思いもよらず思わぬ経験をするとき、実は認知を越えた出来事や存在を認識できていないだけかもしれません。また、何の因果も無く、ただの偶然に過ぎず不思議だなぁと認識しているに過ぎないだけかもしれません。
認知を越えた出来事や存在を「羊」として認識した冒険が扱うテーマは、欲望、支配、服従、生死のような気がします。
ひょっとしたら、「羊」とは自らの深い無意識に潜む言葉に出来ないコンプレックス、自らが絶対に認めてはならないと意識されるイメージかもしれません。
村上春樹と河合隼雄の対談集を読んでから、村上春樹が描く「羊」のイメージと河合隼雄が説く「影」のイメージが重なるような気がします。これもシンクロニシティなのかもしれません。
初稿 2017/07/01
校正 2020/11/11
写真 東華菜館, V.M.ヴォーリズ, 1926.
撮影 2016/04/03(京都・四条大橋西詰)
認知を越えた出来事や存在を「羊」として認識した冒険が扱うテーマは、欲望、支配、服従、生死のような気がします。
ひょっとしたら、「羊」とは自らの深い無意識に潜む言葉に出来ないコンプレックス、自らが絶対に認めてはならないと意識されるイメージかもしれません。
村上春樹と河合隼雄の対談集を読んでから、村上春樹が描く「羊」のイメージと河合隼雄が説く「影」のイメージが重なるような気がします。これもシンクロニシティなのかもしれません。
初稿 2017/07/01
校正 2020/11/11
写真 東華菜館, V.M.ヴォーリズ, 1926.
撮影 2016/04/03(京都・四条大橋西詰)