新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
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「桃太郎の繰り返しの論理構造」の話

2025-02-24 17:25:32 | 「わたし事・学」
「桃太郎の繰り返しの論理構造」の話

私が初めて「桃太郎の繰り返しの論理構造」文面を知ったのは月刊空手道誌の「武道講義」であった。
それから35年が過ぎたであろうか…


今日、やっと初めて「桃太郎の論理構造」とは何か!を悟った。


前回に読んだ時には、「一字一句全く同じ文章」の前の文章の違い~
「そこへ」、「しばらく行くと、そこへ」「また、しばらく行くと、そこへ」…
と時間・場面経過の表現言語の増加…は確認したが…

で…今回は、二度以上は読もうしない理由に気付いた…
物語の内容なら、一回で理解・記憶可能だから…もう読まない。
でも、仮に「桃太郎の言説を丸暗記」しようとしたら…一回では不可能。

事実レベルの論理構造を書くなら~
桃太郎は、犬・猿・きじ…と異なった相手に自分の認識・思いを「一字一句全く同じ言葉」表現している。


これを空手に例えるなら、組手で眼前の異なっている対手に
毎回「全く同じ形の基本突き」を決められるか?

または、自分の気分・相手への自分気持ちに無関係に、
(自分が望めば)常に明るく笑顔でいられるか?


その物事と関わって、その物事を楽しむ事。
その物事と関わって、その物事を体得する事。


その物事を丸ごと、コピーするが如く体得する事。
その物事で、自分の求める部分を体得する事。



認識は像である。言語は表現である。
対象の論理・論理構造の悟りは認識!
その「悟り」認識を自分言葉で表現し難い!実感~

「認識」と「表現」の問題…

野球選手は、「ホームラン打とう」認識を、身体で表現している。
彼らは、その認識表現の為に、どれ程の練習を重ねて行くのだろうか…


言語表現で「ホームラン打つ」認識と身体表現での「ホームラン打つ」実践の問題。


「桃太郎の繰り返し文章の読み理解・認識」と「桃太郎の繰り返しの体得・実践」の問題。









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