前回(→こちら)に続いて、『秘伝 将棋無双』(湯川博士著 門脇芳雄監修)について。
以下ネタバレになるんで、『将棋無双』を自力で解いてみたい人(がんばってください)は、飛ばしてほしい。
前回は「歩の不成」それも2連発という、超弩級のトリッキーな手筋について語ったが、この感動をさらに上回るのが、最後に出された「神局」とも呼ばれる「第30番」。
これがまた、驚天動地のすごいシロモノ。
詰め手順は、まず▲23金と、金のタダ捨てから入り、△25玉に▲24金と、さらに捨てる。
△同玉に▲34飛成と取って、△同玉に▲33飛。
△45玉、▲35飛成、△56玉、▲55竜。
ここまでは、特になんということもない手順だが、もう少し待っていただきたい。
△67玉に、▲66竜と追って、△78玉、▲79香、△同玉、▲68銀、△88玉、▲77竜、△98玉、▲99歩、△同玉、▲97竜、△98銀成、▲66馬。
お待たせいたしました。
ここからが、伊藤宗看渾身のスーパーイリュージョンが開始されます。
盤面下で眠っていた馬が、ここから、おそるべき活躍を見せます。
▲66馬、△89玉に、▲56馬と王手。
△99玉に、ひとつ上がって▲55馬と王手。
△89玉に、ひとつ横にすべって▲45馬の王手。
△99玉に、ひとつあがって▲44馬の王手。
△89玉に、ひとつ横にすべって▲34馬の王手。
……と書き写してみると、ただ馬を動かして王手してるだけで、後手は玉を△89、△99と同じ手で逃げるだけ。
なんのこっちゃというか、やる気あるんかと怒りたくなる、意味不明の手順に見えるが、これが盤に並べてみると、同じ手の繰り返しのようで、少しずつ違っているのがおわかりだろうか。
そう、馬の位置が微妙にズレているのだが、そのことによって、これが▲66の地点から、一歩ずつ北東の方角に、上がっていってるのだ。
この馬の動きは、まるでノコギリのようだから「馬鋸」と言われる高等テクニック。
もちろん、ただおもしろいだけでなく、ふかーい意味がある。
それは手順を追えばわかるもので、ここまでくれば次の手はおわかりでしょう。
▲34馬、△99玉に、▲33馬と、さらに一歩前進。
△89玉に、▲23馬、△99玉に▲22馬。
△89玉に▲12馬。
これで、ようやっと、ねらいがわかった。
馬でギコギコやりながら、先手がやりたかったのは、王手しながら遠くにある△12の歩をいただくためだったのだ。
この時点で、すでにため息だが、まだまだ、これは序章である。
首尾よく歩をゲットした馬は、今度どうするか。
▲12馬、△99玉、▲22馬、△89玉、▲23馬、△99玉、▲33馬、△89玉、▲34馬。
△99玉、▲44馬、△89玉、▲45馬、△99玉、▲55馬、△89玉、▲56馬、△99玉、▲66馬、△89玉、▲67馬、△99玉、▲77馬。
少し並べれば、あとは見なくてもわかるだろう。
そう、今度はさっきの鋸道を後ろ歩きで、ギコギコと元の場所まで戻っていくのだ。
で、この馬はここでお役御免と、△89玉に、▲78馬と捨ててしまう。
▲78馬、△同玉に、今度は▲77竜から追っていく。
△69玉、▲79竜、△58玉、▲59竜。
今度は「高野山の決戦」を思い起こさせるような、竜のぐるぐる回し。
△47玉、▲57竜、△38玉、▲37金、△28玉、▲27金、△38玉、▲28金、△39玉、▲48銀、△28玉、▲37竜、△18玉、▲19歩。
ここに来て、ようやっと馬鋸の真意がわかる。
この▲19歩が打ちたいがための、馬の大遠征だったのだ。
これをやらずに、▲66馬の王手から、▲67馬と捨駒をすると、ここで歩が足りず不詰になってしまうのだ。
エライ仕掛けがしてあるものだ。こんな罠、素人には見破れませんで!
しかも、話はまだ、これでは終わらない。
△19同玉に、▲17竜と王手したところで、背中のあたりから冷や汗がタラリと一筋、タレてくることとなる。
ま、まさかこれって……。
そう、そのまさか。
この形は、さっき▲66馬の王手から、ギコギコと盤面をナナメに切り裂いていったのと、瓜二つではないか!
△18銀成に、▲82角成と、ほとんど忘れられていた角が、ここで成り返ってくる。
となれば、もうこの後の手順は、お分かりであろう。
詰め方は、さっきとのように、▲83、▲73、▲74、▲64、▲65と、テンポよく南下してくる。
これには、並べていて腰が抜けそうになった。
一回、馬が行って返って鋸引きをするだけでもすごいのに、今度は逆からもう一回。ひええ!
そして、▲46馬、△29玉に、やはり同じく、▲47馬、▲37馬、▲38馬と捨ててしまってお役御免。
最後は、鋸引く馬の利きまで誘導する役割だった、いわばこの詰将棋のコンダクターだった竜が、またも風車のように、くるくる回りながら追っていく。
△38同玉、▲37竜、△49玉、▲39竜。
長かった旅路も、ここで終わりだ。
△58玉に、最後は▲59竜で、詰め上がり。
この詰め上がり図が、なんとまったくの左右対称で終了するという、見事なウルトラC。
大げさではなく、この図を見たときに、泡を吹いて倒れそうになりました。
なんやこれは、こんな手順を人間が創るなんてありえるのか、奇跡だ、神だ、まさに神局!
もちろんのこと、それらのアクロバティックな技の数々は、すべて必然手であり、それ以外のもって行き方では、詰まないように設計されているのだ。
なんという高度な作品なのか。もう泣きそう。
いや、本当に泣いた。私はこの本を読んで、東洋文庫の本式の『詰むや詰まざるや』を実際に買って、ざっと読んでみた。
そのあまりのすばらしさ、美しさに、ページを繰りながらボロボロと涙を流してしまった。
将棋パズルの本を読みながら、おえおえ、えぐえぐ、と嗚咽している男というのは、実に滑稽というか意味不明だが、そんなことも気にならないまま私は泣き続けた。
どうやったら、こんなすごいものが、作れるというのか。
これは、詰将棋どころか、将棋自体を知らない人でも、ぜひとも一度は鑑賞していただきたい。
今からでも遅くない、日本はこれを文化財に指定すべきだ。
なんなら、ルーブルみたいな美術館か博物館に展示してもよい。それくらいの価値はゆうにある。
現役のプロ棋士の中には、この『将棋無双』と『図巧』に魅せられてこの道に進んだという人もいるそうだが、その気持ちのカケラくらいは、胸が痛くなるくらいにわかった。
そして、詰将棋とは先人の残した偉大な遺産であり、そこには確実に「芸術」と賞されるだけの、技と魂がこめられているということも。
こんなすばらしい日本の、いや人類の宝が、将棋ファンにしか、いや将棋ファンでさえも知らないというのが、もったいなくて仕方がない。
すっかり『詰むや詰まざるや』にアテられてしまった私は、この本を歴史書、ミステリ、SF、そして「泣ける本」として、オールタイムベスト候補に推したい。
(『詰将棋探検隊』編に続く→こちら)
(斎藤慎太郎八段が解説する「将棋無双 第二六番は→こちら)