「敵に塩を送らない」行為をどうとらえるべきなのか。
先日のNHK杯で、足のケガにより椅子対局を余儀なくされた渡辺明九段に、もし対戦相手の佐藤康光九段が、
「椅子とか、マジでないわー」
拒否したらどうなるのかなと妄想したところから、囲碁の少し似たケースの話に飛んだ。
不運な交通事故で大ケガをし、車椅子に乗ってタイトル防衛戦を戦う趙治勲棋聖に、
「規定通りに畳で打ちたい」
そう要求した挑戦者、小林光一名人のエピソードだ。
人によっては
「小林はヒドイ男だ」
「やさしさが足りない」
「そこまでして勝ちたいのか」
などと思われるかもしれないが、将棋のプロ棋士である河口俊彦八段によると、
「勝負師らしくすっきりと割り切れている」
「勝負事はこういうケースで、堂々と主張したほうがたいてい勝って、不満を飲みこんでガマンしたほうが負ける」
とのことで、特に「堂々と主張」うんぬんは、実際はどうか知らないが河口の本に頻出する哲学である。
その他、囲碁将棋の本や棋士のインタビューから見るに、その多くは小林名人の正直なやり方にシンパシーを抱くようだ。
そこで、それ以外にも似た話があったようなと記憶を探ってみると、同じ河口八段の本にありました。
『一局の将棋、一回の人生』という本の中にあったエピソードだが、ある日河口が連盟に来ると、控室から大きな声が聞こえた。
その内容というのが、
「オレはなんて甘いんだ。来させる一手だった!」
来させるとはだれのことかと問うならば、これが若き日の村山聖九段。
村山といえば、大崎善生さんの著書『聖の青春』や映画化された作品でご存じの方も多いと思うが、小さいころから腎臓病を患い闘病生活を送りながらの棋士人生だった。
村山は不戦敗を嫌っていたから、どんなに体調が悪くてもなんとか対局場に出かけたが、それでもときには、いかんともしがたい日もある。
そんな村山がC級1組時代に、やはり若手時代の神谷広志八段と対戦することとなった。
平常なら後輩、あるいは格下の棋士が遠征するわけで、このときは神谷の所属する関東での対局。
ただそこは、村山の事情は皆が知っているので、事務局がおもんばかって神谷に「関西で対局してくれないか」と水を向けたわけだ。
やはり事情を知る神谷は、なんということもなく承知して、ここまでならよくある「いい話」だが、その後しばらくして「しまった!」と声が出たわけだ。
では、なぜ神谷が一度はこころよく承諾した遠征を悔やんでいるのか。
それは別に移動が大変で不利になるとかそういうことではなく、どうも仲間から「甘い」と思われるのではないかと、怖れてのことらしい。
これが、われわれの感覚だと神谷の評価は上がるように見える。
相手の体調を気遣って、わざわざ新幹線に乗ってアウェーの地へおもむくなど器がでかいじゃないか、と。
ところが勝負の世界はそうではないらしい。
もしここで神谷が負けでもすると、それは「組みやすし」と判断される恐れがある。
周りのだれかが、声をかけるかもしれない。
これは決してただの妄想ではなく、たとえば若手棋士は仲間内のお金などのやり取りに大変シビアだという。
以前、佐々木勇気八段が仲間と(千田翔太八段だったかな)と食事をしたときに、定食のフライかなにかおかずがあまった事があった。
これは一見、「個性派」佐々木勇気の「おもしろエピソード」のようだが、実は将棋界ではよく聞く「あるある」だ。
彼ら彼女らは「借り」を作ることを極端に嫌い、支払いも1円単位で勘定を割っていたりする。
まさに今回は情けをかけられた側の村山聖も仲間と飲んでいたとき急性アルコール中毒で倒れたことがあったが、救急車に乗せられながら、
同乗していた(まさに救急車を呼んだその人の)先崎学九段に飲み代の自分の分を払おうとしたそうだ。
これにはさすがの先チャンもドン引きしたそうだが、それでも、
昭和のころ、家庭の事情でどうしてもお金が必要になり、理事になんとかと頼みこんで対局料を前借した棋士がいた。
理事もそういうことならと、金を工面したそうだが、なんとその後その金を借りた棋士は経理担当の棋士に、まったく勝てなくなったのだ!
できすぎた話だが、なんとなく想像はつく。
将棋はメンタルのゲームだ。こういう気持ちの正負が土壇場でのエンジンのかかり具合に影響がないとは言えまい。
そういうキツイ光景を山ほど見てきたであろう神谷の
ということなのだろうが、一回は引き受けながら、それを悔やむ「甘い」神谷広志は非常に人間くさく魅力的だと言ったら本人は怒るだろうか。
ちなみに、気になって今調べてみたら、神谷はC1で2回対戦して、「天才村山」相手にしっかりと2連勝。
嗚呼、神谷広志はやさしいうえに、カッコイイ男だったか!