「自称グルメの人」が苦手である。
というわけで、前回(→こちら)まで「味オンチ」な人に押しつけがましくごちそうされて、たいそう迷惑したという話をした。
となると疑問なのは、なぜ彼らは舌バカなのに自分を「グルメ」と言い切れるのか。
彼らはグルメの常として、食べることが好きである。生き甲斐といってもいい。
こういった自称グルメの方々が、誤解しているのは、彼らが「味がわかる」から食べるのが好きになるのではなく、逆に
「味がわからない」
からそうなるのだ。
味オンチなら、そら当然なにを食べてもおいしいわけ。
そうやって添加物でもジャンクフードでも、なんでもうまいうまいと食べているうちに、
「オレはグルメや」
となる。
だがそれは、単に「化学調味料の味」だったり、下手すると「味が濃い」が、おいしいと同義だったりするだけなのだ。
現に私の友人など、断食道場に行った際、山から下りた当初は異様なほど感覚が鋭敏になり、
「舌がむちゃくちゃに、味をとらえるようになった」
そう、おどろいていた。
その結果どうなったかといえば、外食やそこいらのスーパーの食材で作った料理が、しばらく食べられなかったそうである。
顕微鏡で見ると、どこもかしこも雑菌だらけのように、鋭敏すぎる舌も
「わからんでもいい味まで拾ってしまう」
という意味で不幸なのである。
そういったこともわからない自称グルメな人は、そのあたりにも鈍感であり、そういう意味ではハッピー。
以前、岡田斗司夫さんが、ファンからの
「ある映画が、すさまじくつまらなかったのですが、ヒットしているようです。どうしてでしょうか」
という質問に、
「世間の人は、我々ほどには映画を見る目がないんですよ」
クールな回答をされておられたが、それと同じ。
「映画を見る目がない」
というのは一見非難のようだが、見方を変えればその人は、脚本の破綻や演出のアラを理解する観察力や知性がなく、どこがダメかがわからないから、
「どんな映画を見てもおもしろい」
という状態にあるわけで、映画好きとしてこのような至福があるだろうか。
で、人は自分が良いと思ったものは、人に伝えたくなる。
幸せは分かちあいたい。その意味では彼らは親切である。
で、連れて行かされるのがマズイ店。
そこに誤解と悲劇が生まれる。周囲の人間はトホホのホである。
グルメの人は、一度自分を振り返ってみてほしい。
自分は本当に「舌が鋭敏」だから食べるのが好きなのか、それとも「舌バカ」だから、単になにを食べても美味しいだけなのか。
こういった人の特徴としてもうひとつ、
「料理人になりたがる」
という傾向がある。
そりゃ、「自分は味がわかる」と思っているのだから当然かもしれないが、これはさらなる悲劇を生む可能性が高く、勘弁してほしいものだ。
きっと、彼らが好む「すぐつぶれるマズイ店」は、まさに彼らのような人が出してるんだな。
そうして、「後継者」を生み出して、スパイラルが続く。
なんで世界には、あんなおいしくない店がいっぱいあるんだろうって不思議だったけど、そういうカラクリか。
なるほど、謎がひとつ解けましたわ。