前回(→こちら)の続き。
2001年、オーストラリアとフランスによるデビスカップ決勝は、いよいよ大詰めをむかえつつあった。
双方ゆずらず2勝2敗となり、最終シングルスで決着のはずが、オーストラリア・チームのパトリック・ラフターが、ケガで万全ではない。
なら代打か? それとも故障を押しての強行か。
本来ならオーストラリアには、ここでマーク・フィリポーシスという第3のエースがいるはずだった。
だが、このときは故障だったか、はたまたナショナルチームと折り合いが悪い時期だったかで、この決勝のメンバーには入っていなかったのだ。
じゃあ、一体だれが出るんやろ。
パソコンのモニターの前で固唾を呑む、私とクニジマ君の前に、一人の男の名前が映し出されたのである。
「Wayne Arthurs」
これには私とクニジマ君も思わず「うわあ」と、のけぞりそうになった。
「えーっ!!!」
「マジか?」
「ここでまた地味な男が……」
そんなことになってしまったのも、ゆるしてほしいのは、前も言ったが、ウェイン・アーサーズとはオーストラリアの中堅選手だ。
もちろん、ナショナルチームに選ばれているのだから、実力自体は充分だが、この国の命運がかかった、超のつく大一番をまかせるには、ややたよりないところもある。
なんといっても、本来出るはずのパトリック・ラフターは元世界1位、USオープン2連覇、ツアー通算11勝、男前で選手会長も務めたスーパーナイスガイ。
一方ウェインは、自己最高ランキングが44位、グランドスラム最高成績4回戦、ツアー1勝。
でもって、まったく余計なお世話だが、見た目も超ふつうと、その格差は相当なものなのだ。
まあ、そこはデ杯でエースが欠場すると、だいたいが
「だれやねん」
みたいな選手が出てくるのは、わりとよく見る「デビスカップあるある」だ。
たとえば、2014年に優勝したスイスは、ロジャー・フェデラーとスタン・ワウリンカが単複両輪で戦う最強チームだった。
が、仮にフェデラーがなんらかの理由で途中棄権すると、ランキング230位とかの選手が「エース」として戦うことになる。
それとくらべるとかなりマシだけど、苦しいことには変わりない。
しかもだ、ウェインには
「ダブルスのスペシャリスト」
という側面もあるせいか、デ杯のシングルスで戦ったことなど、ほとんどないはず。
そもそもが、おそらくはラフターの代わりの、ダブルス要員で選ばれているはずなのだ。
そこを、初のシングルスデビューが決勝戦。
しかも、すべてが決まる3日目の最終戦。
クニジマ君がポツリと、
「これは……ちょっとキツいなあ」
私も思わず、
「オレやったら、トイレ行くフリして、そのまま消えるね」
むかし、水島新司先生の『大甲子園』で、はじめて甲子園でプレーした補欠の目黒選手が1点ビハインドの9回2死満塁でバッターボックスに立つ羽目になり、
「なんで、はじめてのスタメンで、こんな場面になるんだ……」
とビビりまくるシーンがあるけど(まあ、目黒君の場合は山田が代打で出たんだけど)、それを彷彿させたものだ。
ウェインも、さぞかし言いたかったろう。
こんなん無理やって!
とはいえ、ここで本当に逃げるわけにも行かないのがプロの大変なところ。
嫌々(だよなあ、たぶん)コートに立たされたアーサーズに、私とクニジマ君は
「ボロ負けだけはすなよ」
テレビ放映じゃないから祈るようにネット上の、数字だけのスコアボードを見つめる。
ところが、あにはからんや。ふつうなら尿でもちびろうかという大修羅場で、ウェイン・アーサーズは大善戦を見せる。
ファーストセットこそ落としたものの、続く第2セットをタイブレークの末に奪い返す。
この健闘には、我々も色めきだった。
「すげえ、勝つんちゃうか! 地味やけど」
「このまま行ったら大英雄やぞ! サーブしかないけど」
「ウェイン、ここまで来たら男になれ! コアなファンしか知らんけど」
もう、大盛上がりだ。
ちょっと辛口な応援になるのは、愛の裏返しと理解してほしい。
われわれ玄人のファンこそ、こういう華のない選手をも、しっかり見届けなければならないのだ。
今思えば、対戦相手のエスクデも相当な「地味界の星」だが、気持ちはどうしたって、突然極限状態に追いこまれたウェインにかたむこうというもの。
おそらく、アーサーズ対エスクデという渋すぎるカードで、日本一盛り上がったのはわれわれが白眉だろう。
激戦が続くのをモニターで追いかけながら、クニジマ君は感に堪えたように、
「なんかこう、大将戦がこの2人いうのが、デビスカップの華やよなあ」
1996年決勝ニクラス・クルティ対アルノー・ブッチとか、2013年決勝ドゥサン・ラヨビッチ対ラデク・ステパネクとか。
あと2016年決勝のイボ・カロビッチ対フェデリコ・デルボニスとかね。
プレッシャーに耐え必死に戦うウェインだったが、そこからは最高ランキング17位、オーストラリアン・オープンでもベスト4の実績もあるエスクデが徐々に実力を発揮し、一気に突き放す。
最終シングルスは7-6・6-7・6-3・6-3でエスクデが勝利。
見事フランスに、デビスカップの栄冠をもたらしたのであった。
あーあー、ウェイン、負けちゃったか。
でもまあ、よくがんばったよね。シーズン最後を飾るに、ふさわしい熱戦だった。
こうして2001年デビスカップは終わった。
興奮冷めやらぬ私とクニジマ君は、
「すごい決勝やったなあ」
「あんなこと、あるんやねえ」
と大いに語り合うこととなった。
その後も、よほどこの試合にあてられたのか、私と友は忘年会でも「デ杯はすごかった」と語り合い、「聖域なき改革」「ヤだねったら、ヤだね」を押さえて、
「大将戦、ウェイン・アーサーズ」
が、その年の局地的流行語大賞に選ばれたのであった。
☆おまけ ビッグサーバー、ウェイン・アーサーズの雄姿は→こちらから