「大仏鉄道遺構巡りコース」に挑み、
次なる目的遺構は…公園の近くらしく、無料駐車場あり、までは調べました。
加茂町の「城山台公園(大仏鉄道公園ともいう)」へ。(※「城山台」ってどんな街?/不動産屋さん情報です💦)
google naviを頼りに無事に着きましたが、さてどうやって行けば遺構に着くのか?
少し悩みました、どの方向に歩いて行けばいいのかな、と…
ここは平成に出来た新しい住宅地のようで、
田舎の城下町に住んでる身としては、便利そうだなぁとは思うものの、さて、
引っ越すか?と問われれば多分ないんだろうなぁ、なんて一人勝手なことむにゃむにゃと…
歩道もある二車線道路を少し歩くと、ちゃんと説明版がありました。
傍にはゴルフ場、そして綺麗な道路から外れ案内版通りに進むとなんと田園風景!
大仏鉄道遺構の親切な案内版のおかげで迷う事なく進めて安心です。
では、見学順に
『赤橋』の説明版と網の向こうにボヤっと見える橋台。
道路と同じ目線で見えるあそこにきっと鉄路が敷かれていたんだろうなぁと…
ロマンをかきたてられる風景ではありますね、そしてなんたって高い。
早く傍で見たいではありませんか。
金網沿いに歩くと次の説明版。
『梶ケ谷隧道』
宅地とは対照的な田園風景にむしろ郷愁を覚えます…
きっとこの畦道は軽トラックか農耕車しか通らないんだろうなぁ、と歩いていると
目の前に現る隧道(いわゆるトンネルですが)、じゃ~ん!
アーチ部分は煉瓦でイギリス積み、側壁等は御影石、なんと贅沢な!
そして長さは16mほど。
通り抜けて反対側から
今来たところを振り返りつつ次の遺構へ行きましょう。
そのまま道なりに進めばすぐそこです、『赤橋』、煉瓦造りの橋台。
歩いて通り抜けられ、上を見上げてビックリ。
数本の木材と石材の基礎の上に鉄路を敷いていたんですね。
人を乗せた列車がこの構造の橋を通っていたのかと思うと、
当時の技術者は一生懸命研究しつつ、しかも早く開通させなければと必死だったんだろうなぁと思いを馳せます。
でもね、隅の花崗岩の石積みを見ているとやっぱり「石垣でしょ、算木積みだよね」と。
これはきっと丈夫だし、廃線になったとはいえこれからもずっと残るよね、と確信しておりました。
日々「上野城の石垣」を見ているもんだから、もう自慢したくなるわけですよ(笑)。
ここの道は今は生活道路、もちろん通れます。
橋台を脇で支えるのもやっぱり「石垣」、スゴイですね、石工さんの技です。
高~い橋台を見て(そっかここをあの赤い「いなづま号」が走っていたのか)
カッコイイよね、前回のCGを見て、(木津川の渓谷を走ってほしいと、また夢みちゃいました(笑))。
そのまま道なりに歩いて行くと車を止めた「城山台公園」に出ます。
さぁ、もう一つ、今回のミニ遺跡巡り最後になりますが…
『鹿背山橋台』ですが、戻るルートの途中になるのかなぁ。
心細くなるような細い道を通りましたが、ほぼ一本道なので迷いません。
前から車よ来ないでね、と祈りつつでしたが、
「見学の人以外は来ることはなさそう」な場所でした。
水路の上を通っていたようです。
上にはもう鉄路はありません、細い水路を渡る石橋を叩いて?渡りましたが大丈夫でした。
でもその先は進めません、水路は続けど崖のような感じだったので。
直角の石積みはやはり丈夫な「算木積み」。
この遺構も傍らを支えるのは石垣、立派です。何度も書きますが丈夫なんです。
なんだか珍道中のような迷える遺構巡りみたいですが、今度来ることがあれば
残りの遺構を踏破してみたいです、できることなら最後は佐保川沿いの桜など見てみたいとも思ったり…夢は見るもの、残すもの(笑)。
ぼちぼち帰る時間となりました。
いつものように国道163号線いづみチャーミングロードを戻ります。
もう恒例になった「山城国分寺跡(恭仁京跡)」経由で
晩秋の大きな柿の木、秋桜を見て、海住山寺のある山を眺め、
帰路に着きました。
いい旅でした、実質9年間は走っていて、
大仏様詣でのお客様を運んでいた路線がそこにあったんだということ、
しっかり目に焼き付けてきました。
地図を眺めていたらまだまだ行きたいところは数知れず、
いつかはきっとJR各種路線や私鉄にもお世話になって、
そこここに行きたいなぁと考える今日この頃です。
ではまた
次なる目的遺構は…公園の近くらしく、無料駐車場あり、までは調べました。
加茂町の「城山台公園(大仏鉄道公園ともいう)」へ。(※「城山台」ってどんな街?/不動産屋さん情報です💦)
google naviを頼りに無事に着きましたが、さてどうやって行けば遺構に着くのか?
