巨人伝説vol.1 「A級から落ちたら引退」 大山康晴vs羽生善治 1989年 棋王戦

2022年01月05日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 大名人の最後の勝負術には、シビれるものがある。

 偉大なチャンピオンというのは、その全盛期に圧倒的な力を見せることもさることながら、それを失った晩年にも、執念と呼べるふんばりを発揮することがある。

 「常勝将軍木村義雄は、おとろえの出たキャリア最終盤に、この男だけは名人にさせまいと、「筋違い角」の奇襲でもって指し盛りの升田幸三を退けた。

 また中原誠十六世名人1992年の第50期名人戦で、高橋道雄八段1勝3敗と追い詰められるも、そこから秘術を尽くしてひっくり返した(そのシリーズについては→こちら)。

 そんな数ある伝説に加えて、やはり大名人の晩年といえば、この人を忘れてはいけないだろう。

 そう、大山康晴十五世名人だ。

 
 大山康晴。

 通算1433勝。名人18期をふくむ、タイトル獲得80期

 棋戦優勝44回永世名人永世十段永世王位永世棋聖永世王将の称号も持つ大棋士だが、その偉大さを語るにおいては、全盛期よりも、むしろキャリア晩年を取り上げられることが多い。

 河口俊彦八段の『大山康晴の晩節』をはじめ、「名人18期」の無敵時代よりも、年齢とともに力がおとろえ、

 

 「A級から落ちたら引退する」

 

 と公言する中、その座を最後まで守り続けた、その勝負強さ精神力人間くささ、これこそが感動を呼ぶのだと、主張する人は多いのだ。

 その気持ちがわかる気がするのは、大山がはじめて名人になってからの20年近い無敵時代というのは、調べてみるとあまりにも強すぎて、語るところが、そんなに見当たらない。
 
 しかも本人がまた、その性格やキャラクターから、棋士たちやファンから好かれなかった。

 そのこともまた、「憎らしいほど強い」と周囲のの感情をかきたてたのか、良くも悪くも、

 

 「退屈なチャンピオン」

 

 という、あつかいになってしまうのだ。

 それとくらべると、キャリア晩年の戦いぶりは、これは恐ろしいほどにドラマチックで、スリリング、かつ魅力的。ファンにも大いに愛された。

 私は強かったころの大山は知らないが、晩年の降級(引退)のピンチがおとずれるごとに、おそるべき勝負強さを発揮し、何度も絶体絶命の状況をしのいできたころの「伝説」。

 これはリアルタイムで体感できたので、前回は谷川浩司の受けの妙技を紹介したが(→こちら)、今回は大山晩年の「フィーバー」を語ってみたい。

 


 大山康晴が「本当に降級するのでは」と言われ始めたのは、1985年ころだと言われている。

 1982年の2月にガンが発見され、手術によって1984年からの第43期順位戦で1年の休場を余儀なくされる。

 術後、復帰こそ果たしたものの、年齢も60代をむかえたとあっては、体調面もふくめ

 

 「いよいよ危ないのではないか」

 

 と心配されたが、なんとその不安もなんのそので、大山は降級どころか名人戦の挑戦者になってしまう。

 「大雪の決戦」で米長邦雄十段・棋聖を、強手一発で倒してしまった迫力は見事なもので、「大山健在」をアピール(→こちら)。

 続く第45期順位戦も、前半を5勝2敗とまたもや挑戦権争いにからみ、後半失速したものの勝ち越しで締めくくった。

 こう見ると、やはりその存在感は圧倒的で、私が将棋を知ったのがこの年だったけど(「羽生善治四段」デビュー時だからおぼえているのだ)、落ちるなんて、まだリアリティーがなかったものだ。

 だが、そのスーパーレジェンドも、60代を半ばにするころから、さすがにおとろえは隠せず、次第に「下を見る」戦いを余儀なくされていく。

 1987年第46期A級順位戦では、前半こそ2勝2敗とまずまずの出だしだったが、そこから3連敗を喫してピンチにおちいる。

 このときは直接対決で森雞二九段に圧勝し(その将棋は→こちら)、なんとか切り抜けた。

 続く、第47期順位戦こそ、6勝3敗で挑戦権争いにくわわったものの、続く48期順位戦ではまたもやピンチに立たされる。

 1勝4敗とスタートダッシュに失敗し、さすがの大山も相当な危機感を感じたそうだ。

 そこから力を発揮し、内藤國雄九段高橋道雄八段を破って浮上。

 あとひとつ勝てば残留が確定する、というところまでこぎつけ、次が大一番になるというのが、8回戦の青野照市八段戦。

 37歳の青野も星が伸びず、2勝5敗と下から2番目の降級圏内に留め置きを食らっている。

 この大山戦に負けると、9分9厘落ちるという崖っぷちだが、勝てば「お仲間」をひとり連れてこれると同時に、最終戦で3勝4敗の田中寅彦八段との直接対決を残すため、助かる目が出てくる。

 この勝負、端から見れば大山が有利なはずである。

 青野はA級通算5期目ではあるが、そのはなかなか厚く、まだ1度しか勝ち越したことがない。

 そして今期もここまで、まだ2勝と、名人挑戦をねらうどころか、降級争いの立場。

 一方の大山は、言うまでもない大名人。くぐり抜けた修羅場の数でも圧倒的。

 しかもこの少し前の将棋で、飛ぶ鳥落とす勢いの羽生善治六段に快勝している。

 

 

1989年、12月の棋王戦。
勝者組の決勝という大一番だが、なんとこれが投了図で、羽生の「早すぎる投了」として話題になった。
感想戦で「まだ投げなくていいだろ」と羽生側を持った米長と大山が、張り合うように手を示しあい、一種の「疑似対局」が見られた。その様子は羽生曰く、

 「感想戦でもガチンコ勝負という感じでかなり怖かった」

 鈴木宏彦さんの「イメージと読みの将棋観」によると、郷田真隆九段をはじめ、トップ棋士たちのほぼ全員が「先手苦しい」というが、「でも、まだ投げるほどではない。自分なら指し続けます」と衆目一致で、やはり謎は残ったまま。
これで勢いに乗った大山は、挑戦者決定戦で田丸昇八段を一蹴し、なんと66歳(!)でタイトル戦の挑戦者に。

 

 

 単純な数字だけで言えば、これはもう大山ノリであろうと。

 ただ、簡単にそうとも、言い切れないところもあった。

 その理由は、青野の持つ独特の「勝負強さ」だ。

 

 (続く→こちら

 

 


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