前回の続き。
2013年の第61期王座戦は、挑戦者の中村太地六段が、羽生善治王座を2勝1敗とリードし、奪取に王手をかけている。
千日手指し直しになった第4局。
角の王手に応手は2つだが、片方は生で、もう片方は死。
To be or not to be. まさにシェイクスピア悲劇のごとく、頭をかかえたくなる場面だ。
時間がせまる中、選択をせまられた羽生は△73玉とよろけた。
これは正解だったのか。どっちだ。
答えは「激戦続行」だった。
当初の読み筋では、羽生は△72銀で詰まないと見ていたそうだが、もしそのまま銀を打っていれば、▲95桂、△73玉、▲72角成、△同玉、▲83金、△62玉。
そこで▲51銀と捨てるのが、うまい手。
単に▲82飛成は△51玉で逃げられる。
先に▲51銀と退路封鎖して、△同金、▲82飛成、△
いや、結果論的に言えば、そもそも後手玉はその前にとっくに詰んでいた。
これは冒頭で▲61角と王手した図の、少し前の局面。
ここから、▲83銀、△同玉、▲81飛、△82銀、▲67馬、△同歩成、▲61角と進むのだが、銀を打つ前に、ここで▲64桂と捨て駒をしておけば、後手玉は詰んでいたのだ。
△同金の一手に、そこで▲83銀から同じように進めれば、後手玉は△64の地点が埋めつぶされて逃げられず、そこでお縄だったのだ。
とはいえ、それはそれで△63から△54と抜け出すルートを作るようにも見え、指しにくいところではある。
ギリギリのところで「指運」の良さを見せた羽生だが、まだ後手玉は赤信号が灯ったまま。
警告音が盤上に鳴りまくる中、△73玉に▲82飛成と追って、△64玉(ここに逃げられた!)から懸命の逃走劇に▲65歩、△54玉、▲43銀。
取れば詰みだから、△55玉。
わずか蜘蛛の糸一本でつながる驚異の空中脱出ショーだが、▲56歩、△65玉で、ふたたび先手に、ハッキリとした勝ち筋が出現した。
寄せにいくか、それともなにか攻防手のようなものがあるのか。
1分将棋の中、中村太地は懸命に「王座」の王冠が入ったつづらを探すが、ここで放った▲57桂の王手が、あと指一本で届くはずだった栄光を逃す敗着だった。
ここでは▲66歩と打てば、先手が勝ちで「中村王座」だった。
△同と、▲同銀、△同玉、▲67歩と王手しながら自玉を安全にしていくのが、玉頭戦の手筋。
後手がどう応じても、▲58金とか▲78金とか、▲57桂とか▲68桂とか、先手先手で味方の駒を増やして詰まないようにし、最後に△52に落ちている金を取れば明快だったのだ。
▲57桂では、後手玉が△56、△47、△36と右辺にスルリと逃げ出す形で、つかまらない。
そこでついに力尽き、中村太地が投了。勝負は最終局に持ち越しとなった。
まさに大熱戦の中の大熱戦。
シーズン終盤のA級順位戦最終局、三浦弘行九段と久保利明九段の一戦にまくられるが、それまでの年間「名局賞」候補は間違いなく、この将棋なのだった。
このシリーズに惚れこんだ私は、5番勝負の特に第1局、第2局、そしてこの第4局を何度盤に並べたか、わからないほどだ。
羽生善治は強い、そして中村太地もそれに、決して負けていない。
これで勝負はフルセットにもつれこんだ。
ここまで、すばらしい将棋を見せてもらった以上、もう結果がどっちに転ぼうが、祝福の拍手をする準備はできている。
泣いても笑っても、すべてが決まるこの一番で、後手になった中村は得意の横歩取りに誘導。
中終盤の戦いもおもしろかったが、やはりこの将棋は最終図が語られるべきであろう。
▲61角まで、中村が投了。
私は「形づくり」のようなものにさほどこだわらず、特に若手棋士は1手詰めまで、がんばる根性を見せてもいいと思っているが、ことこの将棋にかぎっては、この投了図を選んだ中村太地が「正解」であろう。
羽生王座は強く、中村六段もまた、すばらしい将棋を見せてくれた。
両対局者の所作は優雅で、将棋も洗練されながらも、中終盤は汗が滴るくらいに熱く、どちらもすべての力を出しつくした好局ぞろいだった。
一言で言えばクリーンで、羽生さんたちが作ってきた「平成の将棋」って、こんなんなんだよなあ。
そして、この流れが今の「藤井聡太」登場につながるのだ。
まだ無頼のイメージが強かった将棋の世界を、知的でスマートなものに変えていったのが、羽生をはじめ、森内俊之、佐藤康光、郷田真隆といった「羽生世代」や中村太地といった棋士たちだった。
まあ、この点は好みもあるだろうが、今の若手棋士たちが、そのレール上にいるのは、それこそ昨日順位戦の解説をやっていた、佐々木勇気や佐々木大地のような人たちが、人気を集めているのを見れば一目瞭然だろう。
そこにとどめのように現れた、藤井聡太というさわやかな存在は「正当な継承者」というイメージが強く、時代にもマッチしているように思える。
ちなみに、このときこそ敗れはしたが、中村太地は数年後の2017年にふたたび王座戦に登場。
今度は3勝1敗のスコアで羽生に勝利。悲願の初タイトルを手にするのだった。
(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)