マルチナ・ヒンギスのテニスはクレバーで美しい。
私はテニスファンだが、最近ただでさえ観戦時間が減っているのに、YouTubeで昔のテニス動画やジュニアの試合などを観戦していて、ますます進行中のツアーが観られなくなっているのが悩みのタネ。
とはいえ、気楽にあれこれツマミ食いできるネットの魅力と、また我ながらけしからんことに、5セットマッチが長く感じられてダルイとかもあって、気がつけばスマホやパソコンに向かってしまうのだ。
このところハマっているのは、マルチナ・ヒンギスの若いころの試合。
ヒンギスといえば、ちょうど私がテニスに興味を持ったころにデビューした選手だったが、12歳のときにフレンチ・オープンのジュニアの部で優勝し、「天才少女現る」と、その名をとどろかせていた。
はじめて、しっかりと試合を見たのは1996年のオーストラリアン・オープン準々決勝。
グランドスラム大会で初のベスト8入りを果たした彼女の相手は、南アフリカのアマンダ・コッツァー。
コッツァーは身長158センチと小柄だが、安定感は当時の女子テニス界では随一といわれていた。
フットワークとねばり強さで戦う玄人好みのスタイルは、一発の怖さこそないものの、なんとも負かしにくいタイプのプレーヤー。
女王シュテフィ・グラフを何度も苦しめたところから、ついたあだ名が「小さな暗殺者」というのが、なんともシブい選手であった。
試合の方も、天才少女の大ブレイクが期待される空気の中、アマンダもブレない大人のテニスで対抗し、フルセットまでもつれたが、ここは先輩が貫録を見せる形となった。
観戦後に感じたのは、正直
「こんなもんか」
というもので、噂のワンダーガールはショットのコントロールこそいいものがあったが、それ以上のインパクトにとぼしく、
「これからに期待か」
くらいのもので、14歳(!)ということを考慮に入れれば、そりゃそうだろと今では思うけど、そのころのマルチナはいかにも体もテニスも、線が細かったのだ(試合の方は→こちら)。
そんな彼女が大爆発したのは、翌年のUSオープン。
4回戦まで勝ち上がると、そこで第3シードで大会優勝経験もあるアランチャ・サンチェス=ビカリオと対戦し、目を見張るような成長ぶりを見せつけるのだ。
それまでは、頭でイメージする戦略に、まだ体の方が追いついていないような印象だったが、このときの彼女はすでに完成形に近かった。
ラケットとボールをまさに自在に操り、優勝候補であるアランチャを上下左右に振り回していく。
なにも知らずに見たら、どっちがシード選手かわからないくらいのものだったが、途中アランチャのねばりに手を焼き、ミスジャッジにプレーが乱れたりもしつつ(これはマルチナの大きな弱点だった)、内容的には快勝と言っていいもので、ベスト4に進出。
彼女はその明晰なプレースタイルからチェスプレーヤーに例えられることがあったが、それも納得のラケットさばきであった。
中でも、得意とするバックハンドのダウン・ザ・ラインは、まるで定規で測ったかのようキレイにライン際を飛んで行く。
当時、ジョン・マッケンローが言うには、
「あのショットを完璧に打てるのは、世界でアンドレ・アガシとマルチナ・ヒンギスだけ」
とのことだが、その通りヒンギスはこのショットをあざやかに、鼻歌でも歌いながら軽々と決めてしまうのである。
この試合にハートをわしづかみされた私は、録画していたビデオテープを、すり切れるほどにくり返して見まくった(試合の方は→こちら)。
昔の私は、一度気に入ったものを偏執的にくり返し鑑賞するというクセがあったが、このころのマルチナ・ヒンギスこそがそれだった。
たぶん、30回以上観返している。同じ試合なのに、自分でもあきれるほど、私はマルチナのテニスに魅せられたのだ。
その動画はDVDにダビングして、今でも実家の押し入れに入ってるけど、ネットの動画サイトの充実で、いちいち取りに行かなくてもよくなったのはありがたい。
一時期、ウィリアムズ姉妹や、マリア・シャラポワ、リンゼイ・ダベンポート、ジェニファー・カプリアティ、アメリー・モレスモ-など女子ツアーをパワーテニスが席巻したことがあったけど、私は今でもマルチナの技巧的なテニスがあこがれだ。
今でも、男子だけどダニール・メドベージェフとか、ジル・シモンとか好きだものな。三つ子の魂百まで。
あと、ダブルスもメチャクチャにうまいから、そっちに興味のある方も、ぜひ彼女の頭脳派プレーを見て、そのクレバーさに胸躍らせてほしいものだ。