「《現代アート》とはお笑いのボケである」とパオロ・マッツァリーノは言った その2

2020年07月14日 | うだ話
 前回(→こちら)の続き。
 
 「現代アートって、どうやって鑑賞したらいいんですか?」。
 
 そんな難儀な敵との戦いに、ひとつの補助線をひいてくれそうな論としてこういうものがある。
 
 「アートとは、お笑いでいう『ボケ』である」
 
 こう喝破したのは、メイプル超合金のカズレーザーさんもおすすめ『昔はよかった病』などでおなじみの、パオロ・マッツァリーノさん。
 
 「アート」というのがむずかしいのは、個人的な感覚としては
 
 「リアクションの取りようがない」
 
 ということではないか。
 
 スポーツならスーパープレーは素人でも拍手を送りたくなるし、スコアを見ればどっちが有利か形勢もわかる。
 
 お笑いや手品、音楽はまさにそのライブ感覚で、わかりやすく反応できるものだ。
 
 ところが、これが芸術となると、そうはならない。
 
 すぐれた作品を見ても、それが良かれ悪しかれ、「うむ」とか、「なるほど」くらいしか口にしようがない。
 
 もっといえば、私のような自意識過剰な人間など「いい」と思っても、それをすなおに出すのは、
 
 「オレは芸術を理解できるぞアピール」
 
 で、なんだかイタいのではないかと心配になるし、逆に「ダメだ」となっても、それはそれで、
 
 「最新の芸術的センスについていけないポンコツ男」
 
 そう解釈されるのではと、気になって言い出せない。
 
 そうした苦悩の末、目の前にあるものをもう一度確認すると、マネキンがサイケデリックに塗られていて、そこに「原子への飛翔」とか題がついてたりして、頭をかかえることになる。
 
 そこで、この「どないせい」の部分に光をあたえるのが、パオロさんの論だ。
 
 「現代アートっていうのはとは、お笑いでいう『ボケ』」
 
 そこに続けて、こういうわけだ。
 
 「だから、その相手がくり出す珍妙なアイデアに、どんどん『つっこみ』を入れればいいんです
 
 現代アートはボケだから、つっこみを入れろ!
 
 まさに『つっこみ力』なる著書もあるパオロさんならではの意見だが、実はこれは単なるウケねらいではない。
 
 パオロさんの言葉を私なりに要約すると、アートというのものの本質は「非日常的な発想」であると。
 
 われわれがふだん生きていてとらわれがちな「普通」「当たり前」「常識」といった膠着した思考に、別角度の切り口をあたえ、そのことにより感性をゆさぶるのだと。
 
 つまりこれは、構造的にいえば「ボケ」であると。
 
 「サービス」には「レシーブ」「什麼生(そもさん)」といえば「説破」のように「奇想」には「常識からのつっこみ」が正しいリアクション。
 
 なるほど、われわれは難しく考えすぎていたのだ。
 
 それこそ、アートといえばこの人のアンディー・ウォーホールなら、
 
 
 「缶詰ばっかりや! キリスト教原理主義者の地下室か!」

 「毛沢東主席、多いな! これ全員で大躍進と文革やったら、どんだけ死人出るねん!」

  「『エンパイア』8時間て、どんだけやねん! 小林正樹監督の『人間の條件』と、《どっちが地獄かロングラン上映会》開催せえ!」
 
 
 この調子である。
 
 これだったら、どんなワケのわからない作品を見せられても、反応に困ることはない。
 
 ゆにばーすの川瀬名人でも、ラランドのニシダ君でも、好みの「つっこみ芸人」を参考に、どんどん見ていけばいい。
 
 かつて村上隆さんが、ある対談でこんなことを語っていた。
 
 「アートというのは、バカをやることなんですよ」
 
 それこそ村上さんの出すものなど、非常に賛否両論を呼ぶ時があるというか、正直私などもなにがいいのかよくわからないけど、そういうときも、「バカをやる人」に対するように、
 
 「全然おもんないやん!」
 
 「すべっとるがな!」
 
 もう、ガンガンいけばいい。
 
 だって、「アート」なのに、全然心が動かないというのは、漫才やコントでいえば「笑いが起きていない」のと同じようなもの。
 
 「奇想」「バカ」に対して、「ふーん」としか返ってこないなら、それは「すべっている」わけだから、そう伝えるしかない。
 
 お笑い好きの女子高生がライブ後のアンケートに書くように、
 
 「もう少し、ボケの方ががんばってくれると、よりおもしろくなったかもしれません」
 
 とか言っておけばいいのだ。すべってるのは「むこうの責任」なんだから。
 
 以上のようなことを、アビコ君に伝えてみたところ、
 
 「なるほど! それやったら、ボクにもできそうですわ。お笑いやったら、よう見てますし」
 
 こうして私は、一人の悩める後輩をまた救ったのだが、彼によると、後日に有名な「アート映画」に出かけて、彼女の隣で、
 

 「『みーなごーろーしー♪』って楽しそうに歌うな!」

  「火を吹いて後ろ向きに飛ぶとか、どういうセンスや!」
 
 「100万人ゴーゴー大会って、20人くらいしかいてないやんけ、いかす、いかすゥ!」
 
 
 などと、その感性のままにバンバンつっこんでみたそうだ。
 
 これが、思ったよりも痛快であったらしく、
 
 「そうかー、アートってこんなおもろいもんやったんかあ」。
 
 ミイラ取りがミイラというか、アビコ君自体すっかりアートにハマってしまったそうだが、肝心の彼女はといえば、
 
 「こんなオシャレなところで、バカみたいに大声出して、恥ずかしいったらありゃしない!」
 
 すっかりへそを曲げてしまい、気まずいデートとなってしまったという。
 
 嗚呼、まったく芸術をわからぬ無粋な女であることよ!
 
 
 

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