前回(→こちら)の続き。
プロでは指す者も減った振り飛車穴熊を自在に乗りこなし、着実にトップへの階段を昇りつつあった、若手時代の広瀬章人。
「神の子」と呼ばれた男が、ついにブレイクを果たしたのが、2010年度、第51期王位戦だ。
予選リーグで、木村一基、佐藤康光、渡辺明、松尾歩、大石直嗣といった強敵相手に、4勝1敗の成績をあげ、挑戦者決定プレーオフに駒を進める。
もう一方の組から上がってきたのは、羽生善治名人。
いうまでもなく大強敵で、正直なところ羽生が順当に勝つのだろうと思っていたが、ここで広瀬はすばらしい将棋を披露する。
いや、それどころか、この大舞台で羽生相手に、圧倒的な勝ち方を見せて、周囲を驚愕させるのだ。
話題になったのは、この局面。
相穴熊戦から、広瀬が中盤うまい指しまわしで、リードを奪う。
まだ双方穴熊の堅陣が残っており、もたもたしてると、後手から△36桂など迫る手がある。
さあ、ここから終盤の寄せ合いだぞ、と座り直すのかと思いきや、なんとここで広瀬は強烈なアッパーカットをお見舞いし、将棋を終わらせてしまう。
▲22馬とバッサリ切るのが、当時絶賛された見事なKOパンチ。
△同金と取るが、▲31銀と割り打ちして後手玉は寄り形。
△22同玉と取るのもそうだが、▲34にいる歩が首筋に突きつけられたナイフのように後手玉を押さえており、▲55角の筋を受ける形がないのだ。
どこにも合駒できないわけで、羽生は
「敵の打ちたいところに打て」
とばかりに△55角と先着するが、自然に▲51飛とおろして先手勝ち。
以下、△36桂と打つも、▲55飛成と取って、△28桂成、▲同金となったところが、やはり典型的な「穴熊のゼット」。
自玉に詰みどころか、王手すらかからず、後手玉はほぼ受けなしで、これ以上なくわかりやすい一手勝ち。
△39銀くらいしかないが、そこで▲22銀成、△同玉に▲33歩成がさわやかな軽手。
△同玉に、▲11角と打って詰みになる。
すばらしい内容の将棋で、広瀬がタイトル戦に初登場。
あの羽生善治を、一撃でマットに沈めての檜舞台登場だから、それはそれは衝撃的だった。
広瀬の振り穴は本物だった。
これは長らく続いた「羽生世代」+渡辺明、深浦、久保、木村といったタイトル戦の常連に、ついに若手が一発入れる時代が来たのではと、衆目を集めることとなった。
むかえた本番でも、広瀬は初の大舞台とは思えない、堂々たる指しまわしを見せる。
4期目の戴冠をねらう深浦康市王位相手に、千日手もはさんで3勝2敗とリード。
決着となった第6局でも、必殺の振り飛車穴熊を発動させ、実力者深浦と、力くらべのようなねじり合いを披露する。
2枚の飛車や△15の玉など、駒の配置がいかにもな熱戦を感じさせるが、先手玉は詰めろ、一方後手玉は
「桂先の玉寄せにくし」
を地で行くような形。
ふつうの受けではしのぎきれなさそうで、なにか返し技が必要な場面だが、ここで広瀬は「振り穴王子」の真骨頂を見せる。
▲37角と、ここに打つのが穴熊独特の、空間を埋めるすごい手。
まさかの王手だから取るしかないが、△同と、では先手の上部が厚くなり勝ち目がないとみて、後手は△同角成とこっちから行く。
そこで銀でなく、▲同竜と取るのが、穴熊のスペシャリストが見せた、大駒捨て第2弾。
玉頭の接近戦では、飛車や角より、と金の価値が高いのだ。
今度こそ△同と、しかないが、▲同銀と取って先手玉の脅威は大幅に軽減され、一方後手玉は▲26銀打からの詰めろ。
このあたり、広瀬は「はっきり悪い」と感じていたそうだが、指し手はド迫力だ。
ここで後手から△26銀と打てば、▲28銀打しかなく、千日手になった可能性が高いが、深浦は△26桂。
やはり空間を埋める手でせまるが、▲28銀打と埋めるのが穴熊流のリフォーム。
以下、△55角に▲26歩と桂馬を取り、△37角成、▲同桂、△38金と迫るも、▲27桂、△26玉、▲29香。
どこまでも、スキマを作らないまま攻防手を連発し、ついに深浦の猛攻をしのぎ切ってしまった。
こういうゴチャゴチャした戦いは深浦の土俵かと思いきや、広瀬の腕力も並ではなかった。
4勝2敗のスコアで、広瀬が初タイトル獲得。
この将棋はその年の「名局賞」も受賞し、結果のみならず、内容の面でも魅せる棋士であることを実証したのである。
こうして23歳の「広瀬王位」が誕生した。
学生でのタイトルホルダーというのも話題になり、ついに新時代の幕開けかと棋界は色めきだった。
ただ、当時の将棋界を知る者にはわかっていた。
いかな広瀬が、銀の匙をくわえて登場した男とはいえ、そんな簡単にことが運ぶことなどないことを。
そう、栄冠を手にし、洋々と広がる前途に胸躍らせる棋士たちの前に立ちはだかり、幾度も容赦ないカウンターパンチで、絶望の底にたたき落としてきた「あの男」が、このまま黙ってなどいなかったのだ。
(続く→こちら)