前回(→こちら)の続き。
「今の若い子はね、テレビがおもしろくないんじゃなくて、わからないらしいんですよ」
「若者のテレビ離れ」をそう分析したのは、博多大吉先生であった。
つまり、今のテレビは内容うんぬん以前に、「世代情報がかたよっている」ため、若者が知らないことが話題に上りやすく、興味がわきにくいというのだ。
私もそのことを実感したのが、ある日、なにげなく聴いていたラジオ番組。
そこでは、私と同世代くらいだと思われる芸人さんかDJが、やはりいつものごとくというか、
「それ、『ドラゴンボール』でいったら、ピッコロの立場だよね」
「『北斗の拳』だったらどうだろ」
「『ストリートファイター2』でたとえたほうが、わかりやすいんじゃない?」
みたいな「よくあるノリ」で盛り上がっていた。
私などは聴きながら「同世代くらいのタレント、ホンマに多いなあ」なんて思っていたんだけど、ひとつ気になったのが、この手の話題やたとえが出ると、かならずといっていいほど、アシスタントの女の子やゲストが黙りだすこと。
別に、不機嫌だったりするわけではなさそうで、そこに気づいたあるパーソナリティが、「なんでしゃべらないの?」と振ってみると、彼女らは、
「会話に参加はしたいけど、全然わかんないんです」。
これには私も「やっぱり」と苦笑いを禁じ得なかった。
そらそうだよなあ。我々世代の男子なら、ジャンプやスーパーファミコンはだれでも知ってる必修科目だったけど、今の、それも女の子に言うてもわからんわな。
そら、置いてけぼりにした男どもが悪い。
そう納得しかけたのだが、ラジオの男性陣はそうはいかなかったらしく、
「えー? なんで知らないの?」
「こんなの、常識でしょ」
「『北斗の拳』とか、この程度のことわからないって、それおかしいよ」
などと、ガンガンにそのアイドルだったか女子アナだったかを、イジり出すのである。
これにはさすがに、苦笑を通りこして「おいおい」となってしまった。
そら、世代的に知らんもんは知らんであろう。われわれだって、自分が生まれる前、それこそ1970年代の大阪万博やオイルショックの熱狂とか言われても、ついていけない。
そりゃ知識としてないことはないけど、「同時代感」の温度は共有できないのだ。
ところが、同世代男性陣は女の子たちの「無知」にイラッときたのか、それとも優越感を刺激されたのか、はたまた「この流れはおもしろい」と思ったのか、
「このへんのマンガ、パチンコとかにもなってるじゃん」
「女の子でも、ゲームくらい、やったことあるでしょ? スト2なんか、基礎中の基礎だよ」
「これくらいのことは知っておこうよ。常識として」
なんて、相当にしつこくかぶせるのである。
私はここで、背筋にザワザワしたものを感じはじめた。
あれ? これなんか、見たことある光景に似てるぞ。それも、あんまし愉快でないタイプの。
そう、この流れって、
「『自分たちには青春の輝きだけど、若者にとっては古びて接したことのないモノ』を、まつりあげて相手をポカーンとさせ、あまつさえ『その同時代を生きてきただけ』のことにすぎないのに、なぜかそのことを根拠に『今』を生きている者たちのことをあれこれ言う」。
つまるところ、我々が若いときにウザがっていた、「説教好きな、語りたがりオジサン」のしていたことではないか!
まだ10代のころ、野球を見ていたら
「ONはすごかった」
「金やんは160キロを常時出していた」
などと語って、野茂やイチローを鼻で笑い、ことあるごとに、
「今の若者はギラギラしたものを感じない」
「学生運動をやってたころのオレたちは骨があった」
などと《武勇伝》を語りたがる。
テレビで雑誌で、学校でバイト先で、皆様それはそれはビッグな態度であり、まさに「知らんがな」の嵐であった。
で、そのえらそうだった一部の「大人サマ」がやっていたことといえば、バブルで踊って浮かれまくった末、盛大にはじけるというトホホぶりで、
「説得力ないなあ」
なんて思ったもんだけど、ちょっとそれをトレースしているのだ。同じ穴のムジナっぽいぞ。
なるほど、「歴史はくり返す」というやつだ。
われわれ世代は、すでに豊かになった日本でゆるく育ってきたから、上の方々のような「年功序列的マウンティング」はあまり好まないとは思うけど(たぶん)、それにしたってきっと、さんざん「常識でしょ」と、つっこまれた若い女の子たちは、顔では笑みを浮かべながら、
「くわあ! オッサン、ウッザ!」
心の中で、あきれまくっていたことだろう。20数年前の我々のように。
なるほど、大吉先生の言うことは正しい。彼ら彼女らは、テレビでわれわれ世代のタレントが、
「ネットなんてないから、音楽はカセットとかCDで聴いてて」
「ケータイやなくてポケベル使っててんで。裕木奈江のドラマがメッチャ流行ってて」
みたいな話をキャッキャしているのが、理解不能なうえに興味もなく、めんどくさいとも思っているのだ。
そう、20数年前の我々のように、だ。
あまつさえ、場合によってはそんな連中に「知らないのはおかしなことだ」くらいの勢いで、いわれなき説教を受けるのだから、そら敬遠したくなる気持ちもわかる。
むしろ、「わからない」という穏便なところだけを主張してくれる、(それこそ私たちも昔やってきた)「大人の態度」に感謝すべきなくらいかもしれない。
そんな記憶があったもので、大吉先生の「テレビ離れ」分析には、たいそううなずけるところがあるのだが、今のヤングたちからすると、
「え? オッサンって、そんなことにも気づいてないの?」
おどろかれるかもしれないが、そう、きっと私らみんな、自らの行為に気づいてないのだ。
