Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§50「殉死」(乃木希典) 司馬遼太郎, 1967.

2016-04-05 | Book Reviews
 「世に棲む日々」の吉田松蔭と高杉晋作(長州)、「峠」の河井継乃助(越後長岡)、「龍馬がゆく」の坂本龍馬(土佐)と桂小五郎(長州)、「花神」の大村益次郎(長州)、「歳月」の江藤新平(肥前)、「翔ぶが如く」の西郷隆盛と大久保利通。

 幕末から近代国家として駆け登る日本の姿を描く司馬遼太郎の数ある長編小説を読むなかで、そのなかから10人目を選ぼうとして手に取った「坂の上の雲」

 秋山兄弟、正岡子規、山本権兵衛、東郷平八郎、大山巌、児玉源太郎…

 登場するいづれもが、傑出した人物として描かれているにも関わらず、どちらかと言えば、日本が近代国家として駆け登るときに、それぞれの役割を果たした群像を描いた叙事詩という印象。

 とはいえ、司馬遼太郎が語るように、彼らが存在しなくても、他の誰かがその役割を果たしたのかもしれません。

 幕末期における尊皇攘夷という集合的無意識を自らの死を賭けて起動させた吉田松蔭。松下村塾の開祖・玉木文乃進の門下のひとりである彼は、「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」という思想と「寧ろ玉となりて砕くるとも、瓦となりて全かるなかれ」という行動が一致していること。

 一方で、乃木希典もまた、吉田松蔭と同じルーツ松下村塾の開祖・玉木文乃進の門下のひとり。旅順攻略、奉天会戦にて第三軍を指揮した彼の貢献が、結果として日露戦争の勝利に導くことで攘夷を結実させ、明治帝の崩御にて殉死することで結果として尊皇を結実させたような気がします。

 しかしながら、実在した二人がともに奉られたことは、彼らの思想的・行動的美意識が元型として実存することに他ならず、元型の許にはあらゆる視点が固定化せざるを得ず、自由な発想や新たな挑戦に挑まなくなることを余儀なくされた結果、昭和という興亡に至ったのかもしれません。

初稿 2016/04/04
校正 2020/12/13
写真 旧海軍兵学校
撮影 2009/02/13(広島・江田島)