Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§68「日本人とアイデンティティ」 河合隼雄, 1995.

2017-04-22 | Book Reviews
 「認知」とは、視る・聴く・触る・嗅ぐ・味わう、五感によって其処に何かが在ることを経験することなのかもしれません。

 「認識」とは、その認知した経験を言語化して特徴や意味を与えることなのかもしれません。

 「意識」とは、その認識した特徴や意味から関係性から、もたらされる結果には必ず原因が存在するはずという因果性を見いだすことなのかもしれません。

 でも、意識は時としてその因果性に支配されがち。努力は必ず報われるはずと意識すればするほど、報われなかった時の悔しさや怖れが高まるもの。

 その悔しさや怖れが、言葉として意識化されれば「コンプレックス」となり、言葉として意識化されなければ「影」となるのかもしれません。

 逆に、努力は決して裏切らないと意識すればこそ、報われなかった時の悔しさや怖れは影を潜めるはず。意識が因果性の支配から解き放たれた時に漸く、"自らはどう在りたいか?" / "そのためには何をすべきか?"自らが自らに問いかけ始めた時が「自我」の芽生えであるかも知れず、自らが自らに問いかけ続ける事が「自我同一性」なのかも知れません。

初稿 2017/04/22
校正 2020/11/17
写真 踊り子というアイデンティティ
「ダンサー」ヴェナンツォ・クロチェッティ 作
撮影 2016/05/23(大阪・御堂筋彫刻ストリート