棋王戦の第1局は持将棋という結末となった。
竜王戦に続いての同世代対決である、藤井聡太棋王(竜王・名人・王位・叡王・王座・王将・棋聖)と伊藤匠七段との第49期棋王戦五番勝負。
その開幕戦は入玉形から、双方の玉が完全に捕まらない状態でドローとなったのだ。
この将棋は後手の伊藤が、もともとの構想からして「持将棋でドロー」をふくみに戦っていたフシがあり、千日手でねらうならよくあるけど、それを相入玉でやるというのがスゴイ発想。
まだ82手目だが、伊藤曰く
「飛車角交換になって、持将棋に持ち込めるというところかなと思っていました」
将棋にはいろいろな戦い方があるなあと感心。おもしろいなあ。
ただ、この将棋はアイデアが新しかったが、正直、ふつうの持将棋の場合たいていは退屈なものになりがち。
点数稼ぎの駒の取り合いや、終わるタイミングをつかめず、ただ成駒をたくさん作るだけの作業などはつまらなく、なんとかならんもんかと、いつも感じてしまう。
手段は問わず相手玉をしとめれば勝ちというのが終盤戦の醍醐味なのに(「終盤は駒の損得よりもスピード」だ)、いざそれがムリとなると急にルールが変わって「駒得してる方が勝ち」って、どう考えても変だもの。
こんなの点数なんて関係なく、相入玉になった時点で中断して、とっとと指し直せばいいじゃんとか思うけど、そうもいかないのかなあ。
というわけで、今回はドローにまつわる長い、ながーい1日のお話。
2004年の、第63期B級1組順位戦。
中川大輔七段と行方尚史七段の一戦。
順位戦といえば、持ち時間が6時間もあり、それだけでも充分長いが、この将棋はそれだけではすまない長丁場になる。
その序章として、まず持将棋になった。
今回の棋王戦と同じく、お互いの玉が敵陣に入ってしまい、詰ますことが不可能ということで241手で引き分けに。
棋王戦は後日指し直しとなったが、タイトル戦でない対局だと、先後を入れ替えて同日にやりなおし。
一局を戦い抜いた、特に行方は150手(!)近く1分将棋を戦った疲れもあるから、やっている方は大変で、
「指し直しに名局なし」
という言葉もあるほど。
終局は夜中の1時35分だから、実際のデータはわからないが説得力を感じるところ。私だったら帰りたい。
この一戦のおそろしいところは、なんと指し直し局でも勝負がつかなかったこと。
時刻は午前5時48分。今度は千日手で、またもドロー。
これは、おたがい同じ手順を繰り返さざるを得ない「ループ」の状態に入ること。
指し直し局は△93歩、▲同歩成、△92歩、▲94歩の環から抜け出せず、ここで終了。
こうなると、局面は永遠に進まないわけで、またも指し直し。
かつて高校野球の大阪府地区予選決勝で、南波高校と明和高校が甲子園をかけ、延長18回引き分けのあと、再試合で延長45回を戦ったが、それを彷彿とさせる泥沼。
中川と行方も、ここまできたらやるしかない。
対局開始から約19時間が経過しているが、「待った」はゆるされないのだ。
午前5時28分(!)開始の「第3局」も、また熱闘になった。
気持ちはほとんどヤケクソだろうが、ある意味ランナーズハイというか、ゾーンに入った状態になるのかもしれない。
そこからさらに、激闘約4時間。ようやっと、この「はてしない物語」も終わりが近づいてきた。
最終盤のこの局面、行方の次の一手が決め手である。
▲35銀が、退路封鎖の綺麗な手筋。ここで中川が投了。
試合終了は朝の9時15分。試合時間は合計で23時間。
ほとんど丸一日。飛行機に乗れば、地球の裏側の南米まで行けるほど。
その間、この二人はずーっと将棋で戦っていたのだ。
朝、職員が掃除をしようと対局室に入ったら、対局がまだ行われていて、ビックリ仰天だったそう。
その光景もすさまじく、中川はスーツの上着のみならず、ネクタイからワイシャツから、すべて周りに投げ捨てていた。
あのダンディで鳴らす男が、最後はランニングシャツ一枚で盤上に没我していたというのだから狂気的だ。
この将棋は局後のエピソードもあって、感想戦のあと軽く食事をして帰ったのだが、中川は電車の中で気絶。
その後の記憶はなく、どうやって家に帰ったのか覚えていないという。
登山が趣味の空手マスターで、
「棋士は理系か文系か。中川君はどう思う?」
という問いに、
「体育会系です」
と答えた男(まあ中川はストイックなだけで、正確な意味での「体育会系」ではないと思うが)がこの有様だ。いかに過酷な戦いだったかよくわかる。
一方の行方尚史はどうだったか。
酒飲みで、生活の乱れたところが魅力でもあり、10代のころは喘息に悩まされたナメちゃんのこと。
これは倒れるどころではすまないどころか、ヘタすると命の危険もあるのではと心配するも、結構これが大丈夫だったよう。
その理由がふるっていて、
「平気ですよ、ボク夜型なんで」
そういう問題やないやろ!
しかしまあ、酒を愛した昭和の名棋士である森安秀光九段や真部一男九段なども、そうだった。
激しい宿酔で昼間はヨレていても、深夜になると生気が増して行ったというから、ナメちゃんのスカしたようなセリフも、案外と的外れでもないのかもしれない。
記録係の星野良生2級(現五段)もふくめて、お疲れ様でした。
なんにしても、すごい戦いで、序盤の千日手とかはまだしも持将棋はもう、指し直しとかよりも「引き分け」ってことで、いいんでないのと思ったものでした。
(行方尚史の卓越した終盤力はこちら)
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