少し悩みました、どの方向に歩いて行けばいいのかな、と…
ここは平成に出来た新しい住宅地のようで、
田舎の城下町に住んでる身としては、便利そうだなぁとは思うものの、さて、
引っ越すか?と問われれば多分ないんだろうなぁ、なんて一人勝手なことむにゃむにゃと…
歩道もある二車線道路を少し歩くと、ちゃんと説明版がありました。
傍にはゴルフ場、そして綺麗な道路から外れ案内版通りに進むとなんと田園風景!
大仏鉄道遺構の親切な案内版のおかげで迷う事なく進めて安心です。
では、見学順に
『赤橋』の説明版と網の向こうにボヤっと見える橋台。
道路と同じ目線で見えるあそこにきっと鉄路が敷かれていたんだろうなぁと…
ロマンをかきたてられる風景ではありますね、そしてなんたって高い。
早く傍で見たいではありませんか。
金網沿いに歩くと次の説明版。
『梶ケ谷隧道』
宅地とは対照的な田園風景にむしろ郷愁を覚えます…
きっとこの畦道は軽トラックか農耕車しか通らないんだろうなぁ、と歩いていると
目の前に現る隧道(いわゆるトンネルですが)、じゃ~ん!
アーチ部分は煉瓦でイギリス積み、側壁等は御影石、なんと贅沢な!
そして長さは16mほど。
通り抜けて反対側から
今来たところを振り返りつつ次の遺構へ行きましょう。
そのまま道なりに進めばすぐそこです、『赤橋』、煉瓦造りの橋台。
歩いて通り抜けられ、上を見上げてビックリ。
数本の木材と石材の基礎の上に鉄路を敷いていたんですね。
人を乗せた列車がこの構造の橋を通っていたのかと思うと、
当時の技術者は一生懸命研究しつつ、しかも早く開通させなければと必死だったんだろうなぁと思いを馳せます。
でもね、隅の花崗岩の石積みを見ているとやっぱり「石垣でしょ、算木積みだよね」と。
これはきっと丈夫だし、廃線になったとはいえこれからもずっと残るよね、と確信しておりました。
日々「上野城の石垣」を見ているもんだから、もう自慢したくなるわけですよ(笑)。
ここの道は今は生活道路、もちろん通れます。
橋台を脇で支えるのもやっぱり「石垣」、スゴイですね、石工さんの技です。
高~い橋台を見て(そっかここをあの赤い「いなづま号」が走っていたのか)
カッコイイよね、前回のCGを見て、(木津川の渓谷を走ってほしいと、また夢みちゃいました(笑))。
そのまま道なりに歩いて行くと車を止めた「城山台公園」に出ます。
さぁ、もう一つ、今回のミニ遺跡巡り最後になりますが…
『鹿背山橋台』ですが、戻るルートの途中になるのかなぁ。
心細くなるような細い道を通りましたが、ほぼ一本道なので迷いません。
前から車よ来ないでね、と祈りつつでしたが、
「見学の人以外は来ることはなさそう」な場所でした。
水路の上を通っていたようです。
上にはもう鉄路はありません、細い水路を渡る石橋を叩いて?渡りましたが大丈夫でした。
でもその先は進めません、水路は続けど崖のような感じだったので。
直角の石積みはやはり丈夫な「算木積み」。
この遺構も傍らを支えるのは石垣、立派です。何度も書きますが丈夫なんです。
なんだか珍道中のような迷える遺構巡りみたいですが、今度来ることがあれば
残りの遺構を踏破してみたいです、できることなら最後は佐保川沿いの桜など見てみたいとも思ったり…夢は見るもの、残すもの(笑)。
ぼちぼち帰る時間となりました。
いつものように国道163号線いづみチャーミングロードを戻ります。
もう恒例になった「山城国分寺跡(恭仁京跡)」経由で
晩秋の大きな柿の木、秋桜を見て、海住山寺のある山を眺め、
帰路に着きました。
いい旅でした、実質9年間は走っていて、
大仏様詣でのお客様を運んでいた路線がそこにあったんだということ、
しっかり目に焼き付けてきました。
地図を眺めていたらまだまだ行きたいところは数知れず、
いつかはきっとJR各種路線や私鉄にもお世話になって、
そこここに行きたいなぁと考える今日この頃です。
ではまた