前回(→こちら)の続き。
2001年、デビスカップ決勝は大激戦となった。
レイトン・ヒューイット、パトリック・ラフターの世界ナンバーワンコンビ擁するオーストラリア。
エースであるセバスチャン・グロージャンを筆頭に、ニコラ・エスクデ、セドリック・ピオリーヌ、ファブリス・サントロという渋い実力者で脇を固めるフランス。
両チームゆずらず2勝2敗で、勝負は最終シングルスにもつれこんだが、ここで恐れていた事態が現実となった。
この決勝戦。戦前の予想では、オーストラリアが危ないという、もっぱらの評判だった。
その理由はパトリック・ラフターのケガだ。
もともと全盛期と比べて、おとろえが見られていたラフターだが、くわえてUSオープン2連覇以来、体調不良におちいることがたびたびあり、この決勝戦前でも背中だったか腰の故障だったかで、出場が危ぶまれていたのだ。
だがそこは舞台がデ杯である。
しかも決勝、おまけに地元開催だ。こんな条件がそろっては、選手は休むなんて考えられなくなる。
特にラフターはチームをひっぱるベテランとして、責任感も強い男。
痛む体に鞭打って、チームのために強行出場を決めていたのだ。
この選択は、とりあえずは成功だった。
元ナンバーワンであり、グランドスラム大会優勝経験者の実力と意地か、ラフターは見事に初日1勝をあげ、まずはあたえられた役割をこなした。
ここまではよかったが、オーストラリアはこのラフターの勝利を生かせず、ヒューイットの試合とダブルスを落とし、勝敗の行方を3日目の最終シングルスにもつれこませてしまう。
対戦スコアを見ればわかるが、この決勝でオーストラリアはラフターをダブルスでも連投させた。
ということは、
「故障をかかえたパトリック・ラフターにまわってくる、最終シングルス前に決着をつける」
ことを想定していたに違いない。
のちに、物議をかもすこととなるジョン・フィッツジェラルド監督の采配では、ラフターの体調では、2試合出るのが限界と判断。
それなら、プレッシャーのかかるシングルス2試合よりも、シングルスひとつと、比較的負担の少ないダブルスに出させて、
「初日1勝、ダブルス1勝、最終日ヒューイットで3勝目」
もしくは
「初日に一気に2勝して、あとはダブルスかヒューイットで決める」
といった目論見であったのではなかろうか。
とにかく、最終戦前までに決めてしまい、ラフターの負担を最小限にせねばならない。
その意味では、ファブリス・サントロという玄人中の玄人がいるダブルスはともかく、結果的には初日にヒューイットがニコラ・エスクデに敗れたのが痛かったことになる。
これによって、短期決戦のプランがご破算になったのだから。
フィッツジェラルド監督が批判されたのはここで、ラフターが完全な状態でないなら、別の選手を用意すべきではなかったか。
また、ダブルスに巧者ををそろえるフランス相手に、そこを手負いのラフターで強行突破というのは無茶ではなかったか。
むしろ2日目は捨てて、最終シングルスにこそ、彼をスタンバイさせるべきではなかったか。
こういった選手の配置は難しい問題で、日本でも
「デ杯で錦織圭をシングルスに専念させるか、それとも単複3連投で力ずくの勝利をもぎ取るか」
というオーダー論は毎回のように議論になるが、たしかに外野の声は一理あるとはいえ、状態が完全ではない中「これでいく」と決めた作戦をつらぬいたのだから、結果論的な話をしても仕方ないのかもしれない。
ともかくも、3-0か3-1の電撃戦プランは、フランスの伏兵の前にくずれ去った。このあたりが、団体戦の妙ともいえる。
ここにオーストラリアは決断を迫られた。
勝負のかかった最終シングルス、戦力大幅ダウンを覚悟で控えの選手を選ぶか、それとも満身創痍のパトリック・ラフターをあえて出すのか。
そしてここに、これまで一度も名前の出なかった、あの男が突如浮かび上がってくるのだ。
そう、われらが「地味萌え」が推すビッグサーバー、ウェイン・アーサーズである。
(さらに続く→こちら)