ふと思った…
日々の生活の中で、感情を抑えられない事は、悪or善?
勝利して大勢の前での大泣きは?
怒りで相手を殴る事は?
笑いまくって周囲に唾をまき散らす事は?
楽しくて一人で喋り捲る事は?
愛の告白を断られてその場で大泣き?
誰かが「苦しい時は笑え」と言ったが…
本当にそうなのか?
苦しい時に笑えるはずがない…
という人もいるが…
恋は「する」モノではなく、
「落ちる」モノという人もいる。
「する」と「おちる」の違いは?
「人間は感情の動物」だそうである。
ならば、感情の制御は可能なのか?
そもそも、感情制御は必要か?
ある人は言っている。
泣きたい時に泣き、
怒りたい時に怒り、
喜びたい時に喜んで、
悲しみたい時に悲しんで
何が悪い!
それでも、ある人が言う
「感情に溺れるな!」と…
教育での「アメとムチ」とは何の事?
善い事をしたら、誉める・アメ。
悪い事をしたら、叱る・ムチ。
これは、
善い事をする=快感。
悪い事をする=不快。
それらの感情レベルでの教育である。
こう考えると体罰も同様である。
これは罰ではなく、教育的刺激となろう。
人は怒りの感情で、相手を殴ってはダメであろう。
殴られた人は、相手を怒らせた後悔・反省ではなく、
相手から殴られた痛み・怒り・悲しみの感情を抱いてしまうから…
怒りの感情を相手に知らしめたいなら
怒りを言葉に込めて、相手に叩きつけるのが善いのだろう。
それは、
人によってまちまちで、
鋭い言葉、きつい口調、
悲しい言葉、
理路整然とした言葉、
ユーモアたっぷりの皮肉、
無言・沈黙だったり…
結論的に言って、
強烈な感情は、その人的な態度・言葉・行動と直結し得る。
自閉症的なら、感情は表面化せず、自己の中で溜まり続け、
ある瞬間に大爆発する、ようだ。
情緒障害児の場合は、感情は即態度・言葉・行動となり、
その態度・言葉・行動が学校・集団生活を乱すモノ的である。
そうそう~昔に師範が言っていた。
空手の達人は、
『このやろう!』と思った瞬間には、相手を殺している。
だろう…と、
何事も技化しえた時、それは感情と直結している。
だから、相手の事を「『このやろう!』とは思わない達人。
相手に二重化して、相手の気持ちになり得て、
『この野郎!』⇒『そういう奴なのか!』⇒殺人の回避となる。
「怒りの感情」ではなく、「納得の感情」への変換なのだろう。
だから、
現代社会での、合社会的な武道空手の達人の養成はし難いなのだろう。
いやはやなんとも…
思っている事を言葉にするのは難しい…