藤井聡太棋聖が誕生した。
これで長らく、屋敷伸之九段が保持していた「史上最年少タイトルホルダー」の記録を更新。
しかも、相手が現在最強と言っていい渡辺明三冠で、結果だけでなく将棋の内容的にもトップ棋士と遜色なく、まさに文句なしの大偉業。
どころか、今度は王位戦と合わせて(第2局の終盤戦はおもしろかったなあ)「史上最年少二冠」の目も充分で、いやもう、こりゃスゴイことになってきた。
ただ、このまま「一人勝ち」をゆるしていいかというと、それも問題かもしれない。
話題性という意味では今はいいかもしれないが、ブームが落ち着いているだろう数年後のことを考えると、やはりここは
「藤井聡太に肉薄するライバル」
の存在が必須なわけで、他の若手棋士たちの奮起も期待したいところ。
みんなで張り合って、切磋琢磨して『ヒカルの碁』みたいになってほしいもんです。楽しみは尽きない。
そこで、前回まではまさに一人勝ちして「退屈なチャンピオン」とあつかわれてしまった大山康晴十五世名人のシビアな盤外戦術を紹介したが(→こちら)、今回は同世代のスターに待ったをかける、ライバルの戦いを見ていただこう。
トップ棋士でも、意外と取ってないタイトルや、トーナメントというのが存在する。
王位、棋聖、王将、棋王を取っている郷田真隆九段はなぜか竜王と名人に縁がないし、渡辺明棋王・王将がなかなか名人戦に出られなかったのは、現代の「棋界七不思議」のひとつだろう。
では、平成の将棋界に絶対王者として君臨してきた、羽生善治九段はどうだろう。
「永世七冠」をはじめとして、NHK杯優勝11回(!)とか全日本プロトーナメント時代も含めて朝日杯も5勝。
銀河戦7勝、日本シリーズ5勝、若手時代には新人王戦も取っている。
あと今はない棋戦では早指し選手権、若獅子戦、若駒戦、天王戦、達人戦、IBM杯、オールスター勝ち抜き戦が16連勝(5連勝で優勝回数1とカウント)。
こうして並べると、あらためてえげつないというか、カール・マルクスも激おこの富の独占ぶりである。
となると羽生は七冠だけでなく、なにげに「参加棋戦全冠」という、究極のグランドスラムを達成しているのかといえば、実は羽生にも「撃ちもらし」がある。
できて日の浅い叡王戦を別にすれば、羽生に優勝経験のない棋戦として「早指し新鋭戦」というのがあるのだ。
早指し新鋭戦は2002年まで続いた「早指し選手権」の新人版。
森内俊之、佐藤康光、藤井猛、深浦康市、行方尚史、山崎隆之といった、そうそうたる面々が優勝者に名を連ねているが、ここに羽生の名前がない。
まず1988年に決勝進出を果たしたが、実はこれはライバル森内俊之との大勝負というだけでなく、「羽生の大ポカ」としても有名な一戦。
戦型は先手になった森内が、角換わり棒銀から今では見なくなった、升田幸三九段の新手「▲38角」型を選択。
中盤戦、羽生が△54歩と突いたところ。
中央でイバっている銀を追い返して、自然な手に見えるが、これが上手の手から水どころか、ナイアガラの瀑布が漏れた大悪手。
指した瞬間、羽生も「あ!」となったらしいが、次の手で将棋は終わりである。
▲53銀と打って、これまた升田流でいえば「オワ」。
△55歩と銀を取ると、パーンパパーン! とファンファーレを鳴らしながら▲25飛と銀を取れる。
△同飛には▲42銀打でおしまい。
△24歩と受けても、▲55飛とまわって、歩切れの後手は指しようがない。
先手は▲42銀打で飛車は取れるわ、▲85飛からぶん回す筋はあるわ、やりたい放題。
しょうがないので、▲53銀に羽生は△62金とするが、取られそうな銀を▲44銀上と進出させて気持ちいいことこの上ない。
この将棋を振り返って森内は、
「▲53銀で投了もあると思った」
そうコメントしたそうだが(なかなか言うもんである)、それくらいの破壊力。
まさに「一手ばったり」の典型のような形。
以下、△44同金、▲同銀成、△52角となるが、俗に▲53金と打ちこんで必勝だ。
「羽生のポカ」といえば竜王戦の一手トン死が有名だが(→こちら)、この早指し新鋭戦でのウッカリも、決勝という舞台といい、テレビ放映されていたこともあって、なかなかのインパクト。
ただ羽生といえば、一度敗れた棋戦と相手への「リベンジ率」が異様に高い男だ。
そのイメージ通り、翌年すぐ、また決勝にあがってくる。
相手も同じく森内俊之四段だった。
(続く→こちら)