アイドルファンは日本の伝統文化である。
というと、保守的な論陣からは、あんな連中のどこが日本男児なのか。
日本の伝統文化とは、柔術や剣道を言うのであり、若い娘にむらがる軟弱な連中など、徴兵制を復活させるか、戸塚ヨットスクールにでも放りこんで、鍛えなおさせろ!
などと憤慨されるかもしれないが、これが紀田順一郎先生とか、昔の大衆文化について書かれた本など読むと、実際に書いてあったりするのだからしょうがない。
そのキーワードは「どうする連」という若者たち。
「どうする連」
といわれても、知らない人にはそれこそどうするねんという話だが、この「どうする連」というのは、明治大正のころ活躍した、アイドルファンの元祖とでもいう存在。
とか説明しても、やはりピンとこないかもしれないが、まあ百歩譲って「どうする連」という人々がいたとしよう。
で、彼らは熱心に、アイドルを応援するのだと。
では、肝心のアイドルが、明治大正時代にいたのか。
まだ20世紀にもならないころの日本に、モーニング娘。もAKB48も、おニャン子クラブも、レモンエンジェルも、セイント・フォーも、ラ・ムーもいなかったではないか。
まあ、それはそうなんですけど、これが当時の日本にも、今の芸能界に負けないくらいの、大人気アイドルというのが、存在したらしいのだ。
それは、浄瑠璃の義太夫。
この浄瑠璃、「仮名手本忠臣蔵」とか、「義経千本桜」といった演目など、われわれ現代人にはなじみはないが、江戸から明治にかけては庶民に大人気の娯楽。
舞台観賞はもちろん、それだけでは飽きたらず、自分たちでも三味線を習い、唄の稽古。
好き者同士で集まって「素人浄瑠璃の会」を開くといったくらい、メジャーな楽しみだった。
今でいえば、歌と振り付けを覚えて、ライブが終わったあと、カラオケに行って歌うようなもの。
私は落語好きだけど、『寝床』『軒づけ』など、素人が浄瑠璃にハマる噺は、ここでもおなじみである。
そう、アイドル以前のみならず、これまた日本固有の文化であるカラオケも、すでにこの時代から、近いものが存在したのだ。
中でも大人気だったのが、女の語り手。
娘義太夫という、女性パフォーマー。
これがもう、今でいうアイドルのような、熱烈なファンがあちこちにつくという存在だったらしい。
追っかけがつく、ファンレターが山ほど届く。
公演では最前列に陣を取るや、大声援を送り、出待ちをし、人によっては感極まって踊り出す。
いそがしい売れっ子娘義太夫など「どうする連」有志による専属の運転手(当時なので人力車)がいて、彼が車を引いて街を走るのを、他のメンバーが
「どうするどうする!」
快哉を上げながら、走って追いかける。
まさに、今のアイドルファンのやっていることと、その熱気は変わるところがない。
彼らがなぜ「どうする」と連呼するかといえば、浄瑠璃には、花火が上がると
「たーまやー」
というように、語りのいいところで、演者がグッとためをつくったところ、
「さーあ、どうする、どうする!」
一斉に声をかけるという、お約束があったのだ。
なので「どうする連」。
アイドルファンは、ライブなどで歌やダンスを覚えて披露するのはもちろん、ファンの間での符丁というか、歌の合間に
「○○ちゃーん!」
とか声をかけたりする場所が、決まっていたりするもの。
アイドルが「ウリホー」といえば、ファンは「ドスドス」みたいな。
……て、まあ私はアイドルにくわしくないで、例が古くてもうしわけないが、とにかくPPPHやMIXとか、そういった合の手は、この
「どうするどうする!」
が、まさにその原型だったのだ。
ここまで読んだところで、保守的論陣の方々は、
なるほど、まあそういうのが、昔もいたのはいいとしよう。
ただ、そういうヤカラはきっと、まともに人とコミュニケーションもとれない、情けない連中にちがいないのだろうな。
なんて決めつけるかもしれないが、この「どうする連」、主なメンバーはどういう層の若者だったのかというと、書生さんが多かったという。
書生というのは、将来有望な若者が、金持ちに援助してもらって大学に通ったりして勉学にはげむという、今でいうエリート特待生のようなもの。
そんな日本の未来をになう若者たちが、学問の合間に「どうするどうする!」と叫びながら、娘義太夫を追いかけ回ししていたのだ。
公演では、舞台にのぼらんばかりの勢いで前に出て、目線をもらったといえば一喜一憂。
彼女のアイテムは、髪の毛一本でも欲しいと熱望するのは、ドラマ『坂の上の雲』でも描かれていた。
あのドラマで娘義太夫に夢中になって、彼女のつけていた、ぼんぼり欲しさに必死に手を伸ばすモックン。
その姿は今、秋葉原でヲタ芸を披露して、グッズを集める若者と、メンタリティーにおいて、なんら変わるところはない。
そんな彼らが、近代日本を作り、富国強兵、大国ロシアにも勝ったというのだから、日本という国もなかなか業が深い。
近代日本を作ったエリートたちが、かつてはアイドルファンであった。
そういえば、今もアイドルファンと言えば、意外と「高収入・高学歴」が多いというのは、よく聞く話。
「追っかけ」はお金のかかる趣味だし、エリートはストレスもハンパないから、いやしを求める人も多いというし、必然的にそうなるのだろう。
それにしても、ロシア海軍のジノヴィー・ロジェストヴェンスキー少将の無念さはいかばかりか。
事情を知らぬとはいえ、アイドルを追いかけまわす「どうする連」のメンバーたちに、日本海海戦でバルチック艦隊を沈められたとは、まさに砂を噛む思いであったろう。
敵ながら、まことに同情を禁じ得ないところである。
(続く→こちら)