2024/12/22の日曜日の午後、クリスマスも近づいているのに、
「紅葉探し」はいくらなんでも、もうないよなぁと思いつつ、
今日はあまり時間もないので山添辺りをぶらりドライブ🚙。
山添村の交流施設ソエルからなんと「伊賀盆地」が。
丁度太陽光線が当たって光り輝くように見えたので…

真ん中辺りに見える小山は「南宮山」と「岡山」か、
こうしてみると、山添なかなか高いぞ! 眺め良し!
なぁんて感動しておりました(笑)。
そして、ソエル近くにある「長寿岩」(イワクラペディアより)、再び。
新しい注連縄が掛かっているかと思ったけれど…まだ古いままでした。
なので写真は、思い出のコレ👇

さて、せっかく山添村に来たので知らない場所探しをしようかな、と。
思いついたのが、最近といっても令和6年5月18日のこと、
ソエル近くの山添村村役場、もしくは山辺高校山添分校近くか・・・
「やまぞえ大観音」さまが新しく造られたらしいよと聞き、ほな行って見よか…(写真です)
あまりにも軽い気持ちで伺ったこと申し訳なかったと、あとで後悔。
下調べもなくただ「観音さま見たさ」でごめんなさい。なのに写真も撮らず💦
歴史があることはよくわかります。
本堂は新しく建てられたようで、真新しい「左三つ巴紋」。

(なぜこれが目についたか?とある調べものをしていて気がついた「家紋」だったので)
それと、ここの『中央山 龍巌寺 不動院』は
≪徳川幕府の時代になってからは、旗本奥田家の菩提寺として繁栄した≫とのこと。
その奥田家もこの「家紋」だったのかな、とふと思った次第。
※「旗本奥田家」(やんばいのぉ山添村より)
境内を歩いていたら「山添村の指定文化財」の古~い石塔類がありました。
左)宝篋印塔 右)五輪塔

どちらも鎌倉時代のものだそう。
※やまぞえ不動院HP
※Wikipediaより
次に、この近くに確か「神社」があったはず、記憶を辿って参ります。
山辺高校山添分校の傍を通りました、日曜日にもかかわらず、
高校生かな「消防団訓練」っぽく活動していたので、
そうか、もうすぐ「年末夜警」が始まるかもしれないねぇ、(なぁんて、勝手な想像力を働かせておりました)。
道の説明が難しいのでgoogleさんの出番で

こんな感じ。
「不動院」から山に向かう感じで少し上ると、鳥居があり、巨樹がお出迎え。

小さな池の周りには「桜の木」、春にはまた来よう。
ここは、『山添春日神社』
google mapの口コミの説明より・・・
≪平安時代に編さんされた神名帳「延喜式」に掲載されている神社、
いわゆる式内社で、旧国道25号線・波多野街道沿いに位置しています。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿島神宮から春日大社へ向かう際に
立ち寄ったという言い伝えがあり、非常に長い歴史を有しています。
現在の社殿は寛永十年(1633年)の建立で、本殿の身舎(もや)の組み物は
他の神社ではあまり見られない、とても珍しいものだそうです。
併せて、境内最古の石灯籠の奉納年は正中二年(1325年)鎌倉時代から約700年、
この地で風雪に耐えてきた≫そうです。
「拝殿」※と「石灯篭」(山添村指定文化財)

「本殿」

※拝殿横の杉の木は、同じく口コミより
≪環境省巨樹巨木林DBに登録されている大杉がある。
幹周り:4.80m、樹高:30m、登録No.47511
幹周り:4.55m、樹高:30m、登録No.47512
拝殿の左右に大杉はあったようだが、向かって左側の個体は伐採されていた。
また右側の個体は境内摂社の裏側にあり近くから見たら目立たない≫
確かに、「大杉」この目で見てきました…
短い時間ではありましたが、鎌倉時代の石造物などが見られたし、
山添村の歴史も垣間見えたし、近場探検もまだまだタカラモノは多し。
良きミニドライブでした。
この日からしばらくは、家にこもる仕事多く、夕刻のお散歩で気分転換してました。
2024/12/23三之町筋にて

忍町辺りで西方面、小さな辻で電線が写らない場所を見つけ、
冬らしい風景に出会いました。
ではまた、寒い折ご自愛くださいね✋
「紅葉探し」はいくらなんでも、もうないよなぁと思いつつ、
今日はあまり時間もないので山添辺りをぶらりドライブ🚙。
山添村の交流施設ソエルからなんと「伊賀盆地」が。
丁度太陽光線が当たって光り輝くように見えたので…

