前回の続き。
後輩オウギマチ君に頼まれて、クリスマス前「出会い系」合コンだか、パーティーだかに出席することとなった2004年12月の私。
要は聖夜に向けての「ぼっち」回避のための、テストでいう追試、サッカーでいうアディショナルタイムでのもがきのようなもの。
ここに発動されたオペレーション「ザンダクロス」により、われわれはクリスマス遊撃隊「ヴェアヴォルフ(人狼)」は大阪の繁華街である難波の地に降り立ったのだった。
会場はふだんチェーン店になじんでいるわれわれには、ちょっと敷居の高そうなオシャレ洋風居酒屋。
さすが24日という「暁のデッドライン」がせまっている時期ということで、パーティーとはいえ楽しみながらも、どこか緊張感が漂った雰囲気でもある。
まあ、そこは私の場合、あくまでオウギマチ君のつきそいで、サポートに徹すればいいという気楽さもあって、大いにリラックスしていた。
ちびちびとグラスをかたむけながら、さて、どうやって後輩をプッシュすればいいのやら。
機会をうかがっていると、話題は間近に迫った「M-1グランプリ」に流れていった。
そうなると自然、だれが優勝するだろうと予想などしてみることになるわけだ。
それこそ、今年のファイナリストは「竹ブラジル」が天才過ぎたダイヤモンドをはじめ、真空ジェシカ、キュウ、ウエストランド、ロングコートダディ、さや香、男性ブランコ、カベポスター、ヨネダ2000と、ムチャクチャに私好みの人選で個人的にはかなりアツい。
真空ジェシカがイチ押しだけど、お茶の間ウケしないからなあ。その点では、天然の兎くんがいるロングコートダディが「使いやすい」かも。
ダイヤモンドはいつもの変なネタやってほしいけど、それだと優勝できないか。ストレートに言えば関西人として、さや香に勝ってほしいかなあ。
などなど盛り上がるところだが、今から18年前(!)のM-1といえば、圧倒的に笑い飯が人気であったのだ。
女の子の一人が、「笑い飯、おもしろいよね」というと、男子たちが太鼓持ちか将軍様に仕える「喜び組」のごとく、
「笑い飯ちゃう?」
「そら、笑い飯やんね」
「絶対、笑い飯で決まりやん。ナヒコちゃん、メッチャええセンスしてるやん!」
追従の嵐であり、思わず「やってんなあ」と苦笑しそうになったが、いや待てよと、ここでこちらの目がキラリと光った。
こここそ、自分をアピールするチャンスではないのか。
というのも、その年の私は、もちろん笑い飯がおもしろいのは重々認めながらも、ひそかに注目していた他のコンビがいた。
それが、まだ無名時代の南海キャンディーズ。
今と違って、当時の南海キャンディーズはまったくの世間で知られていなかったが、私はその存在にたまたま触れており、かなりいけるのではないかと思っていた。
お笑い好きの友人もイチ押ししていたし、そもそも、
「足軽エンペラー」
「西中サーキット」
という、山ちゃんとしずちゃんが、以前にそれぞれ組んでいたコンビは関西では若手実力派として認知されていた。
だが、このテーブルでは、まだ一度もその名前が出ていない。
これは、いかにも大チャンスではないか。
世間が「笑い飯優勝」一色であるところに、ポーンとここで、ダークホースである南海キャンディーズの名前を出す。
となると、そこにいる女子たちも
「へえ、そうなんですかー。シャロンさんって、お笑いにくわしいんですね」
大いに感心してくれるにちがいない。女子はお笑い好きな人が多いのだから。
笑い飯などというベタなところではなく、玄人はもっと深いところを見ているのだと、きっと喰いついてくれるはず。
もちろん、心やさしき私はその手柄を独り占めするつもりなどない。
「すごーい!」と、女子が目をハートにさせたところでで、すかさず、
「いやいや、これはオウギマチ君情報やから。彼の笑いのセンスは、かなりのもんなんや」
後輩にあざやかなパスを送り、
「すごいですね、オウギマチさん、わたしもお笑い大好きなんです。クリスマスの日、おひまですか?」
これでカップル成立めでたしめでたし。
こういう算段だったのである。
こうなればもちろん、仲間のために自らの報酬を犠牲にするという私の男気に、ほだされるという女子も出てくるに違いない。
ホームランより「送りバント」を貴ぶのが、われらが大日本帝国の臣民というものである。
「自分よりもお友達を優先するなんてステキ! もう今すぐ抱いて!」
なんてことになって、渋くスクイズを決めるつもりが、うまく「セーフティ」スクイズとして自分も出塁できるやもしれぬ。
いや場合によっては、甲府学院の賀間さんか『燃えろ!!プロ野球』のごとく
「バントでホームラン」
というミラクルだって、ありえるのではないか。
思い出すのは、野球映画『ヒーローインタビュー』。
そのラストシーンで真田広之さんと鈴木保奈美さんが、
「今夜はベッドでキミをホームラン」
「場外まで飛ばしてね」
なんてやりとりしているのを爆笑しながら鑑賞したものだが、嗚呼まさか私がここで「ひろゆき」と同じ立場になろうとは。
かように、取らぬ狸の妄想は燃え上がったが、ここからすべてが「皮算用」へと軽やかに転がっていくのは、まあ人生のお約束というものであろう。
(続く)