アイドルファンは日本の伝統文化である。
という出だしから前回(→こちら)は、明治時代にいたアイドルの追っかけである「どうする連」という若者たちを紹介した。
彼らが応援するアイドルは娘義太夫や女義太夫といって、舞台で浄瑠璃を語る若い女の子。
これが当時、ものすごい人気だったのである。
今でこそAKB48なんかが「国民的アイドル」などといわれているが、古き日本では娘義太夫が、その座に君臨していたわけだ。
AKBといえば、その売りのひとつに「会いに行けるアイドル」というものがある。
彼女たちは秋葉原の専用劇場で、ほぼ毎日のように公演をやり、また握手会などイベントも多数行われる。
その彼我の距離の近さをして、「会いに行ける」ということなのであろう。なかなか手厚いファンサービスぶりといえよう。
これには識者からも
「さすが秋元康の発想は新しい」
などと賞賛の声が上がっていたようだが、なんのことはない。
このコンセプトも、すでに江戸明治の昔から、日本には存在していたのである。
元祖アイドルの娘義太夫というのは、本職はもちろん浄瑠璃を語ることだが、それ以外にもアルバイトとして、「浄瑠璃教室」を開くというケースがあった。
浄瑠璃というのは、その人気あまねきために、素人のファンも
「自分もやってみたい!」
その熱意から唄や三味線を習って、会など開いていた。
いわば、ファンクラブのメンバーによる、オフ会や、カラオケパーティーのようなもんである。
そうなると、もっとうまくなりたい、プロにレッスンしてもらいたい、と願うのが人情というもの。
そこで登場するのが浄瑠璃教室であるが、これが娘義太夫が先生となると、なかなかどうして、お稽古だけが目当てではありませんわな。
そらそうだ、本物のアイドルが、直に歌とダンスを教えてくれるんだから、流行らないわけがない。
人気の女師匠のところには、「どうする連」のような若者をはじめ、中にはそれなりに、いいお歳のおじさま方も集まってくる。
もちろん、お目当てはいとしのアイドルなのであるが、そこは「浄瑠璃の稽古」という絶好のエクスキューズがある。
通うのも、そんなに恥ずかしくはないし、奥さんにもそれなりに、言い訳が立つというもの大きい。
いや、オレは純粋に、歌を習いたいだけやねんと。
そこで男子たちは、かわいい女師匠と、歌や三味線の稽古をしたり、一緒にごはんを食べたり、コタツに入って談笑したりする。
いわば、今でいうトークショーや、握手会みたいなもの。
むこうも客商売なので、笑顔を絶やさず、ときには思わせぶりな仕草で
「お、もしかしてこれは、なんぞ脈があるんちゃうんかいな」
という気にさせるよう(「神対応」というやつか)、こちらをあおってきたりと、まさに元祖「会いに行けるアイドル」だったのである。
実際のところ、
「あわよくば、なんぞ色っぽいことでもあるんちゃうかいな」
なんて、よからぬことを期待して、稽古に通う男も多かったらしく、こういった不埒な連中は「あわよか連」と呼ばれていたそうだ。
こういう人がいるのは、江戸明治も、現在も変わりませんねえ。
桂米朝師匠の演ずる落語『猫の忠信』には、娘義太夫に入れあげただけでなく、女師匠の「あおり」を真に受け、
「オレ、なんか今日は、師匠とイケる気がする!」
高ぶったあげく、彼女に色男(今でいうイケメンですね)の彼氏がいることを知ってブチギレする男が出てくるが、これまた江戸明治も現在も変わりません。
年配の方はよく「昔の人は偉かった」といいますが、今も昔も人は同じ。
推しのアイドルのスキャンダルに一喜一憂するところなんか、
「オレと変わんねえなあ(苦笑)」
とか、むしろ過去の先輩たちに、親しみを覚えるくらいではないですか。
この娘義太夫による浄瑠璃指南所は、そのあまりの客の入りに、お上も困惑して、一時期「浄瑠璃指南所禁止令」も出たそうな。
一応、「売春しとるんちゃうか」という大義名分はあったらしいのだが、たぶんそこが問題ではないのだろう。
お偉いさんからすると、いい若い者がアイドルにやに下がって「どうするどうする」というてる姿が、理解できなかったのは間違いない。
今でも、アイドルやアニメの美少女などが、公共施設のポスターになったりするのを嫌がる大人がいるけど、まあそれみたいなもの。
「ようわからんけど(から)、イヤ」
ということなのだろう。
いつの時代も、サブカルチャーというのは、大人からすると異次元なのだろうし、「禁止令」なるものはたいてい、たいして根拠もないのだ。
ついでにいえば、女師匠に入れあげる男子たちを、女性陣が冷ややかな目で見ていたところも今と同じらしい。負けるな男の子。