人の指す将棋のおもしろさは「悪手」や「フルえ」にこそある。
前回(→こちら)は佐藤康光会長の華麗な飛車タダ取られを紹介したが、今回は佐藤と並ぶ実力者である郷田真隆。
郷田といえばイメージされるのが
「硬派」
「剛直」
といった単語で、その将棋の王道ともいえる本格派の棋風にファンは魅了される。
だが、その実力と人気にもかかわらず、郷田はそれに見合った実績を残しているとは正直言い難い。
デビュー時から、タイトル戦の挑戦者決定戦に何度も勝ち上がり、3年目の1992年には、棋聖戦で2度と王位戦で挑戦権を獲得。
その王位戦では、王者谷川浩司から見事にタイトルを奪い取るという、はなれわざを披露している(四段でのタイトル獲得は郷田が唯一。そういえば、これもまた羽生が絶対更新できない記録のひとつだ)。
このころのことを知っている身からすると、本来もっと勝っていていいはずなのだと、強く言いたいわけなのだ。
タイトル獲得通算6期、優勝回数7回はすばらしい実績だが、個人的には、この3倍の数字は軽く超えていても、おかしくないと思っている。
そんな郷田が、なぜにて実績的に少々歯がゆいのかといえば、これは谷川浩司のところでも書いたが「美学派」の棋士は、どうしても勝率面で損をしやすいこと。
そしてもうひとつは、あきれるほどに、タイトル戦の挑戦者決定戦での勝率が低いことだろう。
正確な数字はわからないけど、たぶん3割程度。
技術やメンタルに特に問題があるとも思えず、ひそかな将棋界の七不思議のひとつである。
そんな郷田のポカは、やはり挑戦者決定戦で出たものが有名で1998年第45期王座戦。
羽生善治王座への挑戦をかけて、トーナメントの山を勝ち上がってきたのは郷田真隆棋聖と谷川浩司竜王。
谷川先手で相掛かりになり、きわどい終盤戦に突入。
寄せ合いの中、谷川が▲83金と打ったのが好手で、ここでは先手が勝ちのように見える。
自玉はまだ安全で、後手は頭金の1手詰が受けにくい。
ところがここで、見事なカウンターがあった。
△34角と打つのが、郷田の力を見せつけた絶妙の受け。
絶体絶命に見えた後手玉だったが、この角打ちでピッタリ受かっているのだから、その読みの力には恐れ入る。
完全に足の止まった先手は▲72金と活用するが、△41玉と一回逃げて、▲46歩のアヤシイ催促に△51香と打つのが、これまたピッタリの受け第2弾。
「下段の香に力あり」な上に、これがさっきの△34角とも連動して、馬がどくと△57香成から詰ますねらいもある攻防の1手なのだ。
快打2発で、これで先手は指しようがなく、谷川はなかば形作りで▲62金と寄った。
形勢は後手がハッキリ勝ちに。
この場面では、シンプルに△62同飛と金を取ってしまえば、それで決まっていた。
▲同馬は△57香成から、簡単に詰み。
▲同成桂はそこで△53香と馬を取れば、△42に玉の逃げ道ができ、△34角の利きも絶大で、後手玉に迫る手がない。
一方、先手陣は受けても一手一手だ。
△62同飛、▲同成桂としてから、△53香と取る。
▲52金、△同角、▲51飛と追っても、△42玉、▲52飛成、△33玉でなにも起こらない。
ところがこの場面で郷田が選んだのが、とんでもない尻抜けだった。
黙って△53香と馬を取ったのだ。
古い言い草だが、まさにアッと言ったが、この世の別れ。
皆様も、よく見てください。
なんと▲51金打で、一手詰めではないか!
指した郷田もあきれたろうが、負けを覚悟していただろう谷川も目を疑ったのではあるまいか。
郷田ファンからすれば頭をかかえるよりないが、ベテラン棋士になった今でも相変わらず竜王戦とか王座戦の挑決でバンバン負けており、もう20年近く同じ心配をされている。
たった一手のミスで、あまりにも大きなものを失ってしまうのが、プロ将棋の世界。
郷田ほどの実力者でも大舞台をかけた場面で、こんな負け方をしてしまうこともあるのだから、本当に「将棋に勝つ」というのは大変な作業なのだ。
(丸山忠久の大トン死編に続く→こちら)
(「ここ一番」で苦戦する郷田の苦悩は→こちら)