ネパールは犬の国である。
というのは前回語ったことで、そこいらでゴロゴロして平和なんだけど、たまーにだけど、ボロボロでやせた犬もいて、それがたぶん野良犬。
ということは、ふだん寝ているあの犬くんたちは「飼い犬」なのかなあ。よくわかんないけど。
そういや沢木耕太郎さんの『深夜特急』で、貧相な野良犬を見てかわいそうと言うアメリカの老婦人が、自分のペットは専用のホテルに預けているというのを聞いて、
「そんなんだったら、ここで野良犬をやっている方が、どれだけ幸せかわからない」
なんて心の中で思うシーンがあるんだけど、あれイヤだったなあ。
沢木さん的には
「ペットなんかより、野良犬にシンパシーを抱くオレ、ワイルドでハードボイルド」
てことが言いたいんでしょうが、その野良犬もそう思ってるかなんて、わかんないやん。
もしかしたら、
「えーなーペットは。飼い主に愛されて、メシにも不自由せーへんし」
「そりゃ、束縛もあるっちゃあるけど、飢え死にする潜在的なストレスや恐怖より、そっちの方がええんちゃうかなあ」
くらいに思ってるかもしれない。
それをなんか「野良犬カッコイイ」とかいう、こう言っちゃなんだがナルシステックな価値観に寄せて、勝手に決めつけるってのがなー。
私は『深夜特急』を最低50回は読み返して、他の作品もほぼ全部読んでる大の沢木ファンだから、あえて書いちゃいますが、めっちゃダセーなーって感じちゃうんだよなー。
野良で幸せな犬もいれば、ペットで幸せな犬もいるってことでねーの?
野良だから「自由」で「幸せ」、飼われてるから「不自由」で「不幸」なんて類型的な考えこそ「不自由」の始まり。
少なくとも私が野良犬の立場なら、
「たしかに自分は自由かもしれないッス。ペットホテルは窮屈なんでしょう」
「でも、そのどっちが幸せかは、アンタでなくてオレ自身に決めさせてもらっていいッスか?」
きっとそう「ワイルドでハードボイルド」を気取りたくなると思うんスよ。
沢木さん自身がもし犬の立場でも、そうなんじゃないかなあ。
そしてそれが、きっと本当に「自由」ってことだと思うのだ。
