆる松 素閑
口切にただくれなひの暮れの富士 素閑
口切や使いの者と任ぜられ 素閑
口切や峰に去り来る冬霞 素閑
六十の老翁となり口切や 素閑
口切にながし旧友招きたり 素閑
口切の外は水音のみなりや 素閑
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます