中村修の強さは、まさに「不思議」である。
前回は先崎学九段による居飛車穴熊の戦い方を見たが(→こちら)、今回は真逆の「薄い」将棋を。
中村修九段といえば高橋道雄九段や南芳一九段、塚田泰明九段に島朗九段など、タイトルホルダーやA級棋士を多く輩出した「花の55年組」の一員で、若かりしころは、
「不思議流」
「受ける青春」
と呼ばれる、独特のディフェンシブな将棋で、王将のタイトルを獲得したこともある。
私が将棋をおぼえたころ、ちょうど中村王将は中原誠名人との防衛戦を戦っているころで、そのさわやかな風貌と、それに似合わぬ曲線的な指しまわしに、一気にファンになってしまったのだ。
ただ中村修の将棋は、その強さと個性にもかかわらず、妙に説明しにくいところがあった。
受けが強く、終盤力に定評があったことは事実だが、じゃあ具体的にどうすごいのか。
そういわれると、ハテと首をかしげるところがある。
終盤は強いが、藤井聡太七段のような、切れ味鋭い寄せという感じでもない。
受けといっても木村一基王位のように力強いわけでも、デビュー時の永瀬拓矢叡王・王座のように「受けつぶし」をねらうわけでもない。
全体的にフワッとしてて、なんだかよくわからない手を指し、そのままメッタ打ちを食らって負けそうに見えるとこから、気がついたら勝っていたりする。
で、なぜそうなったかわからず、みなが「なんで?」と首をかしげる。
そのつかみどころのなさが「不思議流」のルーツになったが、その相手に急所をつかませないところこそ、中村将棋の強みだった。
その様子をわかってもらうには、この将棋がいいかもしれない。
1983年、新人王戦の準決勝という大きな一番。
相手は実力者である鈴木輝彦六段。
矢倉模様の戦いから鈴木が仕掛け、中村は手にのって中央から盛り上がり反撃するが、ここで手筋がある。
△88歩と打つのが、筋中の筋。
居飛車党の攻め将棋なら、もう自然に指がここに行くというものだろう。
▲同角は△46歩だから、▲同金だが、金が壁になって▲88への脱出路をふさいでいるうえに、▲67の金も浮き駒になってしまった。
さすが、筋のよさで鳴らす本格派の鈴木だ。
以下、△46歩、▲同角に、△44銀と進出。
▲64銀と角道を遮断するも、無視して△45銀。
▲37角に△46歩と押さえ、▲73銀成と角を取って、△同桂に▲54歩と取りこんだところで、△56銀打と浴びせ倒し。
先手陣はバラバラで、飛車と角も使えておらず、攻め合いにもならない。
なにか、後手が好きなように指しているようだが、これが中村は涼しい顔をしているというのだから、よくわからない。
▲77金寄とよろけ、△57歩にはヒョイと▲78玉と早逃げ。
△58歩成と、「マムシのと金」ができて、ますますピンチに見えるが、すっと▲86歩と逃げ道を開けて耐える。
右から追うと、玉を▲87から▲98に収納してがんばれるという読み。
こうなると、手筋の△88歩が、逆に先手玉を固める手になって、逆用できる、と。
そうはさせじと、後手は△85歩として、今度は上部から手をつける。
▲同歩、△同桂と桂馬もさばけて、ますます好調に見えるが、中村は平気の平左で▲86金とあがる。
むかえた、この局面。
先手は攻めこまれているようで、なんなりと手をつくして受けまくる。
なんとか一手空けば、▲64角とか▲42歩の反撃もあるが、鈴木はここで必殺の一手を用意していた。
(続く→こちら)