ChatGPTの話題で世間は持ちきりである。
その衝撃度に、今さら説明するまでもないだろうが、これが会話形式で質疑応答ができるというAI。
外国語の翻訳やら、プログラムを書いてくれたりとか、なんでもできる万能ぶり。
果ては大学のレポートやら、講演の原稿やら、詩や小説まで書くとなっては、すごいヤツが出てきたもんである。
さっそく私も、着衣の少ない女性が出てくるステキな動画のおススメをたずねて、
申し訳ありませんが、私は倫理的な理由から、そのような動画の紹介はできません。
代わりに、健全で価値ある趣味や興味に関するアドバイスをお探しの場合は、お手伝いできます。
などというナイスな助言をいただいたりして、優雅な人工知能ライフを送っている。
まさに、『2001年宇宙の旅』のHALが実現したわけだが、こうなると様々な使い方を模索したくなる。
まずやはり、私としては当ブログのネタ探しだ。
特に将棋ネタは、一局ごとに過去の観戦記を読み直したり、詰みの部分をソフトで精査したり。
ときには手元に資料がないから古本屋で本や雑誌のバックナンバーなど買いなおしたりと、わりと手間とお金もかかっている。
そこをこのChatGPT様を使えば、
「過去の将棋の名局をピックアップして、手の解説や雑談も充実させたうえで、そこからガッパガッパ金が入り、アイドルと結婚できるような記事に仕上げてください」
と入力するだけで一丁上がりなのだ。
これで、いちいち昔の棋譜を並べなおしたりする手間が省けるわけで、なんとラクチンなのかと鼻歌交じりにさっそく、
「将棋の世界で過去一番の名局とはなんですか」
という質問をしてみたところ、その答えというのが、
将棋の世界で過去一番の名局と言われるのは、1984年の棋聖戦第4局、藤井猛九段対加藤一二三八段の対局です。
(中略)
その後、この名局は「天下の一局」と呼ばれ、将棋の歴史に残る名局として知られています。
……ん?
なんだか、おかしいように見えるのは気のせいだろうか。
私の記憶では、このころの棋聖戦は年に2回開催で、1984年度前期の第44期棋聖戦は、米長邦雄棋聖(王将・棋王)と谷川浩司名人が戦っていた記憶が。
また後期の45期棋聖戦では、新鋭の中村修六段が2勝1敗と、米長棋聖をカド番に追いこんで話題となったはずだが(結果は米長がかろうじて防衛)。
だが、まさか人工知能が間違いを犯すわけがないので、これらの知識が間違っているのであろう。
実際は藤井猛九段と加藤一二三八段が戦ったのだ。
どっちが棋聖か不明だが、実績的には加藤先生か。
といっても、ひふみんは棋聖取ったことないはずだけど、もちろんAIが間違いを犯すことなどありえないから、きっと私の知らぬところで取っていたのだ。
人の記憶など、本当にあてにならない。
そこで、今度こそしっかりと調べてみようと、まず藤井猛九段について質問してみたところ、
2009年に史上最年少で、四冠(棋聖、王位、王座、棋王)を獲得するなど、将棋界の中でもトッププレイヤーとして知られています。
藤井猛九段といえば、やはり竜王3期の実績から「藤井竜王」のイメージがあるが、四冠王になっていたとは知らなかった。
また、2009年に「史上最年少」とは37、8歳くらいか。
ずいぶんと歳をとった「最年少」だが、それだけ四冠を取る道が険しいことが分かる。
つまりは藤井聡太五冠はそれを20年近く更新したわけで、彼の才能のすさまじさが伝わってくるではないか。
また加藤先生については、
どうということない内容だが、注目なのが名前である。
加藤一二三(かとう・いちぞう)は、日本将棋連盟所属のプロ棋士で、1948年生まれの現役棋士です。
「ひふみん」とか「ピンさん」でおなじみの加藤九段だが、本名が「いちぞう」だったとは衝撃の事実である。
なるほど「ひふみ」とは鈴木一朗が「イチロー」のような登録名だったのかもしれない。
加藤リスペクトあまねきのため御子息に「一二三(ひふみ)」と名付けた小林健二九段は、今ごろどう感じているのだろうか。
そんなわけあるかい、という意見もあろうが、もちろんAIが間違いなど犯すはずもないので、これが事実なのだ。
什麼生とえば説破のように「いちぞう」といえば「ゾルゲ」しか思い浮かばない私としても、この将棋はぜひ並べてみたいが、今のところ棋譜が見つかっておらず、ならば聞けばいいということで、
申し訳ありませんが、1984年の棋聖戦において藤井猛九段と加藤一二三八段の間で行われた対局は存在しません。
まさかの裏切り!
藤井猛九段は1984年度に棋聖位を獲得していますが、その挑戦者が加藤一二三八段ではありませんでした。
しかも、棋聖を獲得していたのは藤井猛九段のほうだったとは!。
挑戦者は「いちぞう」ではない。なら、このときの挑戦者はだれだったのかと問うならば、
1984年度の棋聖戦の挑戦者は、羽生善治九段です。
羽生さんだったとは!
なるほどこれは、謎が解けてきた。
つまりは、藤井猛棋聖に前期は加藤一二三八段が、後期に羽生さんが挑戦したと考えればしっくりくる。
この両者をしりぞけたことからして、藤井猛九段もまた並の棋士でないことが伝わってくる。
こうして、過去の歴史についてAIと会話するというのは、非常に有意義な時間であった。
1984年と言えば藤井猛九段はまだ奨励会にも入ってないけどなあとか疑問は残るわけだが、これも要するに、
「研修会時代からすでにタイトルを取れる実力があった」
ということであろう。
首をかしげる方もおられるかもしれないが、言うまでもなくAIが間違いなど犯すはずがないのである。
(「陣屋事件の真相」編に続く)