一花一葉  NewTraditonal IKEBANA 

徒然なるままに・・季節の植物に 心を遊ばせて

2405- 母のクリスチャン・ネーム「マリア・キク」

2024-05-12 | 生け花

 母の日には フラワーシヨップの色とりどりのカーネーションが 人々の足を止めています。

母の日には沢山の母との思い出が湧いてきますが、 父の日には申し訳ないがそれほどでもないのは何故でしょうか。

 

 明治後期、長崎で生を受けた母は 一族の慣習に従って 生後直ぐに被爆マリア像で有名な カトリック浦上教会で洗礼を受け「マリア・キク」のクリスチャン・ネームを拝しました。どの様ないきさつで、仏教徒の父との結婚があったのかは定かではしませんが カトリック信者として一生を過ごしました。

 晩年 未だ父が存命だった頃、母は「私は手を合わせて祈るとき心にはマリア様しか浮かびません」と言って 父も承知の上で東京カテドラル・マリア大聖堂の地下墓地に自分の墓所を決めました、「そしてあちらでは、どの宗教であれ行きつく 天上は一つですから」と笑って言いました。

 とても明るく お茶目なところもあり、ある時 牧師さんを囲む和やかな茶話会の中で 牧師様に「心ときめく様な 麗しい女性に出会った時、どうなさるのですか」と質問したそうです。私たち兄弟は 母のその唐突な質問に どの様な返事が返ってくるのかと興味津々でしたが「ただ 一心に神に祈りを捧げます」と答えられたそうです。やはり凡人にはとっさには出来ない返事だと感心しました。

 明治生まれの両親は 大きな夢を持って大陸に渡り、一代でかなりの事業を成し遂げた人ですが 4人の子供と戦後 引揚げの際には妹を妊娠した状態で 天地がひっくり返る様な生活の中で 逞しく生き延びて来たのです。根底には母の強い信仰心があったのでしょう。母の話の中に「ありがたいね」と言う言葉を良く聞きました。

 父の亡き後は 教会の奉仕に専念し、亡くなった際も沢山の信者の讃美歌や祈りの中で棺を送る事が出来ました。鳴り響く教会の鐘の中 黒繻子の棺の上の純白の百合の花に、散り始めた桜の花びらが舞って 明るく強く 自身の信念に生きた母の一生を心に深く刻む瞬間でした。

 最近 昔の母を知る古い友人に会うと 「年を取ってからのお母さんに似てきたね」と言われます。母の様に華麗でダイナミックに、そして心優しくは生きてこられなかった私ですが 女性の鑑と思ってきたことは確かです。

 若く美しい頃の母の 遺影に向かって心からありがとうと 言いましょう。

 

 花材 ・カラー ・金波こでまり ・雲竜やなぎ ・アリアム

 花器 ・アンティーク・ムラーノ ガラス花器

 

 若いころの母が愛用した刺繍の帯