真ん中辺りに見える小山は「南宮山」と「岡山」か、
こうしてみると、山添なかなか高いぞ! 眺め良し!
なぁんて感動しておりました(笑)。
そして、ソエル近くにある「長寿岩」(イワクラペディアより)、再び。
新しい注連縄が掛かっているかと思ったけれど…まだ古いままでした。
なので写真は、思い出のコレ👇


さて、せっかく山添村に来たので知らない場所探しをしようかな、と。
思いついたのが、最近といっても令和6年5月18日のこと、
ソエル近くの山添村村役場、もしくは山辺高校山添分校近くか・・・
「やまぞえ大観音」さまが新しく造られたらしいよと聞き、ほな行って見よか…(写真です)
あまりにも軽い気持ちで伺ったこと申し訳なかったと、あとで後悔。
下調べもなくただ「観音さま見たさ」でごめんなさい。なのに写真も撮らず💦
歴史があることはよくわかります。
本堂は新しく建てられたようで、真新しい「左三つ巴紋」。

(なぜこれが目についたか?とある調べものをしていて気がついた「家紋」だったので)
それと、ここの『中央山 龍巌寺 不動院』は
≪徳川幕府の時代になってからは、旗本奥田家の菩提寺として繁栄した≫とのこと。
その奥田家もこの「家紋」だったのかな、とふと思った次第。
※「旗本奥田家」(やんばいのぉ山添村より)
境内を歩いていたら「山添村の指定文化財」の古~い石塔類がありました。
左)宝篋印塔 右)五輪塔



どちらも鎌倉時代のものだそう。
※やまぞえ不動院HP
※Wikipediaより
次に、この近くに確か「神社」があったはず、記憶を辿って参ります。
山辺高校山添分校の傍を通りました、日曜日にもかかわらず、
高校生かな「消防団訓練」っぽく活動していたので、
そうか、もうすぐ「年末夜警」が始まるかもしれないねぇ、(なぁんて、勝手な想像力を働かせておりました)。
道の説明が難しいのでgoogleさんの出番で

こんな感じ。
「不動院」から山に向かう感じで少し上ると、鳥居があり、巨樹がお出迎え。

小さな池の周りには「桜の木」、春にはまた来よう。
ここは、『山添春日神社』
google mapの口コミの説明より・・・
≪平安時代に編さんされた神名帳「延喜式」に掲載されている神社、
いわゆる式内社で、旧国道25号線・波多野街道沿いに位置しています。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿島神宮から春日大社へ向かう際に
立ち寄ったという言い伝えがあり、非常に長い歴史を有しています。
現在の社殿は寛永十年(1633年)の建立で、本殿の身舎(もや)の組み物は
他の神社ではあまり見られない、とても珍しいものだそうです。
併せて、境内最古の石灯籠の奉納年は正中二年(1325年)鎌倉時代から約700年、
この地で風雪に耐えてきた≫そうです。
「拝殿」※と「石灯篭」(山添村指定文化財)



「本殿」

※拝殿横の杉の木は、同じく口コミより
≪環境省巨樹巨木林DBに登録されている大杉がある。
幹周り:4.80m、樹高:30m、登録No.47511
幹周り:4.55m、樹高:30m、登録No.47512
拝殿の左右に大杉はあったようだが、向かって左側の個体は伐採されていた。
また右側の個体は境内摂社の裏側にあり近くから見たら目立たない≫
確かに、「大杉」この目で見てきました…
短い時間ではありましたが、鎌倉時代の石造物などが見られたし、
山添村の歴史も垣間見えたし、近場探検もまだまだタカラモノは多し。
良きミニドライブでした。
この日からしばらくは、家にこもる仕事多く、夕刻のお散歩で気分転換してました。



