前回(→こちら)の続き。
「A級から降級したら引退」
をかかげていながらも、その不屈の精神でなんどもピンチをしのいできた、69歳(!)の大山康晴十五世名人(第1回は→こちらから)。
それどころか、1992年の第50期A級順位戦では、5勝3敗と勝ち越し、降級どころか、名人挑戦をねらえる位置につけていたのだ。
最終戦も、当時四冠(竜王・棋聖・王位・王将)を保持していた谷川浩司相手に、ほとんど完封ペースで戦いを進める。
このまま押し切るかに思われたところで、最後にすごい場面が飛び出した。
先手の大山が▲53歩成としたところだが、これが波乱を呼びこんだかもしれない手。
控室の検討陣から大盤解説場のお客さんたちまでが、一斉に悲鳴を上げた、すごい踏みこみだったのだ。
ここが後手にとって、最後のチャンスだった。
この手自体は、と金を作って、
「▲53のと金に負けなし」
の格言通りな上、角取りにもなって、きびしい手である。
ただし穴熊相手だと、まだターゲットが遠い。
それどころか、ここでもう1手▲52と、と角を取ったとて、やはり後手の穴熊はまったく傷んでいない。
後手はこの2手の間に、命懸けの特攻を見せられるわけで、事実△77角成という、破壊力バツグンな手がある。
さあ、「光速の寄せ」谷川浩司の美技がみられるぞと、期待は高まり、一方の大山ファンは祈ることしかできないが、あにはからんや。
なんとここで、後手は△41角と逃げたのだ。
これでは、先手の▲53歩成が、まるまる通ってしまうことになり、得しかない形だ。
最終盤で、こんな勢いのない手を指しては、いかな谷川といえども勝てるわけがない。
桐山清澄戦に続いて、またも一流棋士に
「将棋にない手」
を指させた大山は▲67金と打って、とどめを刺した。
これこそが、まさに大山流の受けつぶしであり、相手に何もさせませんよと宣言した、冷たい指し方。
将棋には伝説的な手というのがたくさんあって、
「升田の△35銀」(→こちら)
「中原の▲57銀」(→こちら)
「羽生の▲52銀」
「谷川の△77桂」(→こちら)
今なら藤井聡太四冠の「▲44桂」「△77同飛成」「▲41銀」とか、これは書き切れないが、この
「大山の▲67金」
もまた、そのひとつであり、まさに「大山伝説」の最終章を飾るに、ふさわしい1手だ。
この手で、戦意を完全に喪失した谷川は、この後すぐに投了。
「はじめて大山先生に本気を出してもらった気がします」
という言葉を残し、その余韻も冷めやらぬまま、高橋も塚田泰明八段に敗れる(塚田は6連敗からの3連勝で奇跡的な残留)。
3敗の南芳一九段が勝ったことから、これで谷川、南、高橋、大山の4者プレーオフに突入。
「伝説」はまだまだ続くどころか、信じられないような
「70歳名人」
の可能性すら出てきた。もう、笑うしかないよ。
パラマス方式による4者プレーオフは、まず大山と高橋から。
戦型は後手の大山が、今ではなつかしいツノ銀中飛車にすると、高橋はやはり居飛車穴熊。
当時の感覚では、バランスはいいものの玉のうすい後手が「勝ちにくい」形に見えたが、大山は軽快にさばいて優位を築く。
△86歩、▲同歩に△87歩と急所にタタくのが、気持ちいい攻め。
▲同銀と取らせて、△79の金が浮いたところで、△46角と軽快に飛び出す。
▲78金と逃げるしかないが、△55金と中央を制圧して、見事な振り飛車さばけ形。
困った高橋は▲84角と飛び出し、△73金に▲同角成と切り飛ばす、苦肉の策。
とにかく、後手のカナ駒をけずって、陣形の差でなんとかしようということだが、手を尽くして▲23飛成とつっこんだところで、△22歩、▲同竜、△33角の受けがピッタリ。
竜を逃げては△45歩と角筋を通すのが絶品で、勝負どころがなくなる。
困った高橋は▲33同竜と切り飛ばして、捨て身の特攻にかけるが、これでは苦しい。
図ではすでに、後手が勝勢。
ここで大山に、決め手があった。
そう、ここまで△81の地点で受けに効かしていた飛車を、ぐるりと△21に回る妙手があったのだ。
これで次の△29飛成が受からない。
後手はもう1枚飛車があるから、駒を埋めて守っても、手が伸びない形だ。
こうなれば大山必勝で、
「大山先生は、今が全盛期だ!」
控室の棋士たちも脱帽だったが、なにか錯覚があったか、大山は△88歩と飛車の転換を逃してしまう。
以下、▲同金に△28飛は自然な攻めだが、これだと▲78金打と補強する筋があって、先手もがんばれる。
これでも後手優勢だろうが、体力に不安のある大山にとって、少しイヤな流れになったことは否めない。
自然なのは△29飛成として、△77桂打のような手をねらうところだが、桂を取ったときに▲58桂と打つ手が気になる。
手が見えなくなった大山は、苦悶に沈む。フィニッシュホールドをのがし、明らかに雰囲気がおかしい。
そして、ここで敗着を指してしまった。
△85歩と打つのが、暴発となった。
▲同歩、△同飛、▲86歩、△75飛、▲76歩、△同金に▲84銀と、たたきつけるのが痛打。
△同玉は▲85銀や、一回▲76銀と取ってから、△同飛、▲85銀などで、飛車を取られてしまう。
バランス型の後手陣は、こうなると弱い。
将棋は完全に逆転したが、大山はまだあきらめず、玉を中段に泳ぎだして入玉にすべてをかける。
その迫力に、高橋もあせらされたかもしれないが、最後まで逆転の目はなかったようだ。
次の手を指すとき、大山は力強い手つきだったそうだが……。
△37角成が、この手の形の手筋。
▲同桂と、根元の歩と桂を除去すれば、△同玉でも△36玉でも、逃げ切りが見えてくる。
だが、この将棋は、高橋が勝つようにできていた。
▲16飛と打つのがピッタリの手で、後手玉は見事につかまっている。
さしもの大山も、ここで投了するしかなかった。
こうして、昭和から平成をまたぐ時期のA級順位戦を、盛り上げに盛り上げた「大山伝説」は幕を閉じた。
その次の年、A級順位戦を一局だけ指したところで、69歳の大山はガンの再発のため入院し、「70歳」A級を目前にしながら、そのまま帰らぬ人となった。
(羽生善治と佐藤康光の熱闘編に続く→こちら)
水匠2ではこの手が最善手とのことです(先手約+700点)。次の後手は、ご存知の通り△77角成が最善でした。その後は▲同龍⇒△同龍⇒▲5二と、で先手良いと。
>>▲67金と打って、とどめを刺した。
ここは▲4二金打が最善で、約+1200点まで行きました。本譜の▲6七金打でも優勢のままですが、約+900点でした。まあ、大勢には影響無いかもですが。
▲53歩成、△77角成でも先手優勢で、▲67金では▲42金の方が勝ちが早かったのは、当時の記事でも書かれていましたね。
よく「優勢なときや、不利なときのねばり方に【棋風】が出る」といいますが、その典型例かもしれません。