昨日は本荘郷土資料館サポーター研修視察でした。
最後の視察地は善寶寺です。
事前に説明のお願いをしていたので,若い坊主さんが概略を教えてくれました。
龍澤山善宝寺は山形県鶴岡市下川関根に境内を構えている曹洞宗の寺院です。
善宝寺の創建は平安時代の天慶年間(938~957年)に黄金村の妙達上人が堂宇を建立したのが始まりとされます。
当初は龍華寺と称し天台宗の寺院でしたがその後荒廃し、延慶年間(1308~1311年)に總持寺
の2世峨山紹磧がその境内を利用して曹洞宗の布教を行いました。
總持寺は鶴見にある東日本最大級のお寺です。説明をしてくれた坊主も總持寺で研鑽して善寶寺に拝任されたそうです。
永享年間(1425~1441年)には太年浄椿が堂宇を再建し、曹洞宗の寺院として改宗開山し寺号を龍澤山善宝寺に改めました。
伝承によると浄椿(峨山紹磧とも)が境内で修行をしていると竜宮竜道大竜王と戒道大竜女が出現し寺号を授けると自ら善宝寺の守護神になるとして貝喰池に御隠れになったと伝えられています。
以来、竜宮竜道大竜王と戒道大竜女が竜神信仰の対象となり、特に航海安全、大漁祈願などに御利益があるとされ、漁師や船乗りなど海や水を生業とする人達からの篤く帰依されました。
その後も信仰者から多大な庇護を受けて寺運が隆盛し天保4年(1833)には龍王殿、安政2年(1855)には五百羅漢堂、文久2年(1862)には山門(二重門)、明治16年(1883)には五重塔が造営され現在の境内には20以上の建物がひしめき合い信仰の厚さを感じる事が出来ます。
五百羅漢堂は入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行5間、梁間4間、真壁造り板張り、江戸時代後期の御堂建築の遺構として貴重で「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成27年(2015)に国登録有形文化財に登録されています。
特に五重塔は日本唯一の「魚鱗一切の供養塔」として漁業関係者の浄財により鶴岡出身の名工高橋兼吉が棟梁として手掛けた名建築とされます。
寺宝である菱田春草筆の「絹本著色王昭君図」は大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
北国八十八ヶ所霊場第41番札所です。(札所本尊:薬師如来)。
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