コーエン兄弟の『ノーカントリー』は「萌え」映画ではないか。
私は「萌え」というのにうといタイプで、もともとアニメや美少女ゲームなどに縁があまりなかったせいか、そういった文化にピンとこないところがある。
いや、もちろんキャラクターがかわいいというのは理解できるし、『ゆるキャン△』とかも好きだけど、それこそ『月刊熱量と文字数』のサンキュータツオさんや松崎君のような熱さでは語れないし、『艦これ』みたいな「擬人化」とかなってくると、もう置いてけぼりである。
そんな「萌え」に関してはド素人の私が、「これがそうかも!」と感じるところがあったのが、映画『ノーカントリー』。
傑作『ファーゴ』でヒットを飛ばしたコーエン兄弟によるバイオレンス映画で、専門家筋の評価も高いが、これが確かにおもしろかった。
あらすじとしては、テキサスに住むベトナム帰還兵ジョシュ・ブローリンが狩りの最中に、死体が散乱しているのを発見する。
どうも麻薬取引の際にトラブったギャングたちが、壮絶に撃ち合った後のようなのだが、相撃ちで全滅した後に、大金だけが残されてた。
危険極まりない状況だが、ジョシュはその金を拝借することにする。
だが唯一、瀕死ながらも生き残っていたギャングのことが気にかかり、「水をくれ」と訴えていた彼のため現場に戻ったのが運の尽き。
そこでギャングと鉢合わせしてしまい、命をねらわれるハメにおちいる。
そこからジョシュはメキシコ系のギャングと謎の殺し屋、また彼を追う保安官や賞金稼ぎなどもまじっての追跡劇に巻きこまれるのだが、ここでやはり、キモとなるのがハビエル・バルデム演ずるところの殺し屋シガーであろう。
この人がですねえ、とにかく存在感が抜群。
出てきた当初というか、オープニングはこの人からはじまるんだけど、とにかく何を考えているのかわからず、メチャクチャにアヤシイ雰囲気が芬々。
自分を逮捕した保安官を殺すシーンとかは、まあ必然性があってわかるとして、その後も彼はとにかくバンバン人を殺しまくるんだけど、そのほとんどに大した理由がない!
いや、一応はウディ・ハレルソン演ずる賞金稼ぎが
「ヤツなりの論理とルールで動いている」
みたいなことを教えてはくれるんだけど、その内容の詳細はないし、そもそも気ちがいだろうから説明されても理解不能だろうしで、あたかもターミネーターのような、ただの殺人マシーンにしか見えないのだ。
ハビエルのコワいのは、まず見た目。
これは演じた本人も
「オレは見た目が変だから、こんな変な役がお似合いなんだよお」
とボヤくように、たしかにそれだけでインパクト充分。
一目、「オフってる状態の竹内義和アニキ」であろう。
目や鼻など各種パーツが大きいため、そこが目を引くのに、それが劇中まったく動くことがないんだから、その能面のごとき冷たさが気になってしょうがない。
とにかく、人を殺そうが、自分が撃たれようが、後ろでなにかが爆発しようが、ずーっと無表情。
思わずFUJWARAのフジモンのごとく、
「顔デカいからや!」
なんて、つっこみたくなる迫力なんである。
さらにハビエルのコワいのは、その武器。
この手のバイオレンスといえば、やはり銃描写がおなじみだが、ハビエルの使っているのは、われわれの連想するバンバンというアレではない。
ボンベを使った空気圧で弾を打ち出すという、なんでも家畜専門の安楽死アイテムらしく、その「プシュ」という乾いた音とともに、
「人間を、家畜程度にしか呵責を感じず殺す」
という空虚感も表現されていて、これまたすこぶるオソロシイ。
なにかこう、「処理してます」感が満々なのだ。
とどめは妙な粘着性。
物語前半の、ガソリンスタンドにおけるおじさんとのやりとりなど、観ていてストレスがすごい。
善良そうなおじさん相手のなにげない無駄話に「なにがおかしい?」「どう関係あるんだ?」とネチネチからみまくり、
「ちょっと、ヤバイ客やん……」
テンション下がりまくりのおじさんに、
「いつ寝るんだ?」
「おまえの家は裏にあるあれか?」
「その時刻に会いに行く」
とか、あまつさえ突然コインを取り出して、
「表か裏か賭けろ」
なんて言い出して、「何を賭けるんだ?」と訊いてもまったく応えてくれなくて、たぶん外すと殺されちゃうんだけど、その殺人に動機とかもなくて……。
観ているだけで心がザワザワして、耐えられません。もう、東京03の飯塚さんのごとく、
「こえーよー!」
絶叫したくなるようなシーンが延々と続くのだ。
そう、この『ノーカントリー』はラストの終わり方とか(コーエン兄弟によると「だって、原作がそうだからしゃーないやん」とのことらしいけど)、おびただしい数の殺人とか、イェーツの詩とかトミー・リー・ジョーンズの夢の話とか、それこそコインに象徴されるハビエルの思わせぶりな「悪魔的」行動とかで、
「形而上学的で難解」
と解釈する人もいるみたいだけど、私からすればこれはもう、
「ハビエル・バルデム大暴れ映画」
ということで、いいんでないかと思うわけだ。「怪獣映画」ですよ。
いやーなんか、ストーリーとかどうでもよくて、
「《無垢なる暴力》としての象徴」
「人の運命は不条理で残酷なもの」
「欲と悪にまみれた人間の悲劇」
とかなんとか、そういうのはとりあえず横に置いておいて、それ以上にやはりキャラクターとしての勝利ではないかと。
なんかねえ、月影先生とか、黒い天使の松田さんとか、男岩鬼みたいに、
「出ているだけでオモロイ」
そういうことなんじゃないだろうか。
で、そこでポンと手を叩いたわけだ。
「これって、【萌え】っていうんじゃね?」
つまりだ、「萌え」の定義は数あれど、そのなかのいくつに、
「なにも事件など起こらなくても成立してしまう」
「存在することが、もうかわいい」
「見ているだけで癒される」
こういうものがあるとすれば、まさにこの映画のハビエル・バルデムが当てはまる。
以前、『けいおん!』を観たとき、なんとなく退屈で1話でやめてしまい、アニメファンの友人に、
「その、なにも起らん感じがええのになあ」
と諭されたことがあったが、たしかにあの作品の唯ちゃんや律ちゃんをハビエルに変換すれば、今なら言いたいことはわかる。
それなら絶対におもしろいし、観る。それこそ、まさにキャラクターの魅力であり、「萌え」ではないのか。
ということで、早速『けいおん!』をすすめてくれた本人である友人イズミ君に問うてみたところ、
「いや、違うと思うけど……」
私の萌えへの道は2020年も遠そうである。