マルチナ・ヒンギスのテニスは、「才能」という言葉がよく似合う。
ということで、先日は女子テニスのマルチナ・ヒンギスについて語ったが(→コチラ)、では男子で「才能」という言葉の似合う選手は誰がいたのかといえば、これは同じスイスの選手に一人いる。
そう、ロジャー・フェデラーのことである。
現在でも、まだ現役の選手であるにもかかわらず「レジェンド」「生ける伝説」などと呼ばれているが、古いテニス雑誌をひもとくと、2007年くらいからすでに同じように呼ばれており、
「もし、今彼がこの瞬間テニス界から去るとしても、すでに十分すぎるほど『生きる伝説』と呼ばれるに値する選手だ」
なんて書かれていたのだから、そのずばぬけぶりがわかるというもの。
「すでに伝説」から、もう6年も経つのに、まだ現役バリバリでやっている。まったく、とんでもない男である。
そんなテニス界、いやスポーツ界が誇るスーパーヒーローであるフェデラーだが意外なことにデビュー時は、かなり地味な存在であった。
もちろん、その才能は早くから買われていたが、同世代のレイトン・ヒューイットなどにくらべるとキャラが立っていないというか、目立たないところがあり、多くいる有望な若手の中の一人という感じだった。
そのフェデラーが名をあげたのが、2001年のウィンブルドン4回戦。
ウィンブルドン優勝通算7回。当時、芝のコートで無敵を誇っていた絶対王者、ピート・サンプラスをフルセットで破ったのである。
これで、「あのフェデラーというのは、なかなかやるらしい」と世界に印象づけ、その2年後(2年もインターバルがあったのか!)のウィンブルドンで見事優勝を果たすと、そこから堰を切ったように勝ち始める。
四大大会ではフレンチ・オープンこそ、ラファエル・ナダルの台頭により、取るのに相当な苦労を強いられたものの、オーストラリアン・オープン、ウィンブルドン、USオープンに関しては、もう出ると優勝状態で、負けたところをほとんど見たことがない。
ひとつ取れれば一流というグランドスラム大会を、17回も制し一人勝ち。もちろん、他の大会でもおそろしいほどの安定感を見せ勝ちまくる。年間勝率9割越えをなしとげたこともある。
デビュー当時は、まさかロジャーが、もちろんいい選手だとは思ってはいたけど、さすがにここまでの選手になるとは想像もしなかった。まったく、私はいつもながら見る目がない。
そのフェデラーのすごいところは、勝つだけでなく、披露するテニスも完璧なところ。
サービスもフォアも、片手打ちのバックハンドも、一発のすごさこそライバルであるマラト・サフィンやアンディー・ロディックなどにはおとるものの、その安定感には目を見張るものがある。
ストローク良し、ネットプレー良し、速攻もディフェンスもできる、サービスエースも取れる、小技もうまい。試合運びも巧みで、メンタルも強い。どれを取っても、そのまま指南書に載せたいくらいのもの。
それはマッケンローのボレーや、サンプラスのブレークポイントにおけるファーストサービスなどといった、「選ばれし者のショット」ではなく、与えられた才能を大事にし、日々たゆまぬ努力をおこたらなかった男に神様がごほうびとしてあたえた、大げさにいえば彼の「人徳」までもふくめた、パーフェクトなショットなのである。
付いたあだ名が、「史上最強のオールラウンダー」。このことに異論をはさめる者など、だれもいはしないのだ。
フェデラーのプレーには、本当に穴がなかった。だれもが理想とするテニスを、顔色ひとつ変えずコート上で披露した。芸術的で、かつ地に足のついたパフォーマンスは観戦者のみならず、プレーヤーの心も揺さぶる。
フェデラーのある試合を解説をしていた元テニスプレーヤー(福井烈さんだったかな?)が、
「1日でいいから、いやたった2時間でもいいから、フェデラーと体を入れかわってみたいですねえ」。
そう切なそうにため息をついたことがあった。
それはテニスを愛する者なら、全員が共感できる言葉だった。1日といったあと、「いや2時間でもいいから」と言い直したところに、リアリティーを感じられるではないか。
彼のことを「退屈なチャンピオン」と呼ぶ人もいたが、これは逆にいえばそれくらいしか、おとしめる言葉がなかったとも言える。
これを言った人は、おそらくは自分でラケットを取って、コートに立ったことが一度もないのだろう。でなければ、こんなことをしたり顔で言えるはずなどないのだから。
あのパーフェクトなテニスの、いったいどこが退屈だというのか。いや、仮にそうだとしても、退屈でもなんでも、みんなフェデラーになりたいんだ。たった2時間、1試合でいいから。
「完璧」という言葉をこれほど体現したアスリートは、他のスポーツを探してもそう多くはないのではなかろうか。
フェデラーのテニスはすべてが、彼自身の内面もふくめて、格調が高い。
古き良き時代を彷彿させる優雅さと、スピーディーで適度にパワフルなものを内包させたプレーを披露する彼は、まさにテニス界の貴族だ。
今後、フェデラーを越える選手はきっとでてくることだろう。
だが、その彼がここまで「完璧」であるかどうかまでは、ちょっと想像できないところはある。
※おまけ ウィンブルドン史上に残る名勝負、2009年決勝ロジャー・フェデラー対アンディ・ロディック→こちら
