今日は宮城県南部の村田と岩沼のスピチュアルスポットを旅します。
最初は、村田ICから車で5分ほどの所にある白鳥神社に行きました。
『蛇藤(じゃふじ)伝説』が有名です。鳥居駐車場のすぐ横に小さな赤い橋があってその向こうに見える赤い鳥居は、実はニの鳥居で、一の鳥居は駐車場の手前(道路側)にあったそうなんですが
3.11の震災で崩れてしまったんだそうです。
二の鳥居をくぐって、左側に手水舎。
二の鳥居をくぐるといきなり目の前にかがまないとくぐれない位の、たくさんの枝が境内を横切っています。
これが『蛇藤伝説』で有名な、奥州の蛇藤です。
離れた杉の木にまでこの枝が延々と伸びていて
本当に大蛇が絡み付いてるみたいに見えます。
さて、奥州の蛇藤をくぐって境内を進むと
次に見えてくるのは、ボコボコとコブだらけの木。
こちらは、ものすごく大きなケヤキの木。このコブは「ヨロコブ」といって縁起がいいそうです。
三の石鳥居をくぐると拝殿があります^^
本殿の狛犬さんが可愛いのです。
拝殿のちょっと右手前に、白鳥神社のご神木でもある大銀杏の巨木があります。ザックリと切られちゃってます。震災で一の鳥居が折れてしまった上にその後の台風で、こちらの大銀杏の巨木もボッキリと折れてしまったんだそーです。
こちらの大銀杏はまだまだ元気一杯で、折れた後も次々と枝が出てくるので
この大銀杏の生命力にあやかり、こちらの神社では折れてしまった巨木を細かく切って『大銀杏木霊守』として頒布しているそうですが、社務所はクローズして朱印もいただけませんでした。
白鳥神社は、景行天皇の53年(西暦123年)
日本武尊の没後に、お父さんである景行天皇が亡き息子を偲んで
息子が布陣したこの地に大宮白鳥神社を建立したのが白鳥神社の起源だと伝えられています。
もちろん、ご祭神は日本武尊です。
ヤマトタケルノミコトは亡くなった後、白鳥に姿を変えて飛んでいったと日本書紀や古事記に記載されているので、白鳥神社の社名はここから来ているんでしょうね。
その他、前九年の役の際に源頼義・義家親子が陣太刀一式を寄進したり
文治5年の奥州合戦の際に、源頼朝が戦勝祈願で宝鏡と太刀を寄進したり日本史にも登場する数々の名将達が太刀を奉納して戦に勝利したといわれる、大変由緒ある神社です。
そのため、こちらの白鳥神社は現在も必勝祈願に特に霊験あらたかです。
バレー部 卓球部の必勝祈願をしました。
最初は、村田ICから車で5分ほどの所にある白鳥神社に行きました。
『蛇藤(じゃふじ)伝説』が有名です。鳥居駐車場のすぐ横に小さな赤い橋があってその向こうに見える赤い鳥居は、実はニの鳥居で、一の鳥居は駐車場の手前(道路側)にあったそうなんですが
3.11の震災で崩れてしまったんだそうです。
二の鳥居をくぐって、左側に手水舎。
二の鳥居をくぐるといきなり目の前にかがまないとくぐれない位の、たくさんの枝が境内を横切っています。
これが『蛇藤伝説』で有名な、奥州の蛇藤です。
離れた杉の木にまでこの枝が延々と伸びていて
本当に大蛇が絡み付いてるみたいに見えます。
さて、奥州の蛇藤をくぐって境内を進むと
次に見えてくるのは、ボコボコとコブだらけの木。
こちらは、ものすごく大きなケヤキの木。このコブは「ヨロコブ」といって縁起がいいそうです。
三の石鳥居をくぐると拝殿があります^^
本殿の狛犬さんが可愛いのです。
拝殿のちょっと右手前に、白鳥神社のご神木でもある大銀杏の巨木があります。ザックリと切られちゃってます。震災で一の鳥居が折れてしまった上にその後の台風で、こちらの大銀杏の巨木もボッキリと折れてしまったんだそーです。
こちらの大銀杏はまだまだ元気一杯で、折れた後も次々と枝が出てくるので
この大銀杏の生命力にあやかり、こちらの神社では折れてしまった巨木を細かく切って『大銀杏木霊守』として頒布しているそうですが、社務所はクローズして朱印もいただけませんでした。
白鳥神社は、景行天皇の53年(西暦123年)
日本武尊の没後に、お父さんである景行天皇が亡き息子を偲んで
息子が布陣したこの地に大宮白鳥神社を建立したのが白鳥神社の起源だと伝えられています。
もちろん、ご祭神は日本武尊です。
ヤマトタケルノミコトは亡くなった後、白鳥に姿を変えて飛んでいったと日本書紀や古事記に記載されているので、白鳥神社の社名はここから来ているんでしょうね。
その他、前九年の役の際に源頼義・義家親子が陣太刀一式を寄進したり
文治5年の奥州合戦の際に、源頼朝が戦勝祈願で宝鏡と太刀を寄進したり日本史にも登場する数々の名将達が太刀を奉納して戦に勝利したといわれる、大変由緒ある神社です。
そのため、こちらの白鳥神社は現在も必勝祈願に特に霊験あらたかです。
バレー部 卓球部の必勝祈願をしました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます