「強いヤツが勝つんじゃない、勝った者が強いんだ」
というのは、サッカードイツ代表のエースで、現在バイエルン・ミュンヘンでプレーしている、カール・ハインツ・シュナイダー選手の言葉である。
「皇帝」と呼ばれ、常にヒリヒリするような勝負の世界に生きる彼らしい、実にシビレるような名言であるが、かくいう私も、かつてこのような言葉を吐きたくなるような、熱い戦いの場に居合わせたことがある。
高校時代のこと。当時、私は某文化系クラブに所属していた。放課後、その日は練習がなかったので、部室で同僚のクミコちゃんという女の子とおしゃべりしていたのだが、話が一段落すると彼女は、
「シャロン君、なんだかお腹すかない?」
などとおっしゃった。
そこから彼女は、学校の近所においしいお好み焼き屋ができたとか、今月のおこづかいがピンチだとか、そういうことを、いかにもさりげなく語り出したのであるが、ここに和文和訳するならば、
「おまえの金でメシを食わせろ」
という、ジャイアン並みにドあつかましい命令である。昨今、男子が草食化して「努力」とか「根性」という言葉が死語と化して久しいが、女子に関してはたくましいというか、まさに「いい根性をしている」といいたいものだ。
基本的にセコ……もとい、自らの経済状態に常に冷静で客観的な私は
「ところで貴女は古代ギリシャにおけるグノーシス主義についてどう思うかね」
などと、会話の自然な流れをそこなわないよう巧みに話題を変えたりしたが、敵もさるもので「大盛りは頼まないから」と懐柔しにかかり、それに対してこちらも「じゃあ、金出すから○○○○○○でどうや(少々品性の疑われる言葉なのでカットします)」などと取引を申し出て、そこにあった電気スタンドでマジでなぐられたりと、一進一退というか、むこうが進んでこちらは後退のみという戦いを強いられたのである。
そうして「金を出せ」「ただではイヤ」と、人として非常に最低レベルな押し引きをやっていると、「ういーっす」という気だるいあいさつとともに、キタヤマ先輩が部室に遊びに来た。
泥仕合の様相を呈してきた我々のやりとりは、ここで新たな局面をむかえることとなった。私をつついても何も出てこないと判断したクミコちゃんは、賢明にも即座に転進し、
「わあ、先輩だ。今からみんなで、お好み焼きを食べに行こうっていってたんですけど、先輩もどうですか」
などと籠絡にかかった。
このチャンスを逃す私ではない。すぐさま先輩に、
「今ここで男を見せれば、うまくいけば女子への好感度大アップですよ!」
ということを大いにアピールし、数分後には先輩からの
「よし、何か食べに行こうか。ボクがおごってあげるよ」
という、鼻息も荒い宣言を引き出すことに成功したのだった。
これを聞いて、それまで不倶戴天の敵としていがみあっていた私とクミコちゃんが、ひそかに目を合わせてニンマリしたことは言うまでもない。言いくるめておいてこんなことをいうのもなんだが、先輩も人がいいというか、将来悪い女にだまされないか大いに心配したものであった。まったく、笑いが止まらない話である。
そんな鼻の下を伸ばしたキタヤマ先輩に連れられて、我らが「オタフク別働隊」は、クミコちゃんオススメのお好み焼き屋に入った。「他人の金でメシを食う」というのは、いつの時代も快感である。役人が税金の無駄づかいをやめない気持ちが、少しはわかろうというものだ。
午後4時ぐらいという中途半端な時間であったので客は我々だけであった。店にはおじさんがひとりいるだけだったが、その人は終始苦虫を噛み潰したような顔をしており、お好み焼き屋のオッチャンというよりは「頑固なスシ職人」といった大将であった。
客がいなかったからか大将は自らお好み焼きを焼いてくれた。慣れた手つきで鉄板のうえに具をのせひっくり返す。こんがり焼けて実にうまそうである。流れるような仕草でソースをぬりつけてから、
「マヨネーズはいかがいたしますか」。
私とクミコちゃんは即座に「お願いします」と声を合わせたが、キタヤマ先輩は、
「あ、ボクはいいです」。
その瞬間である。大将の肩がピクッと震えた。
な、なんじゃいなと思っていると、そのまま硬直してしまったようだ。険しい顔をしたまま、ピクリとも動かない。
どうしたのだ、何が起こったのだと、異様な雰囲気にこちらも固まってしまったのであるが、これがあのおそろしい戦いの開幕を告げる鐘であったことは、まだ我々は気づいていないのであった。
