博多大吉先生、TBSラジオ『たまむすび』で若者のテレビ離れについて語る その2

2017年06月10日 | ちょっとまじめな話
 前回(→こちら)の続き。

 「今の若い子はね、テレビがおもしろくないんじゃなくて、わからないらしいんですよ」

 「若者のテレビ離れ」をそう分析したのは、博多大吉先生であった。

 つまり、今のテレビは内容うんぬん以前に、「世代情報がかたよっている」ため、若者が知らないことが話題に上りやすく、興味がわきにくいというのだ。

 私もそのことを実感したのが、ある日、なにげなく聴いていたラジオ番組。

 そこでは、私と同世代くらいだと思われる芸人さんかDJが、やはりいつものごとくというか、


 「それ、『ドラゴンボール』でいったら、ピッコロの立場だよね」

 「『北斗の拳』だったらどうだろ」

 「『ストリートファイター2』でたとえたほうが、わかりやすいんじゃない?」



 みたいな「よくあるノリ」で盛り上がっていた。

 私などは聴きながら「同世代くらいのタレント、ホンマに多いなあ」なんて思っていたんだけど、ひとつ気になったのが、この手の話題やたとえが出ると、かならずといっていいほど、アシスタントの女の子やゲストが黙りだすこと。

 別に、不機嫌だったりするわけではなさそうで、そこに気づいたあるパーソナリティが、「なんでしゃべらないの?」と振ってみると、彼女らは、


 「会話に参加はしたいけど、全然わかんないんです」。


 これには私も「やっぱり」と苦笑いを禁じ得なかった。

 そらそうだよなあ。我々世代の男子なら、ジャンプやスーパーファミコンはだれでも知ってる必修科目だったけど、今の、それも女の子に言うてもわからんわな。

 そら、置いてけぼりにした男どもが悪い。

 そう納得しかけたのだが、ラジオの男性陣はそうはいかなかったらしく、


 「えー? なんで知らないの?」

 「こんなの、常識でしょ」

 「『北斗の拳』とか、この程度のことわからないって、それおかしいよ」



 などと、ガンガンにそのアイドルだったか女子アナだったかを、イジり出すのである。

 これにはさすがに、苦笑を通りこして「おいおい」となってしまった。

 そら、世代的に知らんもんは知らんであろう。われわれだって、自分が生まれる前、それこそ1970年代の大阪万博やオイルショックの熱狂とか言われても、ついていけない。

 そりゃ知識としてないことはないけど、「同時代感」の温度は共有できないのだ。

 ところが、同世代男性陣は女の子たちの「無知」にイラッときたのか、それとも優越感を刺激されたのか、はたまた「この流れはおもしろい」と思ったのか、


 「このへんのマンガ、パチンコとかにもなってるじゃん」

 「女の子でも、ゲームくらい、やったことあるでしょ? スト2なんか、基礎中の基礎だよ」

 「これくらいのことは知っておこうよ。常識として」



 なんて、相当にしつこくかぶせるのである。

 私はここで、背筋にザワザワしたものを感じはじめた。

 あれ? これなんか、見たことある光景に似てるぞ。それも、あんまし愉快でないタイプの。

 そう、この流れって、

 「『自分たちには青春の輝きだけど、若者にとっては古びて接したことのないモノ』を、まつりあげて相手をポカーンとさせ、あまつさえ『その同時代を生きてきただけ』のことにすぎないのに、なぜかそのことを根拠に『今』を生きている者たちのことをあれこれ言う」。  

 つまるところ、我々が若いときにウザがっていた、「説教好きな、語りたがりオジサン」のしていたことではないか!

 まだ10代のころ、野球を見ていたら


 「ONはすごかった」

 「金やんは160キロを常時出していた」



 などと語って、野茂やイチローを鼻で笑い、ことあるごとに、


 「今の若者はギラギラしたものを感じない」

 「学生運動をやってたころのオレたちは骨があった」


 などと《武勇伝》を語りたがる。

 テレビで雑誌で、学校でバイト先で、皆様それはそれはビッグな態度であり、まさに「知らんがな」の嵐であった。

 で、そのえらそうだった一部の「大人サマ」がやっていたことといえば、バブルで踊って浮かれまくった末、盛大にはじけるというトホホぶりで、

 「説得力ないなあ」

 なんて思ったもんだけど、ちょっとそれをトレースしているのだ。同じ穴のムジナっぽいぞ。

 なるほど、「歴史はくり返す」というやつだ。

 われわれ世代は、すでに豊かになった日本でゆるく育ってきたから、上の方々のような「年功序列的マウンティング」はあまり好まないとは思うけど(たぶん)、それにしたってきっと、さんざん「常識でしょ」と、つっこまれた若い女の子たちは、顔では笑みを浮かべながら、

 「くわあ! オッサン、ウッザ!」

 心の中で、あきれまくっていたことだろう。20数年前の我々のように。

 なるほど、大吉先生の言うことは正しい。彼ら彼女らは、テレビでわれわれ世代のタレントが、


 「ネットなんてないから、音楽はカセットとかCDで聴いてて」

 「ケータイやなくてポケベル使っててんで。裕木奈江のドラマがメッチャ流行ってて」



 みたいな話をキャッキャしているのが、理解不能なうえに興味もなく、めんどくさいとも思っているのだ。

 そう、20数年前の我々のように、だ。

 あまつさえ、場合によってはそんな連中に「知らないのはおかしなことだ」くらいの勢いで、いわれなき説教を受けるのだから、そら敬遠したくなる気持ちもわかる。

 むしろ、「わからない」という穏便なところだけを主張してくれる、(それこそ私たちも昔やってきた)「大人の態度」に感謝すべきなくらいかもしれない。

 そんな記憶があったもので、大吉先生の「テレビ離れ」分析には、たいそううなずけるところがあるのだが、今のヤングたちからすると、

 「え? オッサンって、そんなことにも気づいてないの?」

 おどろかれるかもしれないが、そう、きっと私らみんな、自らの行為に気づいてないのだ。



 (続く→こちら




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