Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

β8「Fukushima 50」 若松節朗, 2020.

2021-03-13 | Movie Reviews
 2011年3月11日、地震発生41分後に到来した巨大津波がもたらした福島第一原子力発電所の全電源消失。

 福島第一原発を「1F(イチエフ)」と呼ぶエンジニアにとっては、「1F」は自分を育ててくれた親代わりであるのと同様に、「1F」を我が子のように思い、なんとしてでも救おうとする気持ちを描いた視点はとても印象に残ります。

 ごく当たり前と思っていた存在や観念なるもの、それは故郷や家族の存在だったり、故郷に立地した原発が大都市へ電力供給することで生活は豊かになるはずという固定観念が、目の前から忽然と姿を消す喪失感と不安感は想像を絶するほどの青天の霹靂。

「間違えてたのは、自然をなめてたとことだ。慢心だった」(映画のなかの台詞より)

 事故から2年経った「1F」所長の追憶からは、核エネルギーそのものは理論的に制御できるものの、原発の立地条件や設計条件によっては、制御できるはずの核エネルギーは暴走しかねないことを想定すべきと示唆しているような気がします。

 地上波初放送のテロップは「事実に基づく物語」と記されていましたが、事実を受け入れた在るがままの自分が「真実に迫る物語」だと思います。

初稿 2021/03/11
校正 2022/02/09
写真 東日本大震災が引き起こした津波の爪痕
撮影 2012/05/26(宮城・南三陸町の防潮堤)

β7「天気の子」新海誠, 2019.

2021-01-08 | Movie Reviews
 2021年新春、一昨年大ヒットした映画の地上波初放送。一人一人がスマホやタブレットを持っていますが、家族と一緒にあらためてテレビで観ると思わぬ発見と巡り逢えます。
 
 「ただの空模様に、こんなにも気持ちが動かされてしまうんだ。人の心は空につながっているんだと、僕は初めて知った」

 ごく当たり前に存在していたものが目の前から忽然と姿を消すときの喪失感と不安感。

 「あの夏の日。あの空の上で、僕たちは世界のかたちを変えてしまったんだ」

 本当に世界を変えたかどうかは別として、それはごく当たり前に過ごしていた日常に戻れないことを示唆し、その日常において振る舞っていた自我を見失うことに。

 「天と地の間で振り落とされぬようしがみつき、ただ仮住まいさせていただいているのが人間」

 でも、あるがままの自分に気づき、素直に受け入れるとき、ようやく人は自己を見出すのかもしれません。

 降り続く豪雨に傘を差す人々の姿を描いた光景は、決して予想した訳ではないにせよ、コロナ禍でマスクを着ける現在と重なっているような気がします。

初稿 2021/01/08
校正 2022/01/31
写真 のぞき坂(映画のなかのワンシーン)
撮影 2020/07/19(東京・雑司が谷)

β6「天気の子」

2019-10-25 | Movie Reviews
 自らに期待される役割に生き甲斐や責任感を意識すること。それが、自我の芽生えという「物語」なのかもしれません。

 でも、その期待に応えられず、押しつぶされそうな責任感のなかで、罪の意識にさいなまれ、それでもなお「大丈夫」と思えるのか?

 大切な人たちを想う気持ちに気付くことや、罪の意識にさいなまれる自分に、「大丈夫」と言えるもうひとりの自分に気付くことが大切だと思います。

 心の底から等身大の自分を受け入れて、自分らしく生きようとする「物語」を自らが編み出して歩むこと。それが、アイデンティティ(自己同一性)のような気がします。

♪「何もない僕たちになぜ夢を見させたか 終わりある人生になぜ希望を持たせたか なぜ手をすり抜けるものばかり与えたか それでもなおしがみつく僕らは醜いかい それとも きれいかい 答えてよ」♪
(Lyrics by RADWIMPS )

(新海誠 監督作品, 2019)

初稿 2019/10/25
校正 2020/09/04
写真「空の向こう側の世界」
撮影 2019/09/08

β5「君の名は。」

2019-10-20 | Movie Reviews
 約千年の時を経てふたたび厄をもたらす彗星。そして約三年の時を超えてはじめてめぐり逢うふたりの物語。

 ユング心理学において、太古の昔からひとの心に受け継がれてきたイメージが元型(アーキタイプ)と呼ばれ、それらは、自らの意識において在るべき姿を追い求める「自我」と自らの無意識において在るべき姿とは全く逆の「影」、異性の理想像を司る「アニマ/アニムス」、人智の及ばぬ存在や原理を司る「老賢人」、生と死を司る自然の摂理を司さどる「グレートマザー」。

 ひとの心に潜むそのイメージに支配されるのではなく、そのイメージに自らが向き合ったとき、因果関係が無いはずのめぐり逢わせを、どこかでつながっていると意識すれば、自分だけの物語が始まるのかもしれません。

 エンディングにふたりが問いかける「君の名は。」という台詞には、自分だからこそ乗り越えられたという自信と自分らしく生きることの意義を示唆しているような気がします。

♪運命だとか 未来とかって 言葉がどれだけ手を伸ばそうと 届かない場所で僕らは恋をする♪
(Lyrics by RADWIMPS )

(新海誠 監督作品, 2017)

初稿 2019/10/20
校正 2020/09/06
写真「何処かで巡り合う君と僕」
撮影 2012/11/07(東京・新宿遠景)

β4「星を追う子ども」

2019-10-14 | Movie Reviews
 大切なひとは星になって見守ってくれる。そして、大人は子どもに「さよなら」をそう諭します。

 そんな大切なひとをよみがえらせるために、自らの存在をかけてでも地球の底奥深くに在るとされる黄泉の国を旅する物語。

 ひょっとしたら、その国は生と死を司る原理や自然の摂理を想起させる「グレートマザー」と呼ばれる元型(アーキタイプ)の暗喩なのかもしれません。

 生と死を司る原理や自然の摂理にあらがうのではなく、受けとめること、受け入れること、認めること、許すことの大切さを知ったとき、子どもは「さよなら」の本当の意味を理解し、大人の階段を登り始めるような気がします。

(新海誠 監督作品, 2011)

初稿 2019/10/14
校正 2020/09/06
写真「黄泉の国への入り口」
撮影 2019/09/08(大阪・服部緑地)