ということで、先日は女子テニスのマルチナ・ヒンギスについて語ったが(→コチラ)、では男子で「才能」という言葉の似合う選手は誰がいたのかといえば、これは同じスイスの選手に一人いる。
そう、ロジャー・フェデラーのことである。
現在でも、まだ現役の選手であるにもかかわらず「レジェンド」「生ける伝説」などと呼ばれているが、古いテニス雑誌をひもとくと、2007年くらいからすでに同じように呼ばれており、
「もし、今彼がこの瞬間テニス界から去るとしても、すでに十分すぎるほど『生きる伝説』と呼ばれるに値する選手だ」
なんて書かれていたのだから、そのずばぬけぶりがわかるというもの。
「すでに伝説」から、もう6年も経つのに、まだ現役バリバリでやっている。まったく、とんでもない男である。
そんなテニス界、いやスポーツ界が誇るスーパーヒーローであるフェデラーだが意外なことにデビュー時は、かなり地味な存在であった。
もちろん、その才能は早くから買われていたが、同世代のレイトン・ヒューイットなどにくらべるとキャラが立っていないというか、目立たないところがあり、多くいる有望な若手の中の一人という感じだった。
そのフェデラーが名をあげたのが、2001年のウィンブルドン4回戦。
ウィンブルドン優勝通算7回。当時、芝のコートで無敵を誇っていた絶対王者、ピート・サンプラスをフルセットで破ったのである。
これで、「あのフェデラーというのは、なかなかやるらしい」と世界に印象づけ、その2年後(2年もインターバルがあったのか!)のウィンブルドンで見事優勝を果たすと、そこから堰を切ったように勝ち始める。
四大大会ではフレンチ・オープンこそ、ラファエル・ナダルの台頭により、取るのに相当な苦労を強いられたものの、オーストラリアン・オープン、ウィンブルドン、USオープンに関しては、もう出ると優勝状態で、負けたところをほとんど見たことがない。
ひとつ取れれば一流というグランドスラム大会を、17回も制し一人勝ち。もちろん、他の大会でもおそろしいほどの安定感を見せ勝ちまくる。年間勝率9割越えをなしとげたこともある。
デビュー当時は、まさかロジャーが、もちろんいい選手だとは思ってはいたけど、さすがにここまでの選手になるとは想像もしなかった。まったく、私はいつもながら見る目がない。
そのフェデラーのすごいところは、勝つだけでなく、披露するテニスも完璧なところ。
サービスもフォアも、片手打ちのバックハンドも、一発のすごさこそライバルであるマラト・サフィンやアンディー・ロディックなどにはおとるものの、その安定感には目を見張るものがある。
ストローク良し、ネットプレー良し、速攻もディフェンスもできる、サービスエースも取れる、小技もうまい。試合運びも巧みで、メンタルも強い。どれを取っても、そのまま指南書に載せたいくらいのもの。
それはマッケンローのボレーや、サンプラスのブレークポイントにおけるファーストサービスなどといった、「選ばれし者のショット」ではなく、与えられた才能を大事にし、日々たゆまぬ努力をおこたらなかった男に神様がごほうびとしてあたえた、大げさにいえば彼の「人徳」までもふくめた、パーフェクトなショットなのである。
付いたあだ名が、「史上最強のオールラウンダー」。このことに異論をはさめる者など、だれもいはしないのだ。
フェデラーのプレーには、本当に穴がなかった。だれもが理想とするテニスを、顔色ひとつ変えずコート上で披露した。芸術的で、かつ地に足のついたパフォーマンスは観戦者のみならず、プレーヤーの心も揺さぶる。
フェデラーのある試合を解説をしていた元テニスプレーヤー(福井烈さんだったかな?)が、
「1日でいいから、いやたった2時間でもいいから、フェデラーと体を入れかわってみたいですねえ」。
そう切なそうにため息をついたことがあった。
それはテニスを愛する者なら、全員が共感できる言葉だった。1日といったあと、「いや2時間でもいいから」と言い直したところに、リアリティーを感じられるではないか。
彼のことを「退屈なチャンピオン」と呼ぶ人もいたが、これは逆にいえばそれくらいしか、おとしめる言葉がなかったとも言える。
これを言った人は、おそらくは自分でラケットを取って、コートに立ったことが一度もないのだろう。でなければ、こんなことをしたり顔で言えるはずなどないのだから。
あのパーフェクトなテニスの、いったいどこが退屈だというのか。いや、仮にそうだとしても、退屈でもなんでも、みんなフェデラーになりたいんだ。たった2時間、1試合でいいから。
「完璧」という言葉をこれほど体現したアスリートは、他のスポーツを探してもそう多くはないのではなかろうか。
フェデラーのテニスはすべてが、彼自身の内面もふくめて、格調が高い。
古き良き時代を彷彿させる優雅さと、スピーディーで適度にパワフルなものを内包させたプレーを披露する彼は、まさにテニス界の貴族だ。
今後、フェデラーを越える選手はきっとでてくることだろう。
だが、その彼がここまで「完璧」であるかどうかまでは、ちょっと想像できないところはある。
※おまけ ウィンブルドン史上に残る名勝負、2009年決勝ロジャー・フェデラー対アンディ・ロディック→こちら