「幸せって、なんなんやろうね」
先日行われたウィンブルドン決勝を見ながら、しみじみとそんなことを思ったりした。
「芸能人やスポーツ選手など有名人は、幸せになるのがむずかしい」
というのは『幸福論』みたいな本によくあるフレーズであるが、華やかな世界に生きて、人によっては稼ぎも相当というノバクやロジャーのような選手が、なぜにて幸福になりにくいのか。
私のような凡人は「はて?」と首をかしげたくなるが、これは「2ちゃんねる」の創始者でもある西村博之さんも、似たようなことをおっしゃられていて、つまりは、なんらかの形で人前に出る人というのは
「承認欲求」
「達成感を生きがいにする心」
が強く、そのことが幸福感と密接に結びついているわけで、常にそれを求めていることから「精神的な安定感」が得られにくい。
スポーツ選手に必要なのは「勝利への欲求」「ハングリー精神」だが、これは裏を返せば
「勝ち続けないと、その時点で不幸決定」
「いつもお腹ペコペコで必死」
ということになり、年中精神的に追い立てられていることになる。
もちろん、人は渇望感があるからこそ、それを埋めようとしてがんばって、そこに発展や成長があるわけだけど(「夢にむかってがんばる」とかね)、ずーっとそれが続くのは、たしかにしんどそう。
竹熊健太郎さんは『新世紀エヴァンゲリオン』以降の庵野秀明監督を語るときに、
「クリエイターは、モテてないときが一番いい作品を作る」
と言っていたけど、「渇望感」が「前進への活力」になるという意味では、彼ら彼女らが幸せを追求するには、
「デフォルトの状態が満たされていないほうがいい」
という矛盾があるわけで、そう考えると因果な話だという気もする。
ひろゆきさんの場合、
「ボクは承認欲求とか、もう全然ないから、人の評価とか気にならないよ」
なんてしれっと語って(これはこれでホントかなぁという気もするけど)、そのあたりは私も似たようなところがあるから、
「たしかに人によく思われたいっていう願望にとぼしいから、そのことで悩んだこととかはないかなあ。なるほど、それを【楽でラッキー】とする解釈もあるわけだ」
なんて今さらながら思ったりした。
うーん、いわれてみれば「注目」「達成」「勝利」を目指すほど、「嫉妬」や「不公平感」といった負の感情にとらわれる機会も多くなるだろうしなあ。
けど、反面こちらのようなボンクラは、精神的に楽といえば楽だけど、
「認められることや達成することで、得られるよろこび」
このすばらしさが半減するし、なにかにむかって走り出すときのモチベーションにも、おとるところもある。
つまるところ「熱くなる」という快感を味わえない体質であるので、そこは「損してる」という気にならないこともない。
人間の長所短所は、常にウラオモテなのだ。
そんな承認欲求にとぼしい「ひろゆき型」人間なので、「ハングリー」な人の幸不幸というのはピンとこないことが多いんだけど、ときおり、
「あー、それって、こういうことか」
なんて実感させられることもあり、それが先日の2019年度、それともうひとつ2014年度のウィンブルドン決勝で敗れたロジャー・フェデラーの姿を見たときだった。
(続く→こちら)