前回(→こちら)に続いて、エーリヒ・ケストナーについて。
ケストナーはハッキリ言って「説教くさい」作家である。
だが、それをあまり、めんどくさく感じさせないのは、「ユーモア」と、その裏にある強靭な意志の力のおかげだ。
ケストナーが活躍した時代のドイツは、第一次大戦の敗北からヒトラー台頭期と重なる部分が多い。
NSDAP(ナチスの正式名称)が政権を取ったあと、トーマス・マンやシュテファン・ツヴァイクなど、多くの作家が亡命を余儀なくされる中、彼は頑として国内に残り続けた。
その理由は
「すべてを見届けるため」
ゴリゴリの反体制分子であるケストナーが、ヒトラー政権下で、追放も収容所送りも逃れていたのは、NSDAP側の
「多くの知識人はナチズムに批判的だが、こうして残っているものもいる」
という対外アピールのためで、お互いがそのカードをかけ引きに使っていたから(実際、ケストナーは外国の新聞で「ナチに転んだ」と揶揄されたこともある)。
でも、それにしたって、いつ風向きが変わればそこでおしまいかもしれず、まさにギリギリの綱渡りともいえる「国内亡命」だったのだ。
実際、ケストナーは何度も嫌がらせめいた家宅捜索や、逮捕の憂き目にあっており(悪名高い「焚書」でも本を焼かれている)、最後には親衛隊の、
「戦争に負ける腹いせに、虐殺してしまう人物リスト」
なる、とんでもないものに名前が載ってしまったと聞き、とうとうベルリンから脱出を決意。
映画の撮影スタッフにまぎれこんで、オーストリアの田舎であるマイヤーホーフェンにかくれるのだが、『ケストナーの終戦日記』ではそのときの潜伏生活が記されているのだ。
ケストナーの筆はこの極限状態でも冴えていた。
ときおり、ユーモラスな逸話などもまじえながらも、最期をむかえようとしている第三帝国を観察し、きびしく断罪していくこともある。
ケストナーはモラリストだが、単なるモラリストではない。
一寸先は闇も闇の恐ろしい時代に、それでも自ら信ずるところをつらぬき通した「ガチ」のモラリストである。
その姿勢のすさまじさもさることながら、そこで得たものを、下に声高に押しつけるのではないところ。
ユーモアとアクロバティックな筆さばきで、一貫して、重苦しくなく伝えようとしたこと。
自らの「はなれわざ」を、決して偉ぶらない。
そここそが、エーリヒ・ケストナーのすごみなのだ。
この日記の中で、もっとも印象的だったのは、祖国ドイツへの進言ともに語られた「連合国」への怒りだ。
原爆投下を受けて発した、本書の副題ともなっている
「1945年を銘記せよ」
という言葉とともに、ケストナーは「勝者」に警告する。
手元に本がないのでうろおぼえだが、だいたいこういった内容。
われわれは、おろかな戦争を起こして敗れた。
その罰は受けなければ、ならないだろう。
だが勝者諸君よ、あなたたちに、われわれを裁く権利はあるのか。
われわれが罪を犯したなら、あなたたちも同等の罪を犯していないと断言できるのか。
ケストナーは問う。
そうして最後に、こう締めくくるのだ。
「ドイツが裁かれる法廷では、連合国諸君、被告の席は君たちの分も空いている」。
13年間もナチスと、本当の至近距離で対峙していた彼がいうのだから、その説得力と重みはすさまじい。
あなたがたも同じだ、と。