詰将棋に興味を持ったら、ぜひ『秘伝 将棋無双 詰将棋の聖典「詰むや詰まざるや」に挑戦!』(湯川博士著 門脇芳雄監修)を読んでほしい。
『将棋無双』とは、江戸時代の名人によって作られた図式集のこと。
今でいう将棋(囲碁も)の「名人」と言う称号は、歴史的には江戸時代に作られたものだが、棋戦のシステムがしっかりと作られている今と違って、当時の棋士はその腕を振るうような大勝負の機会が、圧倒的に少なかった。
有名な「御城将棋」などは、あらかじめ他所で指した対局を、将軍の前で披露するというイベント。
真剣勝負というより、むしろ良質の棋譜を見せるという、多分に、エキシビション的な側面があったと言われている。
今も残る「形づくり」という紳士協定というか、暗黙の了解的文化は、この時代の名残なのだろう。
では時の名人は、どこでその「真剣勝負」な本領を発揮したのかといえば、これが幕府に献上する図式(詰将棋)。
お上に納めるものということで、下手な作品が出せないのと同時に、名人上手といわれた人間の誇りもあいまって、ここで発表された詰将棋は今の目で見ても洗練された、非常にレベルの高い作品がそろっている。
中でも三代・伊藤宗看の創った百題の『将棋無双』は、その難解さから「詰むや詰まざるや」と呼ばれたもの。
一昔前は、米長邦雄永世棋聖をはじめ、
「これをすべて解けば、間違いなくプロになれる」
とまでいわれた、まさに時代を超えた名作として、知られているのだ。
この『秘伝 将棋無双』は、宗看の作品の中から、比較的易しい作品を20題選んで紹介していくものだが、これが、すこぶるおもしろい。
詰将棋というと、難解で取っつきにくいイメージがあり、かくいう私も苦手であるが、この本は手順の解説が非常に明快で、スラスラ読めるのがすばらしい。
正解以外の早詰の手順や、一見しただけでは、置いてある意味の分からない駒についても、しっかりその役割をフォロー。
おかげで、長編詰将棋と聞いただけで、ギルの笛みたいな頭痛がする私のようなパズル音痴にも、その魅力がぐいぐい伝わってくるのだ。
なんといっても引きこまれるのが、宗看が魂をこめて創った詰将棋、その詰手順の見事なこと!
将棋を知らない人には、将棋の詰み筋に「美しい」という感覚があることが、にわかにはピンとこないだろう。
しかしだ、記号で形成された数式や、DNA細胞の並びなどにも美という感覚があるように、上質の詰将棋にも、間違いなくフィギュアスケートのような「芸術点」というのが存在する。
捨て駒による玉の誘導や退路封鎖、合駒限定の妙など、指将棋(詰将棋ファンは、ふつうの将棋をこう呼ぶ)の終盤戦でも見られるあざやかな手筋もあり、それだけでも爽快だが、この『将棋無双』の本領はそれだけではないのである。
そこで今回から、先日の伊藤看寿の「将棋図巧」に続いて(図巧の傑作はこちら)、いくつかそのすごさを、実際に見ていただきたい。
今回のテーマになるのは「成らず」の手筋。
指将棋でも詰将棋でも、銀、桂馬、香車などは局面によっては、成って金になるよりも、そのまま使った方が有効となることも多い。
ではこれが、他の駒だとどうだろう。
金は成れないとして、飛車と、角と、歩か……。
一斉に「ない、ない!」との声あがることだろう。
将棋において、銀などはともかく、飛車とか角とか歩の場合、成らずで使う方が有利という場面は、ほぼ100%といっていいほどありえないからだ。
ところが、その「ありえない」ことが起こるのが、詰将棋の世界である。
それはズバリ、こないだの「図巧 第一番」でも出てきた、
「打ち歩詰め回避」
この場面なのだ(「図巧」の素晴らしすぎる傑作については→こちら)。
歩を打って詰ますのがだめなら、あえて飛車や角の効きを弱いままにしておいて、歩を打っても王様が逃げられるように「不成」(ならず)にしておくということ。
たとえば、1983年の王位リーグ、谷川浩司名人と大山康晴十五世名人との一戦。
「光速の寄せ」が炸裂して、将棋はすでに谷川勝ちが決定的。
仕上げにかかった谷川が、王手王手と追いかけて、この局面。
後手玉はすでに詰んでいるのだが、次の手が伝説的な絶妙手だった。
▲43角不成が、まさかの実戦で実現した、あまりにも有名な「大駒の不成」。
ここを▲43角成としてしまうと、△54歩、▲66銀打、△同と、▲同歩、△55玉に▲56歩が「打ち歩詰め」になってしまう。
どっこい、ここを角不成とすれば、最後の▲56歩に△44玉と逃げる道があるため、▲45歩、△33玉、▲23角成、△同玉、▲34角成から詰む。
なんて、すごい手順なんだ!
この手筋を初めて見たときは、まさに蒙が開けるというか、ともかく感動したものだ。
素人にとって、飛車や角は100、いや1万%「成るもの」だと思いこんでいたのが、成らずこそが、絶対無二の一手になる局面が存在するとは!
目からウロコどころか、落語の『天災』風に言えば、魚が一匹ボタッと落ちる見事な「成らず」の手筋だが、驚くなかれ、この『将棋無双』には、もっとすごい不成の形が出てくる。
そう、歩の不成が登場するのだ。
歩は敵陣に入って成れば、「と金」になって強力な駒になる。「成金」の語源になったほど、そのパワーアップぶりはあざやかなものなのだ。
それを、せっかく金になれるものを、あえて「不成」で歩のまま使う。
そんな状況が、あり得るというのだ。
(続く→こちら)