第二外国語の選択は、むずかしい。
というテーマで以前少し語ったが(→こちら)、私の場合はドイツ文学科に進学したので、これに関しては泣いてもわめいても「強制ドイツ語」。
こないだは美しいドイツの詩を紹介したが(→こちら)、今回も私をそんなマイナー街道へと導いた、罪深くもすばらしい作品の数々を紹介したい。
シュテファン・ツヴァイク『マリー・アントワネット』。
ツヴァイクはオーストリアの作家で、日本ではややマイナーだが、戦前のヨーロッパではかなり読まれたベストセラー作家であった。
コスモポリタンで平和主義者だったが、ユダヤ系ゆえヒトラー政権下のウィーンを追われ、亡命先のブラジルで自殺するという、悲劇の人物。
まだまだ、これからの人だったのに、歴史のうねりに飲みこまれる形となり、惜しいこととなった。
そこに「真珠湾奇襲」というワードが、からんでいるのが、日本人として少しばかり悲しい。
そんなツヴァイクの著作の中で、一番有名なのが『マリー・アントワネット』であろう。
あの『ベルサイユのばら』の元ネタにもなった作品で、華やかだが、少しばかり愚かで、そして気高くもあるという、世界に広がる彼女のイメージを決定づけた一冊ともいえる。
この本は完全に二部構成になっており、前半部は若き日の、未熟なるマリーの豪華な宮廷生活が描かれる。
ハプスブルク家という名門、中でもマリア・テレジアという最強女帝の娘という超絶サラブレッドであり、フランスというヨーロッパの大国に嫁ぐという、冗談みたいな人生を送ることとなった彼女。
またその魅力と、勤勉よりも人生を楽しむことを重視する快楽主義的性格は、当時絶頂期だったフランスという国と、きらびやかな宮廷文化に、あつらえたようピッタリとハマった。
おとなしい夫とは、それなりに仲が良く、またそのあふれる可憐さと、ほどよい愚かさで人気者になった彼女はオペラ鑑賞や仮面舞踏会、賭博にショッピング。
まさに時は、ロココ時代の申し子。享楽の絶頂を極めんがごとく、遊びと浪費に明け暮れるのだ。
いやあ、なんといっても、ここがおもしろい!
なにがいいって、本当にこの華麗なる大主役であるマリー・アントワネット様の、軽薄で頭が悪くてアホほど金を使いまくるバカ女っぷりが、すばらしいんですわ!
いやマジで、ホンマに読みながらずっと、
「コイツ、だれか行ってどついてこいや!」
って100万回くらい、つっこみたくなる。
それくらい、豪快な遊びっぷり。男やったら「無頼派」って呼ばれるんちゃうかというほど。
いや、これは私のみならず、書いてるツヴァイク自身、かなりイライラしながらも、
悪気はないんです。いろいろとやらかしてますけど、ただのアホではない。
要するに《世間知らず》であって、そんなポテンシャルで歴史の大役をまかされたら、そらァつらおまっせ
そう何度も、フォローしつつ書き進める始末なんだけど、ちっとも心が動かないというか、なんかもう「焼け石に水」感がすごい。
そら、アントワネットはん、アンタ革命も起こされますわ、と。
ただ、読み進めてひとつ言えるのは、マリー・アントワネットは、決して世間のイメージのような「悪い女」ではないこと。
ツヴァイクの書くものは、伝記というよりも、どちらかといえば「小説」に近いニュアンスだと思うけど、それでも彼女に「悪意」というものが、まったくなかったことは伝わってくる。
つまるところ、革命前のマリー・アントワネットという女性は、
メチャクチャにコケティッシュで、老若男女だれからもモテモテで、間違いなく善人。
なんだけど、頭が軽くて、世の中の事なんにも知らない、遊び好きの女の子
なんか、日本でいえば偏差値は低いけど名門っぽい女子高とかに、山ほどいそうな金持ちのお嬢さんなのだ。
つまるところ、究極に無邪気で、育ちが良い女の子。
オシャレや遊びにお金を使うなんて、年頃の娘さんには普通のこと。
ただ、
「ハプスブルク家出身で、フランス王家に嫁入りした」
という状況と、革命を生んだ時代背景が異常だっただけなのだ。
もし、彼女が今の日本に生まれてたら、自然とアイドルかモデルか女子アナにでもなって、空気読めず「炎上タレント」として愛されていただろう。
神田うのさん、とかみたいな。少なくとも、ツヴァイクは、そういう評価だと思う。
その証拠に、マリー・アントワネットが保守の王党派の言うように《聖女》なのか、それとも世間のイメージ通りの《悪女》なのかとの基本的な問いに、
「たいていの場合と同じく、ここでも魂の真実は中間にある」
序文で語っている。
とかくこの世を「善悪二元論」にわけたがる人が多い中で、この言葉は地味でつまらないけど、知性的な態度にちがいない。
その意味では、平凡で軽薄だが、だれからも愛されるだけの「リア充がすぎる」娘が、ひとつの王朝を終わらせ、
「宮廷文化の申し子」
「ヨーロッパの女王」
のアイコンとして歴史に名を残すことになるのだから、「時代性」というのはおそろしいもの。
その悲劇性を、ここまで浮き彫りにできる、ツヴァイクの筆さばきは見事の一言。
女子はウットリ、男子はイライラしながら楽しめます。超おススメ。
(『ジョゼフ・フーシェ』編に続く→こちら)