(続く【→こちら】)
というのは、サッカードイツ代表のエースで、現在バイエルン・ミュンヘンでプレーしている、カール・ハインツ・シュナイダー選手の言葉である。
「皇帝」と呼ばれ、常にヒリヒリするような勝負の世界に生きる彼らしい、実にシビレるような名言であるが、かくいう私も、かつてこのような言葉を吐きたくなるような、熱い戦いの場に居合わせたことがある。
高校時代のこと。当時、私は某文化系クラブに所属していた。放課後、その日は練習がなかったので、部室で同僚のクミコちゃんという女の子とおしゃべりしていたのだが、話が一段落すると彼女は、
「シャロン君、なんだかお腹すかない?」
などとおっしゃった。
そこから彼女は、学校の近所においしいお好み焼き屋ができたとか、今月のおこづかいがピンチだとか、そういうことを、いかにもさりげなく語り出したのであるが、ここに和文和訳するならば、
「おまえの金でメシを食わせろ」
という、ジャイアン並みにドあつかましい命令である。昨今、男子が草食化して「努力」とか「根性」という言葉が死語と化して久しいが、女子に関してはたくましいというか、まさに「いい根性をしている」といいたいものだ。
基本的にセコ……もとい、自らの経済状態に常に冷静で客観的な私は
「ところで貴女は古代ギリシャにおけるグノーシス主義についてどう思うかね」
などと、会話の自然な流れをそこなわないよう巧みに話題を変えたりしたが、敵もさるもので「大盛りは頼まないから」と懐柔しにかかり、それに対してこちらも「じゃあ、金出すから○○○○○○でどうや(少々品性の疑われる言葉なのでカットします)」などと取引を申し出て、そこにあった電気スタンドでマジでなぐられたりと、一進一退というか、むこうが進んでこちらは後退のみという戦いを強いられたのである。
そうして「金を出せ」「ただではイヤ」と、人として非常に最低レベルな押し引きをやっていると、「ういーっす」という気だるいあいさつとともに、キタヤマ先輩が部室に遊びに来た。
泥仕合の様相を呈してきた我々のやりとりは、ここで新たな局面をむかえることとなった。私をつついても何も出てこないと判断したクミコちゃんは、賢明にも即座に転進し、
「わあ、先輩だ。今からみんなで、お好み焼きを食べに行こうっていってたんですけど、先輩もどうですか」
などと籠絡にかかった。
このチャンスを逃す私ではない。すぐさま先輩に、
「今ここで男を見せれば、うまくいけば女子への好感度大アップですよ!」
ということを大いにアピールし、数分後には先輩からの
「よし、何か食べに行こうか。ボクがおごってあげるよ」
という、鼻息も荒い宣言を引き出すことに成功したのだった。
これを聞いて、それまで不倶戴天の敵としていがみあっていた私とクミコちゃんが、ひそかに目を合わせてニンマリしたことは言うまでもない。言いくるめておいてこんなことをいうのもなんだが、先輩も人がいいというか、将来悪い女にだまされないか大いに心配したものであった。まったく、笑いが止まらない話である。
そんな鼻の下を伸ばしたキタヤマ先輩に連れられて、我らが「オタフク別働隊」は、クミコちゃんオススメのお好み焼き屋に入った。「他人の金でメシを食う」というのは、いつの時代も快感である。役人が税金の無駄づかいをやめない気持ちが、少しはわかろうというものだ。
午後4時ぐらいという中途半端な時間であったので客は我々だけであった。店にはおじさんがひとりいるだけだったが、その人は終始苦虫を噛み潰したような顔をしており、お好み焼き屋のオッチャンというよりは「頑固なスシ職人」といった大将であった。
客がいなかったからか大将は自らお好み焼きを焼いてくれた。慣れた手つきで鉄板のうえに具をのせひっくり返す。こんがり焼けて実にうまそうである。流れるような仕草でソースをぬりつけてから、
「マヨネーズはいかがいたしますか」。
私とクミコちゃんは即座に「お願いします」と声を合わせたが、キタヤマ先輩は、
「あ、ボクはいいです」。
その瞬間である。大将の肩がピクッと震えた。
な、なんじゃいなと思っていると、そのまま硬直してしまったようだ。険しい顔をしたまま、ピクリとも動かない。
どうしたのだ、何が起こったのだと、異様な雰囲気にこちらも固まってしまったのであるが、これがあのおそろしい戦いの開幕を告げる鐘であったことは、まだ我々は気づいていないのであった。
(続く【→こちら】)