「不思議流」と「受ける青春」 中村修vs鈴木輝彦 1983年 第14期新人王戦

2020年05月24日 | 将棋・名局

 中村修の強さは、まさに「不思議」である。

 前回は先崎学九段による居飛車穴熊の戦い方を見たが(→こちら)、今回は真逆の「薄い」将棋を。

 中村修九段といえば高橋道雄九段南芳一九段塚田泰明九段島朗九段など、タイトルホルダーやA級棋士を多く輩出した「花の55年組」の一員で、若かりしころは、

 

 「不思議流」

 「受ける青春」

 

 と呼ばれる、独特のディフェンシブな将棋で、王将のタイトルを獲得したこともある。

 私が将棋をおぼえたころ、ちょうど中村王将は中原誠名人との防衛戦を戦っているころで、そのさわやかな風貌と、それに似合わぬ曲線的な指しまわしに、一気にファンになってしまったのだ。

 ただ中村修の将棋は、その強さと個性にもかかわらず、妙に説明しにくいところがあった。

 受けが強く、終盤力に定評があったことは事実だが、じゃあ具体的にどうすごいのか。

 そういわれると、ハテと首をかしげるところがある。

 終盤は強いが、藤井聡太七段のような、切れ味鋭い寄せという感じでもない。

 受けといっても木村一基王位のように力強いわけでも、デビュー時の永瀬拓矢叡王王座のように「受けつぶし」をねらうわけでもない。

 全体的にフワッとしてて、なんだかよくわからない手を指し、そのままメッタ打ちを食らって負けそうに見えるとこから、気がついたら勝っていたりする。

 で、なぜそうなったかわからず、みなが「なんで?」と首をかしげる。

 そのつかみどころのなさが「不思議流」のルーツになったが、その相手に急所をつかませないところこそ、中村将棋の強みだった。

 その様子をわかってもらうには、この将棋がいいかもしれない。

 

 1983年新人王戦の準決勝という大きな一番。

 相手は実力者である鈴木輝彦六段

 

 

 

 

 矢倉模様の戦いから鈴木が仕掛け、中村は手にのって中央から盛り上がり反撃するが、ここで手筋がある。

 

 

 


 

 

 △88歩と打つのが、筋中の筋。

 居飛車党の攻め将棋なら、もう自然に指がここに行くというものだろう。

 ▲同角△46歩だから、▲同金だが、になって▲88への脱出路をふさいでいるうえに、▲67浮き駒になってしまった。

 さすが、筋のよさで鳴らす本格派の鈴木だ。

 以下、△46歩▲同角に、△44銀と進出。

 ▲64銀と角道を遮断するも、無視して△45銀

 ▲37角△46歩と押さえ、▲73銀成を取って、△同桂▲54歩と取りこんだところで、△56銀打と浴びせ倒し。

 

 

 

 先手陣はバラバラで、飛車も使えておらず、攻め合いにもならない。

 なにか、後手が好きなように指しているようだが、これが中村は涼しい顔をしているというのだから、よくわからない。

 ▲77金寄とよろけ、△57歩にはヒョイと▲78玉と早逃げ。

 △58歩成と、「マムシのと金」ができて、ますますピンチに見えるが、すっと▲86歩と逃げ道を開けて耐える。

 

 

 

 右から追うと、玉を▲87から▲98に収納してがんばれるという読み。

 こうなると、手筋の△88歩が、逆に先手玉を固める手になって、逆用できる、と。

 そうはさせじと、後手は△85歩として、今度は上部から手をつける。

 ▲同歩△同桂と桂馬もさばけて、ますます好調に見えるが、中村は平気の平左で▲86金とあがる。

 

 

 

 むかえた、この局面。

 先手は攻めこまれているようで、なんなりと手をつくして受けまくる。

 なんとか一手空けば、▲64角とか▲42歩の反撃もあるが、鈴木はここで必殺の一手を用意していた。

 

 (続く→こちら

 

 


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