忍町辺りで西方面、小さな辻で電線が写らない場所を見つけ、
冬らしい風景に出会いました。
ではまた、寒い折ご自愛くださいね✋
山添村で覚えているのは伝説の五月橋SAと、五月橋ICを下りた丁字路の突き当たりの、お婆さん(今の当方より若かったかも?)が、1人でされている食堂に入ったのが印象に残っています。平成の初め頃の話ですから流石に情報は見つけられず、1975年の空中写真には確かに青い屋根の建物が写っているのですが、ストリートビューを見る限り、元祖25号の拡幅で立ち退かれたと思われ、広告看板の南に自販機があるのが唯一の証ではと想像だけしています。
想定外の話題になりますが(^^;)、三重県が誇る大晦日から元旦へのイベントに、遊技場の「オールナイト営業」があるのを思い出しました。お伊勢さんの初詣客に手洗いを提供する名目で始まったらしく、後に「三重県だけ」に認可されたそうで、伊賀管内の8店舗でも、31日の朝9時の開店から1日の夜23~25時の閉店まで、連続38~40時間の営業を予定しているようです。山添村はじめ定住自立圏内に加えて、近隣の市町村や遠方の関西地区からも名阪国道などで、県境を越えて多くのファンの方が打ちに来られて、伊賀の上野と名張のお店が賑わう予感がします。熊野も同じくで大都市に近い桑名は大賑わいだと思います。
>またまた山添... への返信
知らなかったのですが、↓でしょうかね…
https://p-town.dmm.com/specials/2204
『この時期の風物詩といえば、三重県のオールナイト営業』と確かに書いてありました。
お伊勢参り通過地の”大晦日あるある”だったんですね。
流石moni5187さま、年越しネタコメントありがとうございます。
除夜の鐘とともに打つ方がいらっしゃる図、覗きにいきたいですね(笑)。
最後から2枚目の写真に写された空の青い色が、素晴らしいと思います。
伊賀で日没前の空は、幻想的な青が際立って、珠玉の光景ではないでしょうか。
私は、伊賀市外の3か所に居住したことがありますが、それらの地では、このような素晴らしい青色の空を見たことがありません。
伊賀の大きなアピールポイントかと考えますので、観光客の皆さんにもぜひご覧いただきたいです。
>鮮やかな青い空の写真に... への返信
ワタシも好きです、といってもdawnさんのように伊賀以外に住む(学生の頃にあったとはいえ、その頃は『空』なんて見ていなかった気がします💦)ことは皆無なので、どこでも見られるものではないのかなと不思議な感覚です。
伊賀の地形のおかげか、昔から「秘蔵の国」とよばれるのは晩秋から冬にかけての『霧』にあるのかなと思ってしいますよね。
霧が晴れれば、その日は上天気=爽やかな青空が拝める、そんな空気感が昔から好きです。
しもやけができるほど底冷えのする伊賀ですが、そんな土地柄だからこそ美味しいものがいっぱいあるのも強みですしね…
都会の人には住みにくい一面もありますが、我々は「住めば都」と思っているので、どんどんそこらへんをPRしたい(昔から何ら変わることはないけど)ものです。
dawnさま、いつも暖かいコメントありがとうございます。
デジタル方式が全盛になり、個人用PCの性能向上も著しい時代で、ほぼ同じ仕組みを使う故に勝ち目はないと判断した為です。伝説の遊技場を調査したサイトがあって、上野市時代によく行った所の現在が紹介されていて往時を懐かしんでいました。上野産業会館の西側にあったお店は載っておらずでした。半地下と中二階の二層になっていて、初心者マークを付けた360の軽を路駐して一度だけ手打ちに行った覚えがあります。というわけで、以下、上段の大変貴重な写真をありがとうございます。
中心市街地の“核”に、、、
https://blog.goo.ne.jp/seib_2005/e/a45ea413f073eebe2c75b32725779589
もっと往年のファンの方が言うには、銀座通りの西側(おそらく南寄り)にもあったそうです。
>Re:ご縁がなかったので…... への返信
写真は撮っておくもの残すもの、moni5187さんを見習わないとです(笑)。
マルキンのパン屋さん、ずっとお世話になってました。伊藤の肉屋さんも然りです。
代々続いて子どもたちもここのパン屋さん、一本南の丸栄のパン屋さんも御用達でした。
昨日だったか、伊賀市の観光を担うであろうDMOから伊賀流忍者博物館敷地内で週末にイベントをするという連絡がありました💦
町なかに人を送り込むどころか公園内に人を留めてどうする?という気がしてなりません。
旧庁舎も、成瀬平馬門敷地内の忍者廻廊施設も、一体何を考えて造るのか?!
わけのわからぬ方向へ進もうとしているDMOに成す術はないのか、と悲しくなるばかり。
回顧していても昔は蘇らないのですが、つい「あの頃は元気だったなぁ」と思わずにはいられない風景でした…
なんのための駅前再開発、旧建物の利活用なんでしょうね。
moni5187さま、真夜中もネオン輝く景色、ますます見にいきたくなりました💗
事の始まりを思うとずっと残ってほしいとさえ思います。
コメントありがとうございます。