前回(→こちら)の続き。
第65期名人戦で、永世名人の座をかけて挑戦者郷田真隆九段と相まみえる森内俊之名人。
3勝2敗でむかえた第6局で「王手飛車龍取り」の必殺手を繰り出すなど必勝態勢を築いた森内だったが、最後にとんでもないドラマが待っていた。
何度見てもあざやかな一撃
その主役は森内ではなく、郷田真隆だった。
「森内十八世名人」
の誕生をだれもが確信する中、ほとんど蚊帳の外に追い出されていたはずの、この男だけが、
「逆転するとすればこの筋しかないと思って」
ひそかにねらっていたのだから、勝負師の魂というのはおそろしい。
自玉が受けなしの郷田は最後の突撃をかけるが、これがどう見ても詰みなどない、いわゆる「思い出王手」に見える。
△53香と打ったこの局面。やはり先手の勝ちである。
▲55金とでも王手を受けておけば、問題なく「森内俊之十八世名人」のはずだった。
ところがなんと森内は魔に魅入られたように、たったひとつの間違いを選んでしまう。
それこそが、郷田が最後の最後に仕掛けた、周到かつ恐るべき罠だった。
ここで指された▲47玉が「ココセ」(相手に「ここに指せ」と指令されたかのような悪手のこと)という大落手で、△58角成から追って、△27歩が好手。
▲同飛なら△33桂で、▲15銀の詰みが消えてピッタリ負けになっている。
▲同玉には△36馬、▲同玉に△35金と強引に飛車をはずして、後手玉は安泰で、先手玉は受けがない形。
一瞬の大逆転で、森内の手からするりと栄冠の座がすべり落ちた。
まさに驚異の展開で、棋譜を見たときはおどろくやら、あきれるやら。
これだけでも唖然なのに、さらにすごいのが、この手痛い敗北から森内は見事にリカバー。
大熱戦になった第7局を制して、見事十八世名人になってしまったことだ。
この結果には当時、腰が抜けるほど、おどろかされたもの。
永世名人がかかった一局で、あんな信じられない大まくりを食らって、私だったら、もうまともな状態で最終局など戦えないよ。
そこを、まるで何事もなかったかのように得意の手厚い指しまわしを見せ、大一番を勝ち切った。
もう十八世名人とかなんとかよりも、その強靭すぎる精神力にシビれたもので、過去のどんな好手妙手よりも「森内強し」を印象づけた出来事だった。
よう勝てるな。バケモンかと、本気でおののきましたよ。
こんな規格外の男、森内俊之が名人の座にいては、羽生の永世名人獲得も相当な難事に思われた。
だが、次の年の名人戦で羽生を挑戦者にむかえた森内は、またも歴史に残る大逆転を食らうこととなる。
1勝1敗でむかえた第3局、森内流の腰の重い横綱相撲で中盤から圧倒し、いわゆる「中押し」の形になる。
ただ桂取りを防いだだけの悲しい受けで、いわゆる「プロが絶対指さない」と解説される手だ。
羽生も半ばあきらめていたようだが、森内がうまく決めきれずに手こずっていたところに、まさかのポカが出たのだ。
▲98銀と飛車を詰ましたのが、お手伝い以上の利敵行為。
ポンと桂馬を跳ねた空き王手で、一気の大逆転。
この場面、森内は本当に頭をかかえたのだが、たしかにひどいことになっている。
取れそうな桂に王手で逃げられたうえに、打った銀はその桂で取られ、殺したはずの飛車も生還している。
攻守所を変え手番が回ってこず、どれだけ損したかわからない惨状だ。
正確には、まだ森内に若干勝ち目のある形勢だったようだが(どんだけ大差だったんだ)、流れ的にはそうは思えまい。
貴重な後手番での勝利をものにした羽生が、そのまま押し切って十九世名人に。
これまた、口から泡を吹くほどおどろいたものだ。
前年の第6局はそのあまりの急転直下から、
「50年に一度の大逆転」
といわれたが、それと同じくらいのものが、連続で起こるとは。
しかもそれが、安定感では棋界随一の、森内俊之による一瞬のエアポケット。
さらには、それが「羽生善治十九世名人」誕生につながるんだから、もうなにがなにやら。
本因坊秀策との「耳赤の一局」で有名な幻庵因碩は、
「碁は運の芸なり」
と言い放ったそうで、
「二人零和有限確定完全情報ゲーム」
である囲碁や将棋には、厳密には運の要素はないはずだが、こういった理屈ではかれない結末を見ると、なにやら不思議な説得力のようなものが浮かび上がってくるのだ。
(佐藤康光編に続く→こちら)