(続く→こちら)
「今の若い子はね、テレビがおもしろくないんじゃなくて、わからないらしいんですよ」
「若者のテレビ離れ」をそう分析したのは、博多大吉先生であった。
つまり、今のテレビは内容うんぬん以前に、「世代情報がかたよっている」ため、若者が知らないことが話題に上りやすく、興味がわきにくいというのだ。
私もそのことを実感したのが、ある日、なにげなく聴いていたラジオ番組。
そこでは、私と同世代くらいだと思われる芸人さんかDJが、やはりいつものごとくというか、
「それ、『ドラゴンボール』でいったら、ピッコロの立場だよね」
「『北斗の拳』だったらどうだろ」
「『ストリートファイター2』でたとえたほうが、わかりやすいんじゃない?」
みたいな「よくあるノリ」で盛り上がっていた。
私などは聴きながら「同世代くらいのタレント、ホンマに多いなあ」なんて思っていたんだけど、ひとつ気になったのが、この手の話題やたとえが出ると、かならずといっていいほど、アシスタントの女の子やゲストが黙りだすこと。
別に、不機嫌だったりするわけではなさそうで、そこに気づいたあるパーソナリティが、「なんでしゃべらないの?」と振ってみると、彼女らは、
「会話に参加はしたいけど、全然わかんないんです」。
これには私も「やっぱり」と苦笑いを禁じ得なかった。
そらそうだよなあ。我々世代の男子なら、ジャンプやスーパーファミコンはだれでも知ってる必修科目だったけど、今の、それも女の子に言うてもわからんわな。
そら、置いてけぼりにした男どもが悪い。
そう納得しかけたのだが、ラジオの男性陣はそうはいかなかったらしく、
「えー? なんで知らないの?」
「こんなの、常識でしょ」
「『北斗の拳』とか、この程度のことわからないって、それおかしいよ」
などと、ガンガンにそのアイドルだったか女子アナだったかを、イジり出すのである。
これにはさすがに、苦笑を通りこして「おいおい」となってしまった。
そら、世代的に知らんもんは知らんであろう。われわれだって、自分が生まれる前、それこそ1970年代の大阪万博やオイルショックの熱狂とか言われても、ついていけない。
そりゃ知識としてないことはないけど、「同時代感」の温度は共有できないのだ。
ところが、同世代男性陣は女の子たちの「無知」にイラッときたのか、それとも優越感を刺激されたのか、はたまた「この流れはおもしろい」と思ったのか、
「このへんのマンガ、パチンコとかにもなってるじゃん」
「女の子でも、ゲームくらい、やったことあるでしょ? スト2なんか、基礎中の基礎だよ」
「これくらいのことは知っておこうよ。常識として」
なんて、相当にしつこくかぶせるのである。
私はここで、背筋にザワザワしたものを感じはじめた。
あれ? これなんか、見たことある光景に似てるぞ。それも、あんまし愉快でないタイプの。
そう、この流れって、
「『自分たちには青春の輝きだけど、若者にとっては古びて接したことのないモノ』を、まつりあげて相手をポカーンとさせ、あまつさえ『その同時代を生きてきただけ』のことにすぎないのに、なぜかそのことを根拠に『今』を生きている者たちのことをあれこれ言う」。
つまるところ、我々が若いときにウザがっていた、「説教好きな、語りたがりオジサン」のしていたことではないか!
まだ10代のころ、野球を見ていたら
「ONはすごかった」
「金やんは160キロを常時出していた」
などと語って、野茂やイチローを鼻で笑い、ことあるごとに、
「今の若者はギラギラしたものを感じない」
「学生運動をやってたころのオレたちは骨があった」
などと《武勇伝》を語りたがる。
テレビで雑誌で、学校でバイト先で、皆様それはそれはビッグな態度であり、まさに「知らんがな」の嵐であった。
で、そのえらそうだった一部の「大人サマ」がやっていたことといえば、バブルで踊って浮かれまくった末、盛大にはじけるというトホホぶりで、
「説得力ないなあ」
なんて思ったもんだけど、ちょっとそれをトレースしているのだ。同じ穴のムジナっぽいぞ。
なるほど、「歴史はくり返す」というやつだ。
われわれ世代は、すでに豊かになった日本でゆるく育ってきたから、上の方々のような「年功序列的マウンティング」はあまり好まないとは思うけど(たぶん)、それにしたってきっと、さんざん「常識でしょ」と、つっこまれた若い女の子たちは、顔では笑みを浮かべながら、
「くわあ! オッサン、ウッザ!」
心の中で、あきれまくっていたことだろう。20数年前の我々のように。
なるほど、大吉先生の言うことは正しい。彼ら彼女らは、テレビでわれわれ世代のタレントが、
「ネットなんてないから、音楽はカセットとかCDで聴いてて」
「ケータイやなくてポケベル使っててんで。裕木奈江のドラマがメッチャ流行ってて」
みたいな話をキャッキャしているのが、理解不能なうえに興味もなく、めんどくさいとも思っているのだ。
そう、20数年前の我々のように、だ。
あまつさえ、場合によってはそんな連中に「知らないのはおかしなことだ」くらいの勢いで、いわれなき説教を受けるのだから、そら敬遠したくなる気持ちもわかる。
むしろ、「わからない」という穏便なところだけを主張してくれる、(それこそ私たちも昔やってきた)「大人の態度」に感謝すべきなくらいかもしれない。
そんな記憶があったもので、大吉先生の「テレビ離れ」分析には、たいそううなずけるところがあるのだが、今のヤングたちからすると、
「え? オッサンって、そんなことにも気づいてないの?」
おどろかれるかもしれないが、そう、きっと私らみんな、自らの行為に気づいてないのだ。
(続く→こちら)