博多大吉先生、TBSラジオ『たまむすび』で若者のテレビ離れついて語る その3

2017年06月11日 | ちょっとまじめな話
 前回(→こちら)の続き。

 「今の若い子はね、テレビがおもしろくないんじゃなくて、わからないらしいんですよ」

 昨今の「若者のテレビ離れ」を、「世代間のギャップにある」と分析した博多大吉先生。

 私は後輩相手に説教したりする趣味はないから、まだそうでもないと思うけど(いや、これだって気づいてないだけかもな)、たしかに各所で、そろそろ我々世代が発言権を持ったり、「権力者」になつつある気配はある。

 10年後にはバブル世代の代わりに、まちがいなくそうなるのだ。これには、ついに

 「自分たちもそういう歳になったのか」

 ということと、

 「なるほど人間というのは同じあやまちを、こうして、くり返していくのだなあ」

 なんていう二重の意味でしみじみしたものだ。

 そっかあ。オレら、そろそろ煙たがられ出してるんだあ。だからみんな、テレビを見ない。自分を客観視するのは、むずかしいもんだなあ。

 人のふり見てわがふり直せと言いますが、なかなかそうはいかないもの。

 たとえば今、私の少し上くらいの世代が、さかんに「ゆとり世代はなあ」とカマしてますが、彼ら彼女らの言う、


 「上昇志向がない」
 
 「先輩と飲みに行かない」

 「性欲が弱まっている」

 「仕事に覇気がなく、定時に帰りたがる」



 って決まり文句は、まさに彼らが上の世代から「新人類」のレッテルを貼られて、これでもかと説教されたことと、まったく同じ。

 似たようなところでは「バブル世代」も、


 「教養でなく情報しか持ってない」

 「売り手市場で就職したから使い物にならない」

 「消費するだけで自分から生み出すことがない」



 なんか、どっかで聞いたことあるような決まり文句が並びます。
 
 私はそうして、先輩たちが説教されてるのを聞いてきたし、当時の雑誌の記事や作家のエッセイには、やはり同じことが書いてある。

 というか、パオロ・マッツァリーノさんの本によると、そもそも戦前、大正、明治から江戸から、おそらくはそれ以上前の人類開闢の時以来、大人というのは下の世代を、相も変らぬ「クリシェ」でもってディスってきたのだ。

 そら、「大人の説教」が若者の耳に入らないのも当然であろう。もう何十年、下手したら何百年何千年も同じことをくり返すなど、まさに「最近の大人は上昇志向がない」「想像力を失っている」と言われても仕方ないのではないか。日本はもうおしまいかもしれない。

 だから私は、「元若者」たちの鬼の首でも取ったかのような「ゆとり世代はなあ」という言葉を聞くと、なんだか絶望的な気分になる。

 いや、みんな同じこといわれてましたやん。で、しおらしく聞くふりして、陰では「オッサンて、バカばっかりやな」ってあきれてましたやん。

 それと、アンタ同じことしてまっせ、と。しかも、「ゆとり世代は学力低下したから」というのを、錦の御旗に思っているのか、妙に強気だ。

 もしかしたら、

 「オレたちは『いわれなき説教』だったけど、奴らは『本当に質が低下した』から、なにを言ってもいい」

 とでも思ってるのかしらん。だとしたら、思い上がりとカン違いもはなはだしいだろう。

 仮にあったとして、差なんて、おそらく誤差の範囲内だ。だって、みんな同じこと言われてきたんだから。なのに、「オレたちの若いころとくらべて」とか、あほらしいよ。

 いわゆる「ゆとり教育」の最大の弊害は、学力うんぬんではなく、大人に「ゆとり世代にはキツくカマしてやってもいい」という言質をあたえてしまったことであろう。

 思いっきりそれを目の当たりにしてたもんだから、私自身は勝手に、

 「自分たちの世代はそのことを記憶しているから、人生の先輩たちと同じ轍は踏まないはず」

 と思いこんでいたんだけど、どうもアヤしいようだ。というか私だって気づいてないだけで、きっと「やってる」な。10年後がおそろしい。

 まあ、別に無理して若者に合わせる必要はないし、ノスタルジーはある意味年長者の特権だけど、それを知らないからといって若者を笑うのは、まったくもって迷惑なだけであろう。

 そもそも、いばる根拠もないし。

 これには大吉先生のみならず自覚的な人もいて、たとえばマツコ・デラックスさんも『月曜から夜ふかし』で、「ティラミス」や「ナタデココ」の思い出を語ったあと、


 「このコーナー、もうやめない?」

 「どうせ客も、『知らねーよ!』って思ってんだろ!」



 なんて照れかくしで語調を荒らげていたけど、こうした多少なりとも客観性がないと、ついおちいりやすい同世代トーク。まったく、油断できない罠である。

 言うまでもなく、私は若者にこびろと言っているわけではない。

 「若者というのはわれわれもその先輩たちもふくめ、いつの時代も同じように未熟なところや先人と価値観の違うところがあるのだから、自分が《そこをすでに通過したから》といって、その過去を忘れたり棚にあげたりして、あたかも《自分はそうではなかったが》という態度で偉そうにするのは、フェアではない」

 というだけのことだ。 

 とにかくヤング諸君の言いたいのは、「オレらにわからん話を押しつけるな」と。でも、これはもう、おそらくは人類が永遠に悟ることのできない不治の病なのであろう。

 できることは、せいぜいマツコさんみたいに、「こんな話、知らないよなあ」と気をつけておくくらいか。

 ただひとついえることは、今うちら世代に「キン消し」や「ビックリマンシール」について語られてウザがっているヤング諸君も、20年くらいたったら、まちがいなく同じことをします。
 
 新たに出てきた「新・新人類」だか「団塊ジュニアジュニア」だか「ゆとり世代リターンズ」だかたち相手に、


 「オレらんときはスマホが全盛で、Siriとか使ってて」

 「AKBって知ってるやろ? あの子ら、今はおばちゃんなったけど、昔はかわいかってんで」

 「『ONEPIECE』読んでないの? マジで? うわー、人生半分損してるわあ」



 とか語りまくって嫌がられます。

 でもって、「最近の若いやつは、先輩の誘いを断りやがる」「上昇志向ってものがないんだよ」ってボヤきます。つい昨日、キミたちが食らった「ウザ!」という説教を、一言一句変わらず、下の世代に継承していきます。

 え? オマエらと一緒にするな? オレたちはそんなことしないって?

 いやいやいやいや! 絶対にするんですな、これは。なぜなら、これは人類の持つ「癖(へき)」だから。たぶん、治らないんです。

 いやホント、賭けてもいい。でもって、悲しことに対策もない。なんとかするにはもう、不可能を可能にする、増田未亜ちゃんの「オネガイパワー」に頼むくらいしかないかも。

 え? なんですかそれ、って? 河崎実の『地球防衛少女イコちゃん』のこと知らんの?

 これやから、今どきの若いヤツは!(←いや、それは知ってなくてもいいんでは?)
 



コメント
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