2014年&2019年ウィンブルドン決勝 ジョコビッチvsフェデラーに見る「承認欲求」の功罪

2019年07月16日 | テニス
 「幸せって、なんなんやろうね」
 
 
 先日行われたウィンブルドン決勝を見ながら、しみじみとそんなことを思ったりした。
 
 
 「芸能人やスポーツ選手など有名人は、幸せになるのがむずかしい」
 
 
 というのは『幸福論』みたいな本によくあるフレーズであるが、華やかな世界に生きて、人によっては稼ぎも相当というノバクやロジャーのような選手が、なぜにて幸福になりにくいのか。
 
 私のような凡人は「はて?」と首をかしげたくなるが、これは「2ちゃんねる」の創始者でもある西村博之さんも、似たようなことをおっしゃられていて、つまりは、なんらかの形で人前に出る人というのは
 
 
 「承認欲求」
 
 「達成感を生きがいにする心」
 
 
 が強く、そのことが幸福感と密接に結びついているわけで、常にそれを求めていることから「精神的な安定感」が得られにくい。
 
 スポーツ選手に必要なのは「勝利への欲求」「ハングリー精神」だが、これは裏を返せば
 
 
 「勝ち続けないと、その時点で不幸決定」
 
 「いつもお腹ペコペコで必死」
 
 
 ということになり、年中精神的に追い立てられていることになる。
 
 もちろん、人は渇望感があるからこそ、それを埋めようとしてがんばって、そこに発展成長があるわけだけど(「夢にむかってがんばる」とかね)、ずーっとそれが続くのは、たしかにしんどそう。
 
 竹熊健太郎さんは『新世紀エヴァンゲリオン』以降の庵野秀明監督を語るときに、
 
 
 「クリエイターは、モテてないときが一番いい作品を作る」
 
 
 と言っていたけど、「渇望感」が「前進への活力」になるという意味では、彼ら彼女らが幸せを追求するには、
 
 
 「デフォルトの状態が満たされていないほうがいい」
 
 
 という矛盾があるわけで、そう考えると因果な話だという気もする。
 
 ひろゆきさんの場合、
 
 
 「ボクは承認欲求とか、もう全然ないから、人の評価とか気にならないよ」
 
 
 なんてしれっと語って(これはこれでホントかなぁという気もするけど)、そのあたりは私も似たようなところがあるから、
 
 
 「たしかに人によく思われたいっていう願望にとぼしいから、そのことで悩んだこととかはないかなあ。なるほど、それを【ラッキー】とする解釈もあるわけだ」
 
 
 なんて今さらながら思ったりした。
 
 うーん、いわれてみれば「注目」「達成」「勝利」を目指すほど、「嫉妬」や「不公平感」といったの感情にとらわれる機会も多くなるだろうしなあ。
 
 けど、反面こちらのようなボンクラは、精神的に楽といえば楽だけど、
 
 
 「認められることや達成することで、得られるよろこび」
 
 
 このすばらしさが半減するし、なにかにむかって走り出すときのモチベーションにも、おとるところもある。
 
 つまるところ「熱くなる」という快感を味わえない体質であるので、そこは「損してる」という気にならないこともない。
 
 人間の長所短所は、常にウラオモテなのだ。
 
 そんな承認欲求にとぼしい「ひろゆき型」人間なので、「ハングリー」な人の幸不幸というのはピンとこないことが多いんだけど、ときおり、
 
 
 「あー、それって、こういうことか」
 
 
 なんて実感させられることもあり、それが先日の2019年度、それともうひとつ2014年度のウィンブルドン決勝で敗れたロジャーフェデラーの姿を見たときだった。
 
 
 (続く→こちら
 

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