ギリシャ時代のソクラテスは、
相手の先入観・価値観・固定観念…等の確信している観念に
揺さぶりをかけて、より高く豊か・高次の認識・観念創出を目指したのだろう。
例え相手がギブアップしたとしても、
決してソクラテス自身の認識・観念を押し付ける事無く、
共に考えよう!考えてゆこう!としていたのだろう。
もっとも…これは私の想像・推測なので、正解がどうかは不明である。
でも!しかし!である。
ここネット界のソクラテスは、相手を揺さぶるまでは同じでも…
揺さぶって…揺さぶって…最後は、
どうしようもない持論・自己矛盾観念を自信タップリに書き撒くっている。
人間が社会生活をする上で、自信は必要不可欠なモノである。
それでも…行き過ぎた自信、自信過剰は自己の成長を阻害するモノである。
子供も然りである。
小学生なのに、「自分は先生より凄い!」なんて自信過剰者は、
先生の教えを正しく認識できず、小学生レベルの自分勝手に
理解・把握して満足してしまっている。
例えば、小二の算数に「サクランボ算」という計算方法を習う。
これは、私の小学生時代には教えられなかった計算方法である。
サクランボ算の例として、「13-8」の引き算で書くなら、
先ず「13を3と10」に分解して、
「10-8=2」の計算して、「2+3=5」と答えを求める。
実際に書く時は、
13の下に丸に入れた3と10を書き、
10と3を大きく丸で括って引き算をしていく…
引き算なのに、引き算と足し算の二回の計算をするので…
塾に通っていたり、自得している子供は面倒なので真面目に覚えない。
確かに暗算で一発計算が可能な子供には面倒な計算である。
それでも、十進法の繰り下がりを覚えるには、とても有効なモノであろう。
暗算が出来ている子供は、計算に自信があるので…
結果的に教科書にかかれていて先生のが教える事を真面目に覚えようとしない。
ネット界のソクラテスも、大量のネット情報を取り入れて自信タップリなのだろう。
自由びとの体験的記述を彼自身の体験とすり合わせるのではなく、
ネット情報を用いて、揺さぶりをかけてくる。
揺さぶって、揺さぶって、相手の揺らぐ姿に満足して、
それから、ネットネタから持論を展開してまたまた満足して、
反論してくる相手をまたまた揺さぶって、またまた満足して…
満足!満足!の連続で
結果的にただでさえ過剰な自信が、
更に増加して過・過剰になって…
後は、
「吾輩は天才である」
「吾輩は絶対真理の体得者だ!」
なんて…
もうどうしょうもない、
自己満ソクラテス化で
後は、
そのまま墓場へ直行…
なんてね!
もっとも…
そんなソクラテスを黙らせる表現力が私にあれば…
今の気持ち・感情も…違っているのだろうが…