先日の棋聖戦は、なかなか燃える戦いであった。
藤井聡太棋聖(竜王・叡王・王位・王将)に永瀬拓矢王座が挑戦している第93期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負。
第1局では永瀬王座が、ダブル千日手という「永瀬四段」時代を思い起こさせる戦いで完勝。
このところタイトル戦では、ほとんど負けていない藤井棋聖だが、やはり相手もさるもので、いつまでも、簡単には勝たせてくれない。
第2局に注目が集まったが、ここでこの男は、すばらしい切れ味を、それこそ、こちらも「藤井四段」時代を思わせるそれを見せ、永瀬にペースを渡さないのである。
戦型はおなじみの角換わりから、当初は永瀬ペースに見えたが、そこから藤井も徐々に盛り返していく。
この将棋は、飛び道具の巧みな使い方が、いかにも「藤井将棋」という感じで、最近の安定感を増した棋風からはやや減少傾向にあった、トリッキーな手が楽しかった。
△48にあったと金を、玉と反対側に使う△38と。
単騎でせまるより、▲37の桂をはずして、じっくり戦う方が良いという判断だろうが、相当に指しにくい手だ。
なんか、いかにもいい手そうな角打ち。
ねらいは、△87飛成という必殺の一撃(▲同金は頭金で詰み)。
追われたときに、△36角と飛車取りに出られるのも自慢。
ふつうは△43歩というところを、この桂打ち。
残り5分を切ってるのに、ようこんなヒネッた手を選べるものである。これが「藤井将棋」の醍醐味だ。
こうして一瞬、後手が勝勢に近い数値こそ出たが、永瀬のねばりに幻惑され、ギリギリのところで、決め手を逃してしまう。
混戦になったところでは、こりゃ長期戦になりそうだぞと、のんびりコーヒーでも入れていたら、あにはからんや。
なんと気がついたら、将棋は終わっていたのだった。
観戦していた方々なら、記憶に新しいであろう。
そう、△97銀のワンパンで終了。
解説の飯島栄治八段も感嘆していたけど、たしかにカッコいい手である。
いや、この手自体は戸辺誠七段の言うように、プロなら常にねらっている筋で、実際この局面になれば、アマ高段クラスなら指せる人も多いだろう。
かくいう私レベルでも、とりあえず上部脱出をふせぐために、この△97銀とか、他にも△96桂、▲同香、△99銀とか、ちょっと荒いけど△86銀とか。
まあ、そんなんで勝てたら最高だろうなあ、くらいには考えるものなのだ。たいていは妄想だけど。
藤井棋聖のすごいところは、実際に「この局面」を作り出してしまう力にある。
たしかに△97銀自体は手筋だし、「次の一手」問題として出されれば、解ける人も多いかもしれない。
でもそれを、本当に出現させてしまう読みと構成力、また相手に悟らせない心理の妙を心得ているところが、すさまじいではないか。
「まだまだ、これから」
「どうやら長期戦」
という空気の中、ひとりこの青年だけが、「ねらって」いた。
私もこの筋はプロの実戦でいくつか見たが(それについては最後に)この手の類が成立するのは、本当に一瞬のことで、チャンスがあっても指せないことも多い。
弾は一発だけ。それを口にくわえたまま、じっと相手が見せるかもしれない(見せないかもしれない)スキを、スコープ越しにうかがう。
そして、「来た」と見るやズドン。命中。
え? 当たるの?
こんなのって、アリ?
ゼリー飲料で、夜戦にそなえていたはずの永瀬の手が止まり、長考に沈み、ついには頭をたれる姿。
「まさか」の思いだったろうが、血を流しながら振りむいても、撃たれてから痛がっているのでは、もう遅い。
あの「負けない将棋」の永瀬が見せた、ミリ単位の読み抜け(先手は▲88玉と早逃げしておくべきだった)を突いて一撃で仕留める。
まさに、電光石火の早業だった。
この手のすごさは、戸辺七段の言う通り、銀打ち自体もさることながら、
「どこから、ねらっていたのか」
この事実にこそある。
「長期戦、オッケーッス」
という空気感をかもしながら、静かにフェイクの足跡を残し、相手がそれを見て「後手玉に寄せあり」とばかりに▲32金、▲31金と、飛車を取りに前のめりになったところをBan!
はい、死んだ。
しかも、「かからなかった」ときの延長戦にそなえた、膨大な変化も同時に演算しながらの、この集中力。
たまさか、撃つチャンスが現れなかった(永瀬が▲88玉とした)ところで、きっと藤井棋聖は顔色ひとつ変えず、その後も延々と続くはずの「相入玉」模様の泥仕合を戦ったことだろう。
まさに、スナイパーの仕事。マジで「やってんな」コイツ。
なんだか将棋というより、戦争映画の1シーンみたいな、濃密きわまりない終盤戦だった。『スターリングラード』とか思い出しちゃったよ。
年表作った反動で、しばらく将棋はいいやとか思ってましたけど、テンション上がって、つい書いてしまった。
いや、シビましたなあ。
■おまけ 春のパン祭ならぬ、6月の退路封鎖の捨て駒祭。
△97銀のような手は、出現しても指せるとは限らない。
たとえば、羽生善治と森内俊之の名人戦とか、関根茂と森下卓の順位戦とか、郷田真隆と藤井猛の熱戦とか、佐藤康光も「神業」と認めた谷川浩司の